春の日は過ぎゆく/(キッド・ダイナマイト)ダニー・ロメロ

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ダニー・ロメロ、悪童ぶりが目立つジョニー・タピアに比べてハンサムなエリート、アイドルな側面が目立ちましたがスタイルはロメロがハードパンチャーでタピアがスマートでした。ホンモノの強さでした。どうしても見た目や性格などでファイターはキャラ設定されてしまい、タピアに比べればブレイクしなかった印象もありますが

45勝38KO5敗2分

井上尚弥やノニト・ドネアに負けず劣らずのかけぬけた時代の天才児だったのかもしれません。
彼のベストボクサーの想い出がとても個性的です。

ダニー・ロメロは1995年にフライ級世界王者となりアメリカに60年ぶりのベルトをもたらした。彼はその後ジュニアバンタム級の王座も獲得した。

ロメロは1974年7月12日にアルバカーキで生まれた。貧困地区のノースバレーで育ち、父親によって5歳でボクシングを始めた。彼の祖父もまたボクサーだった。

ロメロ
「私には愛する両親がいた。生活が大変だったのはわかっていた。いつも豆や米やトルティーヤを食べていたけどそれで十分だと学んだ。自分の状況より悪いケースを考えてみてください。私はバリオスという街でドラッグや銃に囲まれて育った。でも悪の道に打ち克つという気持ちでここまできたんだ。」

ロメロはアマチュアで9度ナショナルタイトルを獲得し1992年のオリンピックトライアルに119ポンドで出場するも、サンドターナー・ルイスに敗れプロに転向した。アマチュアの記録は146勝5敗だ。

”キッド・ダイナマイト”と言われたロメロはただちに頭角を現し112~115ポンドのNABAタイトルを最初の3年のキャリアで獲得した。1995年、ジョージ・フォアマンVSアクセル・シュルツ戦の前座で時のIBF王者フランシスコ・テヘドール相手にユナニマスで勝利した。(その間、アメリカ人のフライ級はユーリ・アルバチャコフVSイサイアス・サムディオを含めて8連敗中だった。)

1935年にミジェット・ウォルガストがスモール・モンタナに敗れてタイトルを失ったのがアメリカの最後のフライ級王者だった。ロメロの勝利は実に60年ぶりのことだった。

ロメロ
「その瞬間は最高でした。ジンクスを破る必要があり、ベルトをニューメキシコに戻す必要がありました。それまでの人生で感じたことのないプレッシャーでした。」

ロメロは1995年5月にはウィリー・サラザール相手にノンタイトルの試合をした。

ロメロ
「初回にサラザールの右が私の左手に当たり、次のパンチで頬骨と眼底を粉砕した。大変な初回だった。彼は最初の1分半全力で倒しにきた。その波が収まった時の痛みはすさまじかった。とてもひどい状態でした。

コーナーに戻り、父に何も見えないと話した。2回は彼の右を警戒した。サラザールはやる気満々だった。遂には感覚がなくなり、回を重ねて私は勝ちにいった。決してあきらめたくなかった。5回、6回とドクターにストップを申告されたけど、あと一回もう一回と懇願した。けれど試合は7回に止められました。

私が負ける時はノックアウトされる時であり、怪我でストップされる時ではないと抗議したけど、それは悲惨なものでした。みんな私のキャリアは終わったと言った。ドクターは2度とボクシングは出来ないと言いました。」

ロメロはその後半年以内にカムバックするため、左顔面の手術を行った。

1996年8月、アルバカーキで2連勝したロメロはコロンビアの王者、ハロルド・グレイに挑み、初回に3度、2回にもダウンを奪って再び2階級目の王座を獲得した。この試合でリングマガジンのカムバックオブジイヤーに選出されたロメロは2度の防衛に成功後、友人でもあったWBO王者のジョニー・タピアと統一戦に向かった。

1997年7月ラスベガス、接戦ではあったがロメロはユナニマスでタピアに敗れた。

ロメロ
「私はアウェーの人間でした。彼らは正しいアドバイスをしてくれなかった。ジョニーとは子供の頃からの友人で父は俺たち共通のトレーナーでした。互いに勝ちたいと強く思っていた。私は興奮して混乱してました。彼をハードパンチでぶっ倒そうとしていました。それに対しジョニーは冷静に美しいボクシングをしてきました。」

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タイトルを失ってから3連勝した後、ロメロはIBFジュニアフェザー級の長期王者であったブヤニ・ブングに挑むもMDで敗れた。

その後はノンタイトルでは勝ち続けるも、ラタナチャイ・ソーウォラピンにMDで負け、WBOバンタム級王者であったクルス・カルバハルに目の負傷により4回ストップ負けをした。2006年、45勝38KO5敗2分の記録を残して引退した。

現在44歳になるロメロはガールフレンドと共に地元のアルバカーキに住んでいる。2人の子供と1人の孫がいる。「ダニー・ロメロの隠れ家」という会社のCEOとして、障害のある子供たちや青少年、年間約1000人の子供たちに放課後等デイサービスを提供している。

https://www.youtube.com/watch?v=uGIJ3_Q-970

ダニー・ロメロに拳を交えた想い出のファイターを聞いた。

ベストジャブ:フランシスコ・テヘドール

今でも彼のジャブを感じることができるよ。彼は私よりかなり背が高くてスナップの効いたよく訓練されたジャブを突いてきた。鼻先に打たれ続けて、最初の4回まで私は何もできなかった。

ベストディフェンス:ブヤニ・ブング

彼はディフェンス面はそんなに評価されていなかったけどアタックしても柔軟なボディワークでうまく外された。彼のレバーを狙っていったけど、何事もなかったかのようにスルリとかわされ、吸収されてしまうんだ。彼はインファイトのディフェンスマスターだった。とてもスリックで倒せなかった。

ハンドスピード:ジョニー・タピア

子供の頃から父の元で共に練習してきたから彼が何をしてどれだけ速いかは知っていた。バランスを崩すことなくとてもスナッピーで素早いんだ。
それが彼の持ち味であり才能も豊かだった。

ベストフットワーク:ジョニー・タピア

手だけじゃなくて足も速かった。ジャブを打ってもジョニーはもうそこにいない。本当に速かった。

打たれ強さ:ジョー・マンザノ

ベストパンチを当てても倒れないんだ。目が死んでないんだ。とてもハードヒットをしてもだ。すぐに立ち直ってくる。あれだけ当てて判定まではいかないはずだけど、彼は最後まで頑丈だった。

スマート:エンリケ・ジュピター

全てのフェイント、トリックを見破っていた。とてもクレバーだった。パンチをスリップしたり、全てのパンチに対処してくる。腕を掴んで体重をのせてきたり、コーナーに追い詰めて足場を奪ったり狡猾な選手だった。

フィジカル:ブヤニ・ブング

ブングは野獣だった。(笑)特に自分が階級を上げたせいでもあるけど、彼の身体に弾き返されてしまった。強い男だった。

ベストパンチャー:リチャード・ディンキンス

ゴングが鳴ってすぐに襲い掛かってきて左右のフックで殴られました。そして一瞬静かになりました。実際そうはみえなかったようだが私は足に効いてフラフラでした。ノックアウトされそうでした。よしやり返してやると私はすぐに彼を倒しました。今日まで彼がもっともハードパンチャーだったです。

ベストスキル・ラタナチャイ・ソーウォラピン

ジョニーも素晴らしいスキルだったけど彼から新しいスキルを学ぶことはなかった。後になっておもうとあのサウスポーのタイ人は素晴らしかった。いいジャブを持ち、滑らかでパンチ力もあった。美しいファイトをする男だった。

https://www.youtube.com/watch?v=G1NH8PWHcCI

総合:ハロルド・グレイ

彼こそ私にとって最高のファイター、俺が戦った中ではP4Pだった。ハロルド・グレイこそトータルパッケージだったとおもう。誤解しないでください。ジョニーもブヤニ・ブングも偉大だったが、試合には様々な側面があるから簡単にはいえないんだ。何かひとつでも違っていたら私は2回で彼をKOし勝てなかったかもしれない。彼はそのクラスで途方もない実績とバックグラウンドを持つ男だった。何も気にせずアルバカーキに来てくれた。私のキャリアはハロルド・グレイとブヤニ・ブングの間を行ったり来たりしていたようなものだ。彼は漢だった。ケネディ・マッキニーにも勝っている。すごいタフな相手に何度も防衛してきた男だ。俺は今でもハロルド・グレイが最強だったとおもっている。

これを読むと、ボクシングの奥深さがよくわかります。ダニー・ロメロというボクサーも繊細だったのだろう。名前の大小に関わらず、拳をかわした選手それぞれに抱いた印象が丁寧に述べられています。王者や挑戦者ばかりでなく、ノーランカーの事まで出てきます。

最後の総合にあげた選手が最も強かった選手になるのだが、ハロルド・グレイは歴史に名を遺すほどの名王者ではなかったしダニー・ロメロ自身、初回に3度倒し、2回KOで勝利しているのだが、それだけの強さとプレッシャーを感じていたのだろう。たしかに王者になるまでのハロルド・グレイはほとんど早い回のKOばかりで恐ろしい戦績だったが、その後大成はしていないしアマチュアの巨人だったのだろうか?

さらにはラタナチャイ・ソーウォラピンをベストスキルに挙げている。ロメロ自身キャリア終盤に戦った選手だが、こうしてきちんと覚えていてくれ、タイのサウスポーがHe boxed beautifully.だったと言ってくれるのはうれしい。

ブヤニ・ブングはスーパーバンタム級13度防衛の名王者。恐らくゾラニ・テテを凌いで南ア一番評価のレジェンドだろう。そんな彼はやはりフライ級上がりのロメロにとっては大きな壁だったのだ。ブングもその後ナシーム・ハメドという壁に叩き潰されることになる。階級、体格、フィジカルの壁というのはいつの時代も立ちはだかる。

そして最後にジョニー・タピア・・・友人でありライバルであり、きっといい感情ばかりではないだろう。
だから、タピアを認めつつ、それほど過大に評価していないのか・・・
年齢はタピアが7つも上である。

ダニー・ロメロ、波乱の人生で亡くなった盟友タピアの分まで長く幸せに暮らしてもらいたいものだ。

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プクー

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「ボクシング動画配信局」https://box-p4p.comの管理人です。 ボクシングで人生を学びました。

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