それはまるで地下社会のようです。ボクシングの政治を変えるために出来ることはほとんどありません。ボクシングの世界には隠された真実のようなものがあり、これらを暴くと多くの企業や権力者の利益を損ねることになり、社会から追放されてしまいます。
トラヴィス・シムズがリングを去った理由を理解するのはミステリーではない。彼は父も祖父も曽祖父もボクサーで、1900年代に遡り5代続くボクシング一家で育った。トラビスと双子の兄弟、ターヴィスはトレーナーのジョン・ハリスの元、わずか5歳の頃にはジムにいた。故郷のコネチカット州サウスノーウォークの不動産プロジェクトは「Travis Simms Way」と名付けられているほどだ。
WBAスーパーウェルター級のタイトルを2度獲得、29戦19KO、わずか1度の敗北でTremendous (恐るべき)サウスポーはリングを去った。
予想外だったのはシムズのセカンドキャリアで、彼は故郷で政治家としての地位を固めている。地元の名士、オサ・ブラウン・ジュニアと公民権のリーダー、メアリー・ビー・ブラウンの公共サービス、政治活動に触発された。
シムズ
「彼らは地域コミュニティ、弱者に情熱を注ぐ2人のアフリカ系アメリカ人でした。本当に刺激を受けました。」シムズはボクシングから政治の世界にシームレスに移行し、今ではコネチカット州第140地区の代表だ。選挙では70%近い支持率を獲得した。
シムズのリングでの戦いは選挙よりも一方的なものだったが、それらはみかけほど簡単な話ではなかった。
2003年12月13日にアレハンドロ・ガルシア(メキシコ)に挑戦し、左手一本で5回KOで勝利しWBAスーパーウェルター級のタイトルを獲得。しかし実際はインフルエンザに苦しみ、ひどい高熱で、指を2本骨折していた。
シムズ
「いつか世界タイトルマッチが来るんだと誓っていましたが、問題だらけでした。トレーナーはこの試合のキャンセルを望んでいたけど、リングで死ぬ覚悟があるなら組んでやると言われました。」10か月後にブロンコ・マッカートを下してからシムズは2年のブランクを作ってしまう。バスケの試合でアキレス腱を切ったのが理由だが、このブランクのせいで、当時のスター、オスカー・デラホーヤ、シェーン・モズリー、フェルナンド・バルガス、ロナルド・ライト等に交わることなく脇に置かれた。
怪我から回復し、ロナルド・ライトがシェーン・モズリーを破りタイトルを統一した時にライトとの対戦を望んだ。しかしWBAはアレハンドロ・ガルシアとの再戦を指令し、それを拒否したシムズからタイトルを剥奪、妥協案として「休養王者」という肩書を与えたが、ビッグマッチの道は断たれた。
シムズ
「だからWBAがスーパーチャンピオン制度を作った時、人々はそれを「トラヴィス・シムズルール」と呼んだんだ。デラホーヤやフェルナンド・バルガスの指名挑戦者から私を除外し、私にはママドゥ・チャムやサンチャゴ・サマニエゴと戦えと指令した。」シムズは2007年に復帰しショータイムのカードでホセ・アントニオ・リベラを9回TKOし正規王者の座に返りついた。
https://www.youtube.com/watch?v=ZwvfLoZUmHU
しかし次戦でヨアキム・アルシーネにユナニマス判定で敗れ初黒星。試合は議論の余地あるもので、トラヴィスの地元ブリッジポートに苦い後味を残した。
シムズ
「あの試合は辛い思い出です。特にせっかく地元のブリッジポートで戦うことができたのに、あんな判定が下されるとは。控え目に言っても耐えがたき出来事でした。」その後、2008年、2009年、2014年にシムズは3度だけ戦い、全てに勝利したが、タイトルマッチに近づくことは出来なかった。
シムズ
「ボクシングから得たものよりも、与えたものの方が多かったとおもいます。」ボクシングと政治、共に経験豊富なシムズにとって、どちらがより冷酷な世界なのだろうか。
シムズ
「断然ボクシングの世界です。それはまるで地下社会のようです。ボクシングの政治を変えるために出来ることはほとんどありません。ボクシングの世界には隠された真実のようなものがあり、これらを暴くと多くの企業や権力者の利益を損ねることになり、社会から追放されてしまいます。」以下、現在の政治活動については割愛。
トランプ大統領に批判的で、彼を「非常に分裂主義的で、アメリカや同盟国を悲惨な世界に導いている」として、バーニー・サンダース上院議員を大統領候補に支持している。現在、政治活動に邁進しているシムズだが、地元のボクシングコミュニティにも顔をだす。48歳になるシムズはジョージ・フォアマンやバーナード・ホプキンスの活躍に触れ、自分のトランクスを身に着ける。
シムズ
「あともう一試合、トラヴィス・シムズのラストランは決してありませんよ。」
28勝19KO1敗
WBA世界スーパーウェルター級王座(1期目は防衛1=剥奪。2期目は防衛0度。)
ずっと書きたかったが、議員名簿のようなものしかなく書けなかったのがTremendous (恐るべき)トラヴィス・シムズだ。
突如、全勝でやってきて、途方もないスキルで王者に輝き、しかし人気はサッパリで、この恐るべきファイターは何なんだと当時唸ったものだ。
サウスポーの熟練のパンチャーで、並でない能力を感じたが、アマチュアが長くプロでは遅咲き、かなり高齢で、世間が期待する若きスターではなかったのかもしれない。ヨアキム・アルシーネに対する敗北も、どっちに転んでもいいような内容、あるいは逆ホームタウンデシジョンのようだったと記憶している。
実質無敗のまま、あっという間に駆け抜けたプロキャリアだった。
マスターといえるオリジナルで高難度のサウスポーのパンチャー。
望まれなかった天才職人、闇から闇を駆け抜けた孤高のジョーカーだった。
今はただ当時の余韻に浸るだけ。
ドン・キングなのも、もはやメインストリームではなかったのかもしれない。