ブラザーフッド/(ラフィ)ラファエル・マルケス

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マルケスがバンタム級当時はIBFという事もあって日本人との対戦は夢でしかなく、もっぱらウィラポンが宿敵だったが、海の向こうではマーク・ジョンソンやティム・オースティンに勝って防衛を続けるラファエル・マルケス・・・本当はこっちの方が最強のバンタムなんじゃないかと畏怖していた。スーパーバンタムに来た時も、強すぎて、西岡はイスラエル・バスケスがいないから王者になれただけだという本音だったが、キャリアの晩年についにこの扉をこじ開けて実現したのが西岡VSマルケスであり、接戦ではあったが確かに西岡が勝利した。だから私は西岡が一番好きなのかもしれない。

ラファエル・マルケスは2000年代前半から半ばにかけてバンタム級及びスーパーバンタム級で世界王者となったが、イスラエル・バスケスとの4度の死闘で良く知られている。

マルケスは1975年3月にメキシコシティで生まれた。6歳の時に兄で未来の4階級王者であるファン・マヌエルにボクシングを薦められた。

マルケス
「当時はジムはなくて、イスタパラパのデポルティバに行って父がボクシングを教えてくれました。」

兄弟は伝説のトレーナー、アルツロ(クーヨ)エルナンデスからもトレーニングを受けた。クーヨはアレクシス・アルゲリョ、ルーベン・オリバレス、カルロス・サラテなど12人の世界王者を指導した伝説的なトレーナーとして2013年、死後に国際ボクシング殿堂入りを果たした。

マルケス
「学校が終わって3時に練習場にいくと1週間から2週間ずっとジャブだけを教わり習得していきました。1カ月ずっと同じこともありました。そうやって全てのパンチを教えてくれました。」

プロを指向していたマルケスは20歳でデビュー、信じられないことだがデビュー戦の相手は元WBCバンタム級王者のビクトル・ラバナレスだった。マルケスはエキシビジョンか何かと勘違いしていたが8回でストップ負けをした。

その後12連勝11KOの快進撃を続け評判を獲得していった。

2000年秋、ヘナロ・ガルシアにKO負けするも、その後も連勝を続け、当時最強レベルの一人だった元2階級王者のマーク・ジョンソン(アメリカ)と対戦し2-1(96-91、94-93、93-94)の僅差判定勝ち。ジョンソンのホールディングによる2点減点に救われる形になった。

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この勝利でマルケスは偉大な兄の影を抜け出した。




4か月後にマーク・ジョンソン(アメリカ)とリマッチを行い8回2分41秒TKOで勝利し、空位のUSBA全米バンタム級王座とIBF世界バンタム級王座の指名挑戦権を獲得。




2002年4月、マルケスはジョンソンに続いてアメリカの強敵、IBFバンタム級王者のティム・オースティン相手に世界初挑戦。オースティンは11度の防衛を誇る強力な王者だった。7回までポイントは0-3(66-67、2者が65-68)とわずかな差でオースティンがリードしていた。8回マルケスが打ち合いに持ち込みペースを握ると左右のストレートから右ストレートでオースティンがロープからはみ出すダウンを奪った。最後は連打を浴びせてレフェリーが救出。大逆転で王座獲得に獲得した。

https://www.youtube.com/watch?v=xMWPKR94wTg

これがマルケスにとってキャリア最高の勝利だと言う。

マルケス
「オースティンはオリンピックでメダルもとっているサウスポーでした。当時無敗でほとんどKO勝ちでした。その頃私は結婚したので家が買いたいとナチョ(ベリスタイン)に相談しました。するとナチョがすぐにこの試合を組んでくれました。本気で私に家を買うお金を払うつもりだったのでしょう。オースティン戦の8ラウンドは素晴らしい思い出です。」

その後、3年半にわたって、マルケスは世界最高のバンタム級としての地位を固めていった。スーパーバンタム級に転向するまでに、エリベルト・ルイスやマウリシオ・パストラーナ、サイレンス・マブサら強敵相手に7度の防衛に成功した。

そして2007年、マルケスは運命のライバルに出会う。

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階級をスーパーバンタム級に上げてWBC世界スーパーバンタム級王者イスラエル・バスケスと対戦し、試合開始早々から壮絶な殴り合いを繰り広げ、ダウンを奪われたものの、両者共に顔面が腫れ上がってボロボロになり、ボクシング史に残る激闘となった。7回にバスケスが鼻を怪我と額の骨折で試合続行不可能となって2階級制覇に成功、リングマガジン王座獲得に成功した。

マルケス
「WBCの緑のベルトを獲得したのが最も誇り高き瞬間でした。私にとってそのベルトは特別で子供の頃からの夢でした。」

2007年8月4日に行われたイスラエル・バスケスとの再戦では、初対戦時をさらに上回る壮絶な大激闘を繰り広げた末に6回TKO負けで王座陥落。マルケス側は「レフェリーストップが早かった。まだ戦えた」と主張した。この試合は、2007年のリングマガジン ファイト・オブ・ザ・イヤーに選出された。

2008年3月1日、カリフォルニア州 ホーム・デポ・センター・テニスコートにてイスラエル・バスケスとラバーマッチで対戦し、またしても初回から壮絶な試合となり、両者共にダウンを喫するなど3度目の対戦もまた激闘となった。11ラウンド終了時点でポイントではマルケスがわずかにリードしていたが、最終回にダウンを奪い返され、1-2の僅差判定負け、王座奪回に失敗した。この試合は、2年連続でリングマガジン ファイト・オブ・ザ・イヤーに選出された。この試合を最後にイグナシオ・ベリスタインとのコンビを解消し、ダニエル・サラゴサを新たなトレーナーに招聘した。

2010年5月22日、4度目の対戦となったイスラエル・バスケスとWBC世界スーパーバンタム級シルバー王座決定戦で対戦し、3回KO勝ちを収めイスラエルとの対戦成績は2勝2敗となった。バスケスはこの試合が現役最後の試合になった。

マルケス
「バスケスは勇敢な戦士だった。彼の強さは知っていましたが本当に強かった。全てのラウンドが途方もないものでした。彼は爆弾を投げましたが、私はいつも準備万端でした。最強の敵だとわかっていたので4か月もトレーニングに励んだのです。」

その後マルケスは3年以上キャリアを続けたが最後の6戦で2勝しか出来なかった。フェザー級でファン・マヌエル・ロペスに、元々持っていたWBCスーパーバンタム級のベルトを取り戻すべくも西岡利晃に敗れた。

その後、クリスチャン・ミハレス、エフレン・エスキビアスに連敗。
マルケスは試合後眼孔を骨折していたことが判明。病院での検査の結果重傷であることが判明し、トレーナーのベリスタインを始めとしたマルケスチームの勧めで現役を引退した。なおこの試合からオスカー・デ・ラ・ホーヤのゴールデンボーイプロモーションズと契約しており数試合残しての引退だった。

マルケス
「ジョニー・ゴンザレスとアブナー・マレスと戦いたかった。ジョニーはナチョと組んでまだ戦っています。コミッションが違ったので対戦できなかったのですが、今では後悔しています。やり残した仕事だとおもっています。ジョニーと引退試合がしたいです。」

現在43歳になるマルケスは結婚して3人の子供の父親だ。メキシコシティのイスタカルコ市にSi Gym Marquezという自分のジムを運営している。ボクシング番組の解説をしたり不動産ビジネスをしている。

ライバルについて

ベストジャブ マーク・ジョンソン

最初の試合の彼はとても爆発的で彼のジャブが速くてみえませんでした。スプリットで何とか勝つ事ができました。

ベスト・ディフェンス イスラエル・バスケス

ディフェンスのいいボクサーとは戦っていない。記憶がない。バスケスのディフェンスは堅かったけど私はジャブで突破しました。

ベストチン バスケス

4回戦って2回バスケスを倒しました。

ハンドスピード ジョンソン

コンビネーションが速くて私には見えませんでした。6連打でさえ見えませんでした。びっくりしました。採点でジョンソンの勝ちとコールされたので、私はすぐに彼のコーナーに行って再戦してくれと言いました。彼はノーと応えました。ロッカールームに向かう途中で採点ミスがあり私が勝者だと言われました。すると今度はジョンソンが私のところにきて再戦してくれと言いました。私は「イエス」と答えました。再戦は8回で決着しました。

フットワーク ジョンソン

私のキャリアで最も速い相手でした。彼に追いつけませんでした。

スマート ヘリベルト・ルイス

3回で彼を倒しましたが、彼は反撃してきました。私の動きを読み、フェイントを駆使し、距離を作るなど試合の中で私を勉強しているのがわかりました。

屈強 マウリシオ・パストラーナ

彼を倒すためにありとあらゆるパンチを打ち込みましたが倒せませんでした。できたのは彼の肩を脱臼させることだけでした。

ベストパンチャー バスケス

誰よりも強く殴られました。マーク・ジョンソンも強烈でした。

ベストスキル ティム・オースティン

バルセロナの銅メダリストでIBF王者でした。速いサウスポーのパンチャーでした。8回で倒しました。

総合 バスケス

賢いファイターです。彼は多くの力を持っていてリングで全てをぶつけてきました。倒しても必ず立ち上がってくる。身体も精神も恐ろしく強い。彼は常に前進をやめない。決してバックステップしない。強靭さ、パワー、インテリジェンス、彼は全てを持った偉大な戦士でした。

西岡利晃の名前が出て来なかったのでスルーしていたが、掲載。これだけ偉大なキャリアがあればそりゃぁ出ないわなぁ。

改めて、ラファエルの記事を読むと、兄のファン・マヌエルの方が知性派だ。マーク・ジョンソンには2度勝っているのに、速くて見えなかった。追いつけなかった。とかあっけらかんとしている。マーク・ジョンソンに再戦を求めたらノーと言われ、求められたらイエスと言ったところは面白い。

どこか天然で難しいことなど何も考えないから、あんなに壊れてしまいそうなバスケスとの対戦を4度もやったのだろうか。能天気で頑丈、屈強な性格がみてとれた。

しかし、技術もパワーも一流だった。
同じパンチを繰り返し教え続けるクーヨ・エルナンデスの指導の賜物なのだろう。

メキシコはいつの時代でもこういう強い選手を育む。

兄弟の試合を見ることに関して、兄ファン・マヌエルは「大事な弟の身体が打たれていて怪我だってするかもしれないと考えたら、怖くて心臓に悪いから出来るだけ見たくない」と答えているのに対して、弟のラファエルは「兄の試合はエキサイティングだから見ていて楽しいし、いつでも勝ってほしいと願っている」と答えている。

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プクー

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「ボクシング動画配信局」https://box-p4p.comの管理人です。 ボクシングで人生を学びました。

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