血のチョコレート/(シベリアンロッキー)ルスラン・プロボドニコフ Vol.1

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ヘラジカの凍った生の肝臓がどんな味だか知ってますか?
ロシアの血液浄化剤、それは血のチョコレート味です。美味しいです。

匠のあとは記録よりも記憶に残る、(シベリアンロッキー)ルスラン・プロボドニコフについて書いてみようとおもう。

ルスラン・プロボドニコフは、ロシアの元プロボクサー。ハンティ・マンシ自治管区・ユグラのベレゾヴォ出身のマンシ人。元WBO世界スーパーライト級王者。フックを強振するブルファイターで打ち合いを好み最大の武器は右フック。その反面アウトボクシングに弱く、ティモシー・ブラッドリー、クリス・アルジェリ戦では足を使われポイントアウトされている。マニー・パッキャオのスパーリングパートナーを務めた経験がある。

異形の獣

プロボドニコフ
「若い頃は、酒を飲み、ボンド(シンナー)を吸い、盗みを働き、刑務所へ連れて行かれるような悪いことは全てやった。当時一緒に悪さをしていた連中が今どうなったか知らないけど、ほとんどの連中が刑務所にいるらしい。(ボクシングに出会わなければ)私も100%刑務所にいたと思う」

2016年6月11日、ジョン・モリナ・ジュニアと対戦し番狂わせとなる12回0-3(112-116、113-115、111-117)の判定負けを喫し、この試合を最後に以降試合を行っていない。しかし正式に引退もしていない。彼は今どこで何をしているのだろう。

プロボドニコフは最後の試合以降、リングからタイムアウトし、ロシア奥地の小さなコミューンに戻った。彼の「ロッキー」の物語が始まった場所に。

プロボドニコフ
「私はここで、両親や親戚も住んでいるベレゾヴォでボクシングを始めました。けれどここにはジムはありません。氷の海で泳ぐことで力を得ました。」

群衆が電撃的な衝撃で席に釘付けになるほどの世界クラスのファイターが、ベレゾヴォのような過酷で険しい環境から生まれるようなことはめったにないがこれは事実だ。冷淡なバイオレンス、逃げ道を探してもがき苦しみ、理解されることを否定する渇望のファイター、起伏が多く険しい地形は通常とは異なる獣を生み出した。

ロシア皇帝の亡命地として有名なベレゾヴォは、恐らくプロボクシングの歴史上ロシア最大のファイターであるコンスタンチン・ジューを生み出した過酷な生息地に似ている。

プロボドニコフはクリスチャンとして育ち、北シベリアの先住民族であるマンシ族として、民族差別する他の男たちとケンカして生きてきた。それにも関わらず、彼は故郷に愛情を抱き、地元の人々に負い目を感じ、今こそ負債を返済する覚悟でいる。

プロボドニコフ
「私は路上で育ちました。ボクシングについて何も知りませんでした。テレビで見たこともありません。それを知ると、ボクシング(殴り合い)だけが私の好きな事ができた時間でした。都合の悪いことは何もない。私は殴られるのが怖くない。殴られるのはパンを食べるようなものです。

子供の頃、私には選択肢は全くありませんでした。路上で育ちました。それからボクシングのレッスンが出てきました。ケンカが好きで学校では問題ばかり起こしていたのです。」

身長168cm、リーチ168cm。プロボドニコフの髪は尖っていて月のような顔をしている。彼がボクシングをはじめた時、誰かが「シベリアンロッキー」と呼んだ。そして映画「ロッキー」同様にプロボドニコフは敗北によって有名になった。

2013年3月16日、スタブハブ・センター・テニスコートにて、WBO世界ウェルター級王者ティモシー・ブラッドリーと対戦。技巧派のブラッドリーは普段は距離を取って優位に進めるスタイルだが、この日は序盤から慣れない打ち合いに臨んだ。打ち合いの間は試合を優位に進めるプロボドニコフだったが、序盤以降は足を使い出したブラッドリーのテクニックに翻弄された。しかし最終12ラウンドに再び打ち合いに来たブラッドリーからダウンを奪い、あわや逆転勝利で王座戴冠に見えたが0-3の僅差判定負けを喫し、王座獲得はならなかった。

ブラッドリーは病院に直行した。

プロボドニコフ
「試合後私たちはメシを食いに行きました。」

この爆発的な試合は2013年のファイトオブジイヤーに輝いた。プロボドニコフにはフロイド・メイウェザーやアンドレ・ウォードのような名工のスキルも、同じロシア語を話す仲間のゲナディ・ゴロフキンやセルゲイ・コバレフのような洗練さもない。しかし、単にポイントを取るのではなく爆弾を投下することでコミットメントする彼のファイトは奇妙に高貴で人々を魅了した。

プロボドニコフは「I don’t say anything I don’t do(やらない事は言わない)」という言葉をよく使う。

しかし最も過酷なスポーツであるボクシングはベレゾヴォのような過酷な環境から抜け出す、効果的な手段とは言えなかった。今、プロボドニコフは次の世代に自分より良いスタートを与えたいとおもっている。ソビエトの二日酔いの酔っぱらいの中で育った彼は、ボクシングの高貴な芸術について何も知らなかったが、町で始まったボクシングレッスンによって自然な闘争本能を育んだ。

プロボドニコフ
「今私はここにボクシングを含むスポーツ施設を建設しようとしています。世界王者になった時にベレゾヴォの知事が私の名前にちなんだ施設の提案をしてくれました。来年、施設が完成するでしょう。血と汗で掴んだ事実を誇りにおもいます。」

プロボドニコフはアマチュアとして決して輝かなかった。家族を養うための必要性を感じた彼は拳で稼ぐプロで自分を試すことに決めた。

プロボドニコフ
「ボクシングジムは路上でケンカするより便利で必要だと感じました。私がボクシングをみつけたのか、ボクシングが私をみつけたのかどっちだかわかりません。長年にわたり、ボクシングを仕事にしていくために、進歩、成長が必要でした。勝てばお金がもらえるのでプロになることにしました。リスクを冒して試してみることにしました。」

アマチュアエリートではないプロボドニコフがプロになることは、決してより良い生活への快速切符とはいえなかった。「スボリ」と言われるエカテリンブルクのプロのジムでの厳しいトレーニングに参加するために、ベレゾヴォの自宅から24時間の電車の旅が始まった。

Vol2に続く

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エマニュエル・オーガスツ
「オーマイゴッド!奴は強かった。俺に触れる全てのパンチが痛かった。彼に合わせることさえできなかった。俺が打ったパンチでさえその手が痛かった。彼のパンチは全部痛かった。他の相手ならブロックしたり、ミスを誘ったりできるけど彼のパンチには悪意が宿っていた。ジャブさえ痛かった。」

これを読んで、ルスラン・プロボドニコフを書いてみたくなりました。
決して、殿堂入りの名王者に入る男ではないが、ファンはきっと多くいるはず。

100%自分が楽しむためにやっていますが、シベリアンロッキーの現在まで追いかけますので次回もお楽しみに・・・

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