喧騒の中の孤独/(バズーカ)アイク・クオーティー Vol.3

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アフリカのガーナからやってきた「バズーカ」クオーティーはダークホースの立場から遂に人生最良の給料日を迎えた。しかしひたむきに勝利に向かって努力を重ねても、何かを微妙にはぐらかされる、純粋すぎる引き立て役にはさらなる罠が待ち受けていた。

オスカー・デラホーヤは「ゴールデン・ボーイ」の愛称で呼ばれていたが「ゴールデン・グース=金の卵を産むガチョウ」の方が適切だろう。デラホーヤと試合をするというのは、対戦相手にとってキャリア最高の給料日を意味する。アイク・クオーティーにとってはそれに加えて、世界最高のウェルター級を証明するチャンスでもあった。

オダムテン
「私たちはその試合に備えて素晴らしいキャンプをしていました。アイクは質の高いスパーリングパートナーをみんな倒して絶好調でした。最高の状態でした。」

しかしデラホーヤは試合一か月前に瞼のカットを理由に試合を延期した。クオーティーのチームはその理由を訝しがった。

クオーティー
「オスカーのチームはテレビクルーを連れてきました。私のキャンプを視察してオスカーに私たちのトレーニングの内容と状況を報告し、試合を延ばした方がいいと判断したのだとおもう。彼らは私にトレーニング代だと言って10万ドルくれました。私はガーナに帰国しました。キャンプは残り3週間でした。」

オダムテン
「試合の延期中でもアイクはアメリカに留まるべきだったが、彼は拒否してガーナに帰国してしまった。クリスマスが近かったので、家族と一緒に過ごしたかったのです。けれどそれが大きな間違いでした。ガーナは休暇で盛大なお祭り騒ぎです。アイクがアメリカに戻ってきた時、彼はもう帰国前の彼ではありませんでした。トレーニングキャンプの質も落ちました。11月に予定通り試合が行われていれば、アイクはオスカーをノックアウトしていたでしょう。」

試合は翌年の2月13日にセットされたが、クオーティーには前の試合から実に16か月間のブランクとなった。

両者互角の熱戦となるもデラホーヤが最初に左フックでダウンを奪う。その後すぐにクオーティーの左フックカウンターで今度はデラホーヤが強烈なダウン、効いた。最終ラウンドまで両者全くの互角の勝負だったが、12Rにデラホーヤがクォーティからダウンを奪い、クオーティーをロープに詰めて速射砲、これが響きクオーティーはスプリットで敗れた。

クオーティー
「私は自分が勝ったと信じている。最悪でも引き分けだと。しかしオスカーをリスペクトします。彼の左フックは素晴らしかった。とてもクレバーでした。速いオスカーを捕まえるために、私は中に入っていく必要がありましたが、入る前に彼は素早く反応して打ってきました。」

物議を醸す判定結果に失望したクオーティーはジムから遠ざかった。14か月後、7ポンド重く金髪に染めたクオーティーは一階級上げてIBF世界スーパーウェルター級王者のフェルナンド・バルガス(米国)に挑むも12R判定負け。

https://www.youtube.com/watch?v=ATW-R8xCpDE

オダムテン
「バルガス戦のトレーニングキャンプは酷いものでした。悲しかった。アイクにフェルナンド・バルガス戦を勧める声が多くありました。デラホーヤやシェーン・モズリーらがそうです。彼らにとってバルガスは若くて大きすぎたのでアイクが通じるか確かめたかったのだとおもいます。アイクはグッドシェイプではなかった。一緒に走っても私がアイクを追い越してしまうこともありました。きっとフロリダで彼は怠けて遊んでいたのでしょう。」

ホセ・ルイス・ロペス、オスカー・デラホーヤ、フェルナンド・バルガス、最後の3人に勝てなかったクオーティーは30歳で突然引退した。経済的には既に満たされていたが、プライベートはうまくいっていなかった。

「ゴールデン・ボーイ」に負けた後、ガーナの人々に卑劣な言葉をたくさん浴びせられた。偉大な戦士アズマー・ネルソンが謙虚であるのに対し、アイク・クオーティーは傲慢であると。

混雑した通りの真ん中に自慢のSUVを何時間も止めて、地元のサッカーの試合をチケットも買わずにつまらなそうに観戦しているなどの悪い評判が駆け巡り、ガーナ社会は「バズーカ」を疎外した。

5年の時を経て、2005年1月にクオーティーは祖国ガーナのアズマー・ネルソンスポーツコンプレックスで復帰戦を行った。かつてアイクを愛し、憎み、再び愛した男の復帰を目撃した人はほとんどいなかった。クオーティーは自分が生まれ変わることを約束した。対戦相手はアメリカのノーランカー、クリント・マクニールという無名の選手だったが、その夜のクオーティーのパフォーマンスは素晴らしかった。

しかし3試合後にバーノン・フォレストに判定で敗北。この採点は、オーバ・カー戦(MDという結果だったがクオーティーの完勝)、ホセ・ルイス・ロペス戦(引き分けだがダウン以外はクオーティー優勢)、デラホーヤ戦のSDによる敗北と同様にクオーティーにとっては不運で悪質なジャッジといえた。

https://www.youtube.com/watch?v=rYxLnuPBOOg

しかしオダムテンは、異論があるのはバーノン・フォレスト戦だけだと言う。

現在、オダムテンはマサチューセッツのボクシングシーンの中心人物として、元世界挑戦者のエドウィン・ロドリゲスと協力し、多くの地元の有望なボクサーを指導している。

アイク・クオーティーのキャリアは、かつてフランスで辛苦を共に過ごしたウィンキー・ライトとの試合を最後に(判定負け)幕を閉じた。

2009年、クオーティーの妻バーバラが糖尿病の合併症でこの世を去った。悲嘆にくれたクオーティーは世捨て人になった。最近復帰したクオーティーは3階建ての多目的病院の建設などに取り組んでいる。

自分を世界王者に育てたガーナという国に恩返しをするつもりだ。ボクシングに対する愛情も再燃させ、かつてのオダムテンのように若いアマチュアボクサーの育成にも取り組んでいる。

クオーティー
「現在のガーナのアマチュア育成プログラムは混乱しています。彼らが今こそ青少年育成の基盤を築けば、8年~10年くらいで次のアズマー・ネルソン、次のアイク・クオーティーなどを生み出すことが出来るはずです。たとえ子供達が最終的にボクシングを選ばなかったとしても、精神的にも肉体的にも役に立つことができるのです。」

クオーティーは改革が変化をもたらすと信じている。しっかりした基盤があれば、近所に住む子供たちも争いを乗り越えることができるという象徴の意味を込めて、おそらくそれが、喧噪のゾンゴ交差点の中心にオフィスビルを建てた理由だ。

偉大なファイターは大きく、強靭にみえるが
アイク・クオーティーは身長171センチだ。

そのくらいのサイズのファイターがウェルター級~ミドル級で頂点を極めてきた例は枚挙に暇がない。とても不思議で奥が深い。

個人的には、アイク・クオーティーはオスカー・デラホーヤに勝っていたとおもう。ダウンの数はデラホーヤでもダウンの質はクオーティー、その他の質もクオーティー。ラストラウンドに印象点をもっていかれた。

いつの時代も主役がいて最高の引き立て役がいる。
引き立て役はリングの中でも外でもみえない不可抗力が働く。

恐らく、デラホーヤVSパッキャオでさえ、あれほどどうにもならない一方的な差を出さぬ限り、デラホーヤに傾いていた試合だっただろうと想像する。

アイク・クオーティーは、ガーナの27人兄弟から生まれたボクサーという宿命を背負う限り、本場ではいつも引き立て役だった。それに気づき、悩み、時に浮かれ、数多くの経験をして今に至る。

失意とブランク、また失意、171センチの体格で1年ぶりに階級を上げ金髪で現れたクオーティーはやはり昔の彼ではなかった。いかにもわかりやすい。彼が彼のままにずっと最良のコンディションであれば、一番強くてクールなウェルター級王者だったようにおもう。

キャリア最高の給料日を境に突然ピークアウトする
勝ったか負けたかわからない死闘の果てに敗北という現実
その後まもなくキャリアが終わる

という例は本当に多い。

その中でも特に威風堂々たる雄姿を誇った「バズーカ」クオーティーを私は永遠に忘れない。

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プクー

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「ボクシング動画配信局」https://box-p4p.comの管理人です。 ボクシングで人生を学びました。

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