峠を越えてなお/アルツール・ベテルビエフ Vol.1

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来月、遂に念願の統一戦に向かう、アーサー・ベテルビエフについて書きます。この記事は2017年のもので、その時こそが肉体のピークであり本当に勝負したかったタイミングだったようだ。やっと辿り着いたビッグマッチですが、34歳の彼がピークアウトしていない事を祈っている。

https://www.youtube.com/watch?v=vEQb0_DX3yU

最後の貯金

夕方の太陽の光がテーブルを照らし、木の葉は穏やかな風に揺れている。妻は夕食を済ませ、子供達の学校の宿題の手伝いをしている。彼はここで辛抱強く次の仕事を待っている。それが彼のプロとしてのキャリアの主な問題であり、2013年にプロになってからからずっと続く悩みだ。彼とリングを共有することを厭わないファイターはほとんどいない。

アルツール・ベテルビエフにとっては困難な歳月だった。2015年にアレクサンダー・ジョンソンを倒した時、彼はIBF王者セルゲイ・コバレフに対する最前列にいた。しかしベテルビエフとエリミネーターを競う相手が見つからず、その後手術を要する肩の怪我をして、チャンスはさらに後退した。

手術によって彼のキャリアはしばらく除外された。

ビーチサンダルを履いて立ち上がり、家に戻った彼は子供の宿題に目を配る。キャビネットには彼自身の子供時代の写真や過去20年のアマチュアボクシングの栄光の数々の想い出の記念が飾られている。やがて子供達が寝静まる頃には彼は階下に戻ってソファに座り、自分の旅を振り返る。

ボクシングで世界中のファンを魅了するのはファイターに人間性やストーリーがあるからだ。ベテルビエフにとって、若い人生の大部分は一つの部屋と一つのトイレを4人の兄と共有することだった。時にはボクシングの試合に出る遠征費のために車を売ったこともあった。

ベテルビエフ
「私の面倒をみてくれたのは母親です。ボクシングを始めた時、母は積極的に支援してくれました。」

モスクワでオリンピックのための特別なスポーツ専門学校に行かせてくれたのも母親だった。ベテルビエフは16歳で家を出た。

ベテルビエフ
「私の母は看護師なので、栄養に関する様々なサポートをしてくれました。ビタミン、健康食品、それらを調べて必要な栄養ドリンクなどを作ってくれました。」

ベテルビエフの父親は悲劇的な事故でこの世を去った。父親の死は家族に壊滅的な影響を与えた。ソビエト連邦崩壊後の生活は過酷を極めた。貧しい彼らの暮らしはシャトルバスの運転手だった父の稼ぎでなんとか成り立っていた。

ベテルビエフが16歳でロシアのジュニア代表チームに選ばれた時、ユニフォームの購入が必要だった。父は彼に300ドル、最後の貯金を手渡した。

ベテルビエフ
「16歳でジュニアの大会で優勝してから5日後に父は亡くなりました。ボクシングを辞めたくなるほとのショックでしたが、ボクシングで成功することは父との約束でもあったので、あきらめずに続けることにしました。」

今、20年以上にわたるベテルビエフの努力がやっと山頂に近づいているようにもみえるが、ここまでの道のりは本当に険しいものだった。彼の強さを知るものは一部のソーシャルメディアを駆使した熱狂的なファンしかおらず、その他に露出手段を持たなかった。

ベテルビエフ
「残念ながら、これが今日のボクシングの厳しい現実です。相手が私を避けてもそれに対処し前進しなければなりません。相手の方針、条件に従わなくてはいけません。ついに世界王者にはなれましたが、ずっと以前からその準備は出来ていました。」

奪われた勝利

アルツール・ベテルビエフはロシア・ダゲスタン共和国のハサヴユルトで生まれ育った。

今日、彼はカナダのモントリオールに妻と2人の娘、1人息子とともに暮らしている。2013年にロシアからこの地にやってきた。

ベテルビエフは9歳でボクシングと出会った。

ベテルビエフ
「ボクシングについてはストリートファイト以外なにも知りませんでした。ある日兄がジムに連れて行ってくれました。兄はジムですぐに私をテストさせ、練習生の男とスパーリングをさせました。私は健闘したとおもいますが、兄は私の何かが気に食わなかったようで再び誘ってくれなくなりました。」

彼だけが兄弟の中でボクサーだったわけではないのですか?

ベテルビエフ
「兄達はみんなボクサーです。子供の頃からケンカが強く、ボクシングに向いていると兄に言われていましたが、ジムに連れて行ってくれなくなりました。」

どのくらいでボクシングに適応していきましたか?

ベテルビエフ
「最初の練習はシャトル運動といってずっとフットワークのトレーニングばかりでした。これで馴染んでいきました。いつか強くなって何かを成し遂げることを楽しみにしていました。もちろん一番の夢はオリンピックの金メダルでした。」

ベテルビエフはアマチュアで頭角を現していく。

2006年ブルガリア・プロヴディフで行われたヨーロッパアマチュアボクシング選手権にライトヘビー級(81 kg)で出場し金メダルを獲得。
2007年、ロシア選手権にライトヘビー級で出場し準決勝でセルゲイ・コバレフを破り優勝するが、シカゴで行われたAIBA世界ボクシング選手権決勝でアボス・アトエフに敗れ銀メダルに終わる。
2008年北京オリンピックにライトヘビー級(81 kg)で出場するも2回戦で張小平に敗れ敗退。
2009年ミラノで行われたAIBA世界ボクシング選手権にライトヘビー級(81 kg)で出場し金メダルを獲得。
2011年バクーで行われた2011年世界ボクシング選手権大会にヘビー級(91 kg)で出場し準々決勝でオレクサンドル・ウシクに敗れ敗退。
2012年ロンドンオリンピックにヘビー級(91 kg)で出場するも準々決勝でまたしてもウシク敗れ敗退、その後プロに転向。

夢へのチャレンジは2008年の北京オリンピックにベテルビエフを導いた。初戦はウガンダ代表のスウェーデン人、ケネディ・カテンデを破るも2回戦で金メダルをとることになる地元中国の張小平に議論の余地の残る判定で敗北。アマチュアでよくある露骨な地元判定によるもので、ベテルビエフのボクシングに対する陶酔、情熱は過ぎ去った。

オリンピックは若者の純粋でひたむきな夢を奪い去る、理想と現実が異なる残酷を知ったベテルビエフは目を涙で満たして心と態度を変えた。

「奪われた勝利」

ベテルビエフ
「この経験から自分はボクシングを単なる仕事と考えを改め、他の理由からモチベーションを引き出しました。アマチュア時代より厳しいトレーニングを課してプロになることを決意しました。」

プロボクシング:14戦 14勝 (14KO) 無敗

Vol.2に続く

https://www.youtube.com/watch?v=u89iXtyirXg

来月10月18日に遂にWBC王者、ロンドンオリンピック銅メダルのオレクサンドル・グヴォジクと統一戦が実現する現役バリバリのIBF王者、アルツール・ベテルビエフに関する物語。まだまだ現役、レジェンドとして語るには早いのですが、他に興味ある人がいないので取り上げました。あまり知られていない、情報の少ない選手なので、感動のストーリーという訳ではなさそうですが、彼の背後には重厚な物語がきっと隠されているはずです。

顔やファイトにそれが滲み出ています。

まだプロとして次で15戦目ですが、もう34歳。チャンスを前にして峠を過ぎたのか、これから大暴れするのかわかりませんが、私は後者を期待しています。アンドレ・ウォードが最後に引き受けるべき相手ではなかったか。

アルツール・ベテルビエフ
オレクサンドル・グヴォジク
ドミトリー・ビボル

彼らこそ、今が旬で危険な本物のライトヘビー級世界王者であり、カネロと戦うセルゲイ・コバレフはちょっと事情が異なる。

グヴォジクが嫌いなわけではございません。ただベテルビエフを応援したいだけ・・・

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プクー

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「ボクシング動画配信局」https://box-p4p.comの管理人です。 ボクシングで人生を学びました。

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