無敵の愚か者/The Grandmaster(グランドマスター)ディミトリー・ピログ

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無敵の人間などいないのだと自分に誓っていました。敗北は数十の勝利よりも多くの利益が得られると知っています。私はプロのリングで負けたことは一度もありませんが、いつでも負ける準備が出来ていると言う事実に備えていました。

元はチェスプレイヤーであったが、運動不足を解消しようと地元のジムにサッカーをしに行ったところボクシングとたまたま出会いボクシングを始めた。アマチュアでは230戦、国内のアマチュア選手権に何度も輝いている。2005年にプロに転向した。

テムリュク出身の元WBO世界ミドル級王者ディミトリー・ピログは現在地元の下院議員をしている。

謎に満ちたディミトリー・ピログのボクシングキャリアについて振り返ってもらった。

ピログ
「私はチャンスを最大限に生かしてベストを尽くしました。全てはアマチュアからはじまりました。私はロシアのチャンピオンシップで優勝しましたが、次のステップに進めませんでした。政治的な力が働きました。24歳でオリンピックの夢が断たれたのでボクシングを辞めることにしました。」

プロになる前にピログは一旦ボクシングを諦めていた。別の人生を模索していた。

ピログ
「1年間休み全く異なるアプローチをしました。
私は子供の頃からクラスで一番小さくて、自分より小さいのは女の子しかいませんでした。48キロしかありませんでした。ロシアのチャンピオンシップを獲得するにはロシア南部で勝つ、つまりコーカサス全体で勝利せねばなりませんでした。18歳の男性は既に髭の生えた成人で体力的に彼らを倒すことができませんでした。25歳になってはじめて私は肉体的にも強くなり、自分の望む方法で戦うことができるようになりました。

その時にプロで戦うことに決めました。とても楽しかったです。誰に勝ったか、何を求めるかは気にしていませんでした。ただ、やりたいようにボクシングができる喜びがそこにありました。」

プロになるとピログはロシア国内でなにかに急くようにキャリアを進めていった。

ピログ
「4試合目でロシアミドル級タイトルマッチをしました。前例のないことです。その試合に勝ち私はプロモーターと契約しました。サインなどありませんでした。イギリスへの移住を申し出られましたが、プロモーターはアメリカ進出を計画しました。

出来るだけ早く自分を確立し、強い相手を獲得しようと努めました。リスクをとる準備は出来ていました。結果的にとても早いキャリアで空位のWBOミドル級王座をかけてダニエル・ジェイコブスと戦う機会を得ました。

その時点で、ロシアのプロボクシング産業はあまり発展していませんでした。私のチームに外国人は一人もいませんでした。マネージャー、コーチ、アシスタントまで全てロシア人です。

私はロシアで11番目の世界王者になりましたが、ロシアで生活しトレーニングをしていたのは私だけです。他の選手は皆海外に出ていました。たぶんロシアのファイターは地元で生活しトレーニングもしていきたいのですが、そこではチャンスがありません。環境も投資家もいません。

しかし私はビジネスのための商品ではありませんでしたので、私をプロモートし、投資しようとする人はいませんでした。私は底辺からプロボクシングを始めたと言うことができます。

私は元々プロボクサーになってお金を稼ぎたいとはおもっていませんでした。ボクシング以外の別の人生を築き、お金を稼ぎビジネスをする必要があるとおもっていました。」

2010年7月31日、世界初挑戦と同時にアメリカデビュー戦。マンダレイ・ベイ・イベント・センターにて、セルヒオ・マルチネスが返上したWBO世界ミドル級王座決定戦にてダニエル・ジェイコブスと対戦し、判定では0-3(37-39、37-39、37-39)とリードを許していたものの、5回57秒TKO勝ちを収め、逆転で王座を獲得した。ジェイコブスはこの試合が初黒星となった。

ダニエル・ジェイコブスを倒した時、ピログは「重要なのはタイトルではない」と言った。

ピログ
「ボクシングを取り巻くムードこそが私には重要でした。80年代のテレビで見たボクシングに私は恋をしました。シュガー・レイ・レナード、ロベルト・デュラン、マービン・ハグラー。私にとっては彼らこそミドル級の最高峰です。彼らの戦いは美しかった。そこで賭けられたタイトルの事は憶えていませんが誰もが彼らの試合のことは憶えています。タイトルはもちろんあればいいとはおもいますが、今では誰も知らない世界チャンピオンがいます。

ジェイコブス戦では5万ドルのギャラをもらいましたが、アメリカでの試合、飛行機、宿泊と準備、2人のコーチとアシスタントの料金も全て自分で払いました。すると5万ドルのギャラに対して6万3千ドルかかりました。けれど私は全く後悔しませんでした。金銭交渉していたらこのチャンスを逃してしまうとおもいました。この試合に勝てば次の試合の報酬は上がるだろうとおもっていました。」

ピログ
「王者になると、指名挑戦者との防衛戦、またはトップ10以内のランカーとの選択試合があります。指名試合は人気がない相手でも受けなければなりません。私はゲンナジー・マーティロスヤンと戦うことにしましたが、ビジネス側の人間はみなこの男を知らないと言いました。しかし義務は義務ですから私は受けることにしました。これでは稼げない、商業的に失敗だと言われましたので試合をニューヨークではなく故郷のクラスノダールで行うことにしました。この時点でもボクシングでお金を稼ぐという目標はありませんでした。」

2011年9月25日、2度目の防衛戦でゲンナジー・マーティロスヤンと対戦。マーティロスヤンの10回終了時棄権により2度目の防衛に成功。

2012年5月1日、モスクワのクリタツコエ・スポーツ・パレスにて、元WBA世界スーパーウェルター級暫定王者石田順裕を迎え3度目の防衛戦を行い、3-0(119-109,120-108,117-111)の判定勝ちで3度目の防衛に成功。

2012年8月25日、ゲナディ・ゴロフキンの持つWBA世界ミドル級王座並びにIBO世界ミドル級王座に挑戦予定であったが、ピログ自身のトレーニング中の背中の負傷によりゴロフキンへの挑戦はグジェゴシ・プロクサが代わりに務めることが決まった。ピログの復帰戦の目処が立たず、防衛戦が行えないため王座を剥奪された。

ピログ
「ベルト自体は重要ではないのです。どうか理解してください。」

怪我はピログのキャリアを奪った。しかしピログは何度かボクシングへの復帰を試み、声明を出し続けた。

ピログ
「ゲナディ・ゴロフキンとの契約書にサインまでしたのに実現できませんでした。2013年に復帰の準備をしましたが負荷が大きく再発しました。3度再発を繰り返しもう元には戻れないと断念しました。100%の準備をしないで続けられるほどボクシングは甘いスポーツではありません。100%の準備ができなければ、取り組む必要はありません。

ボクシングを離れることは苦悩でした。手術をしたかったですが、手術をしても治る保証はないといわれました。手術後にまた故障したら障害につながる可能性があると言われました。本当に2013年は大変苦しい時期でした。

しかし私は常にどんな状況でもプラス思考です。私は24歳で一度ボクシングから引退しているのです。二度目の引退、これがキャリアの完了であることを哲学的に受け入れることができました。ボクシングは人生の全てではなく一部に過ぎない。今自分は新たな時を迎えているのだという謙虚な感覚がありました。私は自分が望んだことは全てやったじゃないかと・・・」

ボクシングをしていると恐怖で目を覚ますことがあるのではないか?

ピログ
「愚か者だけが恐れない、私は子供時代に自分自身を何度も再建しました。毎週戦った12歳の時、親戚や友人の前で絶えず勝ち続け、時には仲間と戦わなければならない時もありました。感情的なストレスにはうんざりしましたが、私はボクシングに対してはうんざりしていませんでした。ボクシングが大好きでした。

その後ソビエトのスポーツ学者が書いたパンフレットに出会いました。

「あなたがしている事を楽しむことを学べ」

これはラテンアメリカのサッカーチームを例えにしていましたが、その選手たちは皆に負けて失うものがなにもないことに気づき、試合を楽しむことにしたのです。その結果、彼らは勝ち始めました。だから私はボクシングを心から楽しむことにしました。楽しみながら相手を研究し、楽しみながらリングで即興を演じるのです。

国歌演奏、スポットライト、観衆の熱狂、それらを拒否することは不可能です。心から楽しむべきだと。」

無敗のまま、これから成功、稼ぐ時だった。ピログに起きた事は悲劇なのだろうか?

ピログ
「無敵の人間などいないのだと自分に誓っていました。敗北は数十の勝利よりも多くの利益が得られると知っています。私はプロのリングで負けたことは一度もありませんが、いつでも負ける準備が出来ていると言う事実に備えていました。私は数百万人の前でノックアウトすることができます。もしノックアウトされたのが私なら私はその事実と共に生きねばなりません。

私は失うことを恐れませんでした。恐怖などありません。私は私の人生を、望むように生きています。誰にも負けないように相手を選ぶくらいなら私はリスクを取ります。」

通算戦績 20勝15KO

ロシアミドル級王座
CISBBミドル級王座
ABCOミドル級王座
WBOアジア太平洋ミドル級王座
WBCインターナショナルミドル級王座
WBCバルチィックミドル級王座
WBO世界ミドル級王座(防衛3度)

Не боятся только дураки.

愚か者だけが恐れないというニュアンスがわかりにくいがそのままタイトルにしました。

ディミトリー・ピログVSダニエル・ジェイコブス

は得体の知れないロシア人が得体の知れない強さでスター候補を叩き落とした瞬間だった。
これが筋書きのないボクシングのカタルシスだ。

ディミトリー・ピログVSゲナディ・ゴロフキン

は幻の戦いだった。彼が現役でいたならミドル級の歴史は変わっていたかもしれない。
ロシアだけで育み培った孤高のスタイル、大好きだった。

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プクー

Author: プクー

「ボクシング動画配信局」https://box-p4p.comの管理人です。 ボクシングで人生を学びました。

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