果たされることなき約束/(チュコラティート)ローマン・ゴンサレス

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私は日本が大好きです。故郷であるかのように感じますがいつか私の本当の故郷で防衛戦がしたいです。

マナグアの小さな少年、ローマン・アルベルト・ゴンサレス・ルナはニカラグアの容赦ない太陽の下、神から与えられた自然な才能を磨くため、グァバの木の枝に吊るした出来損ないのパンチングバッグを叩いていた。

その謙虚な少年は、ささやかな始まりから歴史に残る驚異的なファイターの一人に成長した。

「チュコラティート」と呼ばれる彼は、アマチュア、プロで負けたことが一度もなく(131試合)3階級で世界王者に輝いた。

息を飲むようなスキル、統制された攻撃力、流れるようなコンビネーションの融合、彼は昔からもっと評価されるべきスーパースターであるはずだったが、軽量級のため、彼が世界で評価されたのは、プロ43戦目、アメリカでエドガー・ソーサを破った試合が初めてだった。

ニカラグアでは間違いなく、伝説のアレクシス・アルゲリョに次いで2番目に評価されるべきファイターであるゴンザレスは、この冷遇に対しても謙虚で、必要以上の名声を求めてはいない。彼を偉大たらしめているのはこの揺るぎなき謙虚さだ。

ゴンザレス
「私の同胞、ニカラグアの人々は多くの愛と敬意で私を受け入れてくれました。彼らは私の事を謙虚な人だと言います。写真を撮ったり、イベントがあれば私はいつもそこにいて彼らと親密に接します。それが私の性格なのです。」

ラテンアメリカから出てくる多くのファイターと同様、ゴンザレスの最大の敵は貧困であり、子供の頃は砂糖水が唯一のお菓子だった。

カルロス・ブランドン(マネージャー)
「ローマンは貧困を克服してきました。貧しさからボクシングを選ぶしかなかった。彼の牛乳は紙パックやペットボトルではなくビニール袋に入っていました。空になった牛乳のビニール袋に砂を詰めてパンチバッグを作ってグァバの木に吊るして叩いていた。7歳の時でした。彼の父親はアルコール依存症でした。元々ボクシングよりサッカーが好きな子供でしたが、父親に隠れてサッカーをしていました。プロになると父親はアルコールを断ちコーチになりました。彼らの関係は今では素晴らしいものになりました。戦いのときはいつも傍らにいて神に祈りを捧げる。それがローマンに大きな勇気と精神的な力を与えています。」

サッカー好きの少年にはボクシングの遺伝子が宿っていた。父親、叔父、祖父、曽祖父、みんな特に偉大な記録を残したわけではないがボクサーだった。父親のルイス・アルベルトだけが、国内で2度の王者になり、そこそこ成功したボクサーといえた。

しかしニカラグアの伝説、アレクシス・アルゲリョは、そんなローマンの才能に若い頃から気づいていた。

ブランドン
「ローマンはアマチュアで88度戦い、一度も負けませんでした。アルゲリョは15日置きにアマチュア大会を主催し、ローマンをよく観ていました。ダイヤモンドの原石をみつけ、特別なトレーニングを指導してくれました。だからアルゲリョこそ、ローマンを作ったといっても過言ではありません。」

当然のことながら、ローマンにとってアルゲリョは憧れ、永遠のスターだ。

ゴンザレス
「ボクシングで残した業績のためにアルゲリョと比較されて語られるのは光栄ですが、私とアルゲリョでは比べ物になりません。彼が私にボクシングをみせてくれ、教えてくれました。多くの人は現役である私がボクシングの歴史のどの位置にいるのか知りたいのでしょう。」

ゴンザレス(43勝37KO 当時)は3階級王者であり、フランシスコ・エストラーダ、八重樫東、フランシスコ・ロドリゲスJr、高山勝成、新井田豊、エドガー・ソーサらを破り、未だ無敗の快進撃を続けている。負けをしらないというのはどのような気分なのだろうか。

ゴンザレス
「覚悟は出来ています。リングに入ったらいつでも負ける可能性があります。絶対負けないという神への信仰はありますが、覚悟は出来ています。このスポーツでは敗北は隣りあわせなのです。」

最軽量級に属するローマンの立場では、アジアでより有利なチャンスがあるため、日本の帝拳ジムと契約している。

ゴンザレス
「私は日本が大好きです。故郷であるかのように感じますがいつか私の本当の故郷、ニカラグアで防衛戦がしたいです。」

カルロス・ブランドン(マネージャー)
「2011年にはじめてローマンと出会い、それ以来弁護士兼マネージャーをしています。帝拳プロモーションと契約し彼にふさわしいチャンスを与えてくれました。マネージャーになる前から彼のファイトはファンとして、ファイトも人間性も大好きでした。スキル、決意、謙虚さにいつも感動しています。」

アジア市場で今ホットなのは、WBOスーパーフライ級王者、井上尚弥との対戦だ。井上はわずか8試合で2階級の世界王者に輝いた。

ゴンザレス
「私の目標はスーパーフライ級で世界王者になることです。井上はスーパースターで素晴らしいチャンピオンです。ボクサーとして彼のスキルを賞賛します。井上と戦いたいです。素晴らしい試合になるでしょう。日本で井上に何度か会ったこともあります。とてもいい人で、プロモーターの大橋秀行と偉大な王者、八重樫東がジムメイトです。

会場がどこであっても戦いたい。このチャンス、神の祝福、私のチーム、コミュニティに感謝しています。やがて、世界中の人々が、私が何者であるのかを知ることになるでしょう。」

アマチュアボクシング: 87戦 87勝 無敗
プロボクシング: 50戦 48勝 (40KO) 2敗

ニカラグアライトフライ級王座
WBAフェデセントロライトフライ級王座
WBAフェデラテンミニマム級王座
WBA世界ミニマム級王座(防衛3=返上)
WBA世界ライトフライ級暫定王座(防衛0=正規王座認定)
WBA世界ライトフライ級王座(防衛5=スーパー王座認定)
WBA世界ライトフライ級スーパー王座(防衛0=返上)
WBC世界フライ級王座(防衛4=返上)
リングマガジン世界フライ級王座
WBC世界スーパーフライ級王座(防衛0)

他の記事を紹介したかったが、2015年当時、43勝37KO無敗、ゴロフキンの前座でアメリカでやっとローマン・ゴンザレスが本当の意味で世界デビュー、認知された頃のものです。その圧倒的な勝利と過去の実績で、ゴンザレスはフライ級にしてパウンドフォーパウンド、ナンバーワンに評価されました。

その後、ブライアン・ビロリア、マックウィリアム・アローヨを破り、盤石の強さを発揮、カルロス・クアドラスに大苦戦するも、4階級目のスーパーフライ級王者に輝いた。しかし、次の試合で選んだタイのシーサケット・ソールンビサイにキャリア初黒星、再戦で完全ノックアウトされ、30歳を過ぎたゴンザレスの時代は終わったと言われた。

1年のブランクを空け、2018年モイセス・フェンテスをノックアウト、再び1年以上間隔を空けて、先月日本で格下のフィリピン人に圧勝、今年再び、WBAの無敗王者、カリ・ヤファイに挑戦目前まできている。

現在32歳、50戦48勝40KO2敗のローマン・ゴンザレスにはまだ力も若さも残っているようにおもうが、ほぼアウェーで可能な限り全ての相手と戦ってきた。もう証明すべきもの、進化すべきものも何もないともいえる。

カリ・ヤファイは、元オリンピアンのテクニシャンだが、シーサケットのようなパワー型の選手ではないのでゴンザレス勝利の確率も高いだろう。しかし身長160センチ、リーチ163センチの小さな32歳のレジェンドにとり、スーパーフライ級以上の荷は重すぎる。

現役にして伝説の「チュコラティート」が最後に求めるのは井岡一翔なのか井上尚弥なのか・・・

それは果たされることのない約束なのか。

ロマゴンのキャリアはまだまだ続く。
しかしもう我々ファンは全てを見届けた。
体格以外、何も不足のない完全無欠な究極のファイターの姿を。

約束は果たされなくともかまわない。

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プクー

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「ボクシング動画配信局」https://box-p4p.comの管理人です。 ボクシングで人生を学びました。

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