闇の子供たち/史上最強のヘビー級王者ソニー・リストン

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名前だけは知っている。モハメド・アリが世界王者に、ヒーローになった時の相手として。
しかしそこには暗く、虚しく悲しい秘話、真実があったのだ。

ニュアンス訳ですが是非読んでみてください。
ボクシングは国を、時代を、文化を写す鏡であることがわかる内容です。

リングの中でボクサーが勝つ唯一の要因が身体能力と物腰であるならばソニー・リストンは無敵だっただろう。

ジャック・デンプシーが対戦する相手は試合前にすでに殴られていたと言う。それと同じことは全盛期のマイク・タイソンにもいえた。ジェームズ・ダグラスにノックアウトされるまで誰もタイソンに敵う者、関わりたい者はいなかった。

リストンはヘビー級としてそれほど背が高い方ではないが、才能のピーク時は彼ら以上だった。

215ポンドのヘビー級だったリストンは広い肩幅と筋肉の塊だった。14インチという破格の拳と84インチという信じられないほどのリーチがあった。リストンがグローブをつけて殴るとハンマーのような衝撃だった。彼のトレーナーの一人ジョニー・トッコは、リストンを「リングの怪物」「殺人兵器」と例えた。17歳からプロボクシングのキャリアをはじめたリストンの成績は50勝39KO4敗だ。

リストンはアーカンソー州のサンドスローの小作農で25人兄弟の24番目として生まれた。本名はチャーリーという。しかしリストンがいつ生まれたかは彼の死と同様謎に包まれたままだ。多くのボクサーは貧困をバックボーンにしているがリストンの状況もひどいものだった。

リストン
「何もなかった。子供だけがやたらたくさんいて、無力な母親と家族を顧みない父親、服も靴も食べるものもほとんどなかった。親父に虐待されて育った。」

父親の虐待が彼に生活の変化をもたらした。1932年生まれと主張するリストンは先に逃げた母親を追いかけて暴力を振るう父の元からセントルイスに逃走した。しかし学校に行けないリストンに読み書きは困難で、まともな仕事はみつからなかった。

絶望の未来、リストンは強盗を含む犯罪で何度も刑務所に行く。1950年代初頭にミズーリ州の刑務所で5年の刑を食らい、そこでボクシングに出会うことになる。刑務所の運動係がカトリックの司祭を通じリストンの人生を変えるのはボクシングしかないと導いた。リストンはその教えを守り、プロのヘビー級サーマン・ウィルソンとスパーリングをした。セッションは2回だったがサーマンはワンピースのパンチを浴びてリングから逃げ出した。

その後アマチュアで頭角を現したリストンはプロになるも、元犯罪者の彼と組むプロモーターはいなかった。マフィアのプロモーターの元でプロとして試合を重ね、1953年、フロイド・パターソンを初回左フックで倒し世界王者になる。

彼の功績を称えて地元に凱旋すると多くの歓迎レセプションが待っているはずだったが、飛行機を降り立つと数名の記者と空港労働者しかいなかった。長くHBOのボクシングアナリストだったラリー・マーチャントは当時の記事にこう書いている。

「フィラデルフィア初のヘビー級王者を祝うためのパーティーは今用意された。紙吹雪舞う祝賀を推薦する。その紙吹雪はシュレッダーにかけた逮捕状にしよう。」

その後、リストンは王者として勝ち続けるも悪役であり決して人気者ではなかった。当時の大統領、ジョンFケネディですらリストンを嫌っていた。彼が元犯罪者だったからだ。全米黒人地位向上協会でさえ、リストンの暗い過去を忌み嫌い敬遠していた。アメリカの歴史の中で、ソニー・リストンはヘビー級のキングだと人々に認められたいと願っても叶わぬ最後の一人だった。

ロサンゼルスタイムのコラムニスト、ジム・マーレイはリストンの事を
「前科者、それはクリスマスツリーの中に隠れるコウモリのような存在」と書いた。

リストンは自分が悪役、嫌われ者であることを受け入れて運命に身を任せた。

リストン
「ボクシングはカウボーイ映画みたいなものだ。善人がいて悪人がいる。人々はお金を払う。悪人が殴られるのをみるために」

1964年に22歳のモハメド・アリ(当時はカシアス・クレイ)と戦い、6回終了棄権でリストンは王座を陥落した。7回のゴングに応じなかった。15か月後の再戦では初回KOでアリに敗れるも、このKOパンチは「ぶどうを潰すことすらできないようなパンチ」だったと言う。

実際、リストンに何が起きたのかは関係者にもわからない。
何年も経ってその時の真相を確かめるとリストンは八百長を認めた。

リストン
「アリはクレイジーだ。奴と関わりたくないんだ。イスラム教徒とは関わりたくない。だから降りた。パンチは全く効いてない。」

アリは最初から勝ちが決まっていたのだろうか、1/2世紀以上も過ぎてこの試合は忘れられた。この2試合についてはリストンの生涯と同じくらいの謎が残る。その後のリストンはずっと勝ち続けるもののタイトルとは縁がなく、53戦目に元スパーリングパートナーのレオティス・マーティンにストップされた。

1971年1月、リストンはラスベガスの自宅で死んでいるのを妻に発見された。彼はボクシングの不正の犠牲者だった。シャウン・アセールは自著「ソニー・リストンの殺人、ラスベガス、ヘロイン、ヘビー級」の中でリストンは殺されたのだと主張する。薬物の過剰摂取ということだけが公表されている。

小説家ジェームズ・ボールドウィンはリストンVSパターソンの取材のため、会社から派遣されたが、ボクシングに精通していなかった。それが功を奏した。リストンに会ってもボールドウィンは彼の肉体的威圧感も、怖い目つきも、教養のなさにも驚かなかった。

ボールドウィン
「我々が普通に表現するのが当たり前のように、リストンは上手く表現できないのです。特に黒人特有で、リストンにはすごい話、長い話がたくさんあるのだが、それは誰も聞きたくないような話なのです。」

それはボールドウィン(自身も黒人)自身に諺をかけているようだった。

WIKIでは12人兄弟となっているが、この記事では25人となっていた。

上手く訳せていないが、

「着るものも、はく靴も、食べるモノも何もない。放置され虐待される子供と無力な母親、粗暴な父だけ」

リストンは貧しく教育を受けることが出来ず、読み書き表現がほとんどできなく、自分のサインすら書けなかったという。その事に触れられることを忌み嫌っていたという。

50勝39KO4敗

アリ以外にはほとんど負けていないといえる記録、そして引退などではない、突然の死・・・
真相を知るリストンの口からさえ明瞭な答えが導きだされない以上、このまま闇に葬りさられるのだろう。

規格外の怪物は恐らくここにいた、本物のヘビー級王者だったのだろう。

こんな運命では

[st-card id=60711 ]

この言葉も軽く虚しいほどである。
望んでそうなったわけじゃなさそうだ。
時代、環境、宿命・・・

とても興味深い話だったので敢えて紹介したが、私だけはソニー・リストンという男を最強のヘビー級として永遠に胸に刻んでおこう。

彼の墓碑には「A MAN」とだけ刻まれている。

リストン
「ボクシングはカウボーイ映画みたいなものだ。善人がいて悪人がいる。人々はお金を払う。悪人が殴られるのをみるために。いつか誰かが悪人の為のブルースを書いてくれるはずさ。 スローなギターと優しいトランペット、そしてゴングの音で。」

ジョージ・フォアマン
「太陽が暖かい それと同じように リストンは無口」

ジョニー・トッコ
「彼は一人ぼっちだった」

[st-card-ex url=”https://www.si.com/boxing/2014/08/22/o-unlucky-man-sonny-liston-william-nack-si-60″ target=”_blank” rel=”nofollow” label=”” name=”” bgcolor=”” color=”” readmore=”続きを見る”] より詳しい記事です。

このシンボルともいえる代表的な一枚は八百長だったのだろうか。
リストンが勝てばイスラム教徒に殺害されるという脅迫があったという。
いつの時代も善と悪
メディアに真実はない。

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プクー

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「ボクシング動画配信局」https://box-p4p.comの管理人です。 ボクシングで人生を学びました。

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