一杯のコーヒー/シュガー・レイ・ロビンソン

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ロビンソンに関しては、1000杯のコーヒーでも足りないほどのエピソードがありそうだから、これはほんの一口。

シュガー・レイ・ロビンソン(Sugar Ray Robinson、1921年5月3日 – 1989年4月12日)は、アメリカ合衆国の男性プロボクサー。本名はウォーカー・スミス・ジュニア(Walker Smith Jr.)。ミシガン州デトロイト出身。元世界ミドル級および世界ウェルター級チャンピオン。

シュガー・レイ・ロビンソンはボックスもファイトもでき、激しく重いパンチを繰り出すこともそれに耐えるタフネスもあった。ダンスもスラッグも何でもできた。しかし唯一、ボクシングを辞めることだけが出来なかった。

彼のファンなら知っているだろうが、ロビンソンが25年のプロキャリアでストップされたのは一度だけだ。夏のニューヨークの炎天下の試合で、ジョーイ・マキシムのライトヘビー級に挑戦した試合、40度近い会場内の熱気にやられて過度の脱水となり、13回終了後のインターバル中に無念の途中棄権をしたのが唯一のTKO負けだ。ポイントは3-0でシュガー・レイがリードしていた。

173ポンドで計量(当日)した王者マキシムに対して、現役ミドル級王者シュガー・レイは157ポンド1/2。16ポンド近い体重差を押しての挑戦は、あと1歩で実らなかった。しかし、このように不屈の闘志で戦い続けるというロビンソンの素晴らしい素質が、晩年の彼を苦しめることになる。

あまりにも長い間、ボクシングという職業を続けてきた偉大なファイターはロビンソンだけではない。それでも、彼のウェルター級とミドル級の偉大な記録を考慮すれば、いかに過酷な戦いを強いてきたかがわかる。

他の多くのファイターのようにロビンソンはお金の問題を抱えていた。最高のパウンドフォーパウンドファイターとして得た膨大な現金は、手からこぼれる砂のようにふるい落ち、財産を残すことができなかった。

ロビンソン
「ボクシングには興味がない。ファイトが好きじゃない。」

何度もこう発言していたロビンソンはしかし何年も何年も戦い続け、高齢で衰えた身に過酷すぎるスケジュールを強いていた。

1921年5月に生まれ、1940年10月にプロデビューしたロビンソンは1961年に最後の世界タイトルに挑戦したが、ジーン・フルマーとの4度目の対戦で15ラウンド判定負けを喫した。39歳の時だった。年老いた元王者には試合が多すぎたが、ロビンソンはグローブを手放すことができず。さらにそれから40戦以上戦った。現代の基準では考えられない数字だ。

キャリアが徐々に終わりを迎えた1960年代に、完全に体力を消耗しダメージを残す過酷なスケジュールを組んでいた。1960年だけで4試合戦ったが、全てがミドル級タイトルマッチだった。これまで5度のミドル級王者となり歴史を築いてきたが、6度目の戴冠も近かった。しかし、(過去に勝っている)ポール・ベンダーにスプリットで敗れ王座を否定された。

12月3日、ジーン・フルマーの持つNBA認定世界ミドル級王座挑戦、15回引き分け。通算6度目の王座奪取に失敗。1961年3月4日、ジーン・フルマーにダイレクトリマッチで再挑戦、15回0-3の判定負け、またも王座奪取に失敗。そしてこの一戦が、ロビンソン生涯最後の世界タイトルマッチとなった。

これで、元最強王者は終わるべきだった。しかしロビンソンはリングに上がり続けた。

全盛期の派手な散財、事業投資の失敗などが祟り、リングに上がるしか稼ぐ方法がなかった。その実力も衰え、往年の彼なら簡単に倒していたような相手に敗れることもしばしばであった。しかし彼は、もう引退すべきだという評論家の声に対し

「彼らは私に一杯のコーヒーも奢ってくれたことはない。私は自分の生活のために闘うのだ。彼らの思い出のためにでなく」

と反論した。

ロビンソンは引退することができず、また引退する気もないまま、44試合を戦い続けた。かつては誰にも屈しなかった40代のロビンソンは、何を言われても受けざるを得なかったのだ。

ロビンソンの凋落は苦し紛れで、ゆっくりとした転落だった。かつては圧倒したであろうファイターに負けることも多くなった。ロビンソンはもはや色あせたスーパースターであり、凡庸なファイターになら昔の遺産だけで勝てるマスターとして、トリニダード・トバゴ、ロンドン、イギリス、ウィーン、オーストリア、ドミニカ共和国、ブリュッセル、ベルギー、スコットランドのペイズリーなどで戦った。

勝つこともあれば、判定負けで帰国することもあったが、シュガー・レイは家に長く滞在することなく、荷物をまとめて次の試合に備えて動き回った。

4年2か月で44戦戦い、30勝10敗3分1ノーコンテストという記録を残した。

ロビンソンのような偉大な王者が、晩年に何度も何度も戦い、もう衰えきって何も残ってないにも関わらず戦い続けるようなことは二度と見ることはないだろう。それはもちろん良いことだ。

ロビンソンは晩年、痴呆症に苦しんだ。仮に心身の消耗が少なく引退していたとしても、この恐ろしい症状に悩まされていたかどうかは誰にもわからないが、恐らくこのような霧の中で日々を終えることはなかっただろう。

シュガー・レイ・ロビンソンは歴史上最高のファイターとして称賛されているが、それは、ウェルター級やミドル級でのまばゆいほどの絶頂期のパフォーマンスによるものだ。それでも、ロビンソンがいかにタフで、勇敢で強かったかは決して忘れてはならない。

シュガー・レイ・ロビンソン、彼の人生とキャリアは、事実よりもはるかに良い、尊厳のある結末を迎えるべきだった。

ロビンソンの最終戦績は173勝109KO19敗6分、2つのノーコンテスト、という驚異的なものだった。
アマ戦績は85戦85勝69KO

彼のようなファイターは二度と現れないだろう。

リアルタイムの選手ではなく、過去映像も熱心に見てきた世代ではないので多くは語れないが、繊細緻密にして野性的、攻防よどみなき感性と芸術性、今のファイターと比べても見劣らない、あるいはそれ以上に美しいシュガー・レイ・ロビンソンが「オールタイム・パウンド・フォー・パウンド」と言われることは納得だ。

引退後

ロビンソンは自伝に、引退時の1965年までに既に稼いだお金を使い果たして破産しており、マンハッタンの小さな自宅アパートには、引退セレモニーで受け取った大き目のトロフィーを支えられる強度を持つ家具さえなかったことで、トロフィーを床に置かざるを得なかったと記している。

1967年、国際ボクシング名誉の殿堂博物館の殿堂入りを果たす。

晩年は糖尿病とパンチのダメージからアルツハイマー病を発症。

67歳で死亡、イングルウッドの共同墓地に埋葬された。

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プクー

「ボクシング動画配信局」https://box-p4p.comの管理人です。 ボクシングで人生を学びました。

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