さよならも言わずに/(Siri=シリ)オルランド・サリド
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いくつもの困難がありました。人生の中で私は誰からも信用、認識されていませんでした。世界王者になるのに時間がかかりましたが、自分の人生で初めて信用を得られることができました。

オルランド・サリド、不屈の雑草、ロマチェンコに何が何でも歯向かった男。人間として、ボクサーとして恐らく後ろめたい、白とはいえぬ男であると予想する。しかしそのファイトを通じ、この記事にある人生を知るほどに、私はこの男を嫌いにはなれない。【人となり】も【性格】も知らないが、彼のファイトは好きだし生き様にも惚れる。

オルランド・サリドはメキシコのボクサーを体現したような男だ。人生でもリングでも苦労しなかった事は一度もない。22年のキャリアを誇るベテランはこれまで2階級で5つの世界王座を獲得してきたが、全てをスクラップビルドしていかねばならなかった。

1980年、11月16日、メキシコ北部ソノラ州のシウダード・オブレゴンで生まれたサリドの生活は困窮を極めた。

サリド
「生きていくのが大変でした。家はとても貧しく13歳の時に父が亡くなりました。そしてある日学校から帰ると母がいなくなっていました。母は別の男と結婚するためにさよならも言わずに出て行ってしまいました。

私は妹を連れて祖母の家にいきましたが、祖母の家はさらにひどく汚れた床の段ボールハウスでした。食料を確保することが出来ず、生きるために盗みをしなければなりませんでした。あの頃は人生でとても辛い時期で、悪い仲間ともつるみました。その多くがドラッグをやっていましたがドラッグだけは私は手を出しませんでした。寝る場所が必要だったのです。私の人生はドン底でした。」

サリドが10歳くらいの時に友達がボクシングを紹介してくれた。
地元のヌエボス・ボラレスジムに訪れた。ここが25年以上経った今もサリドのトレーナーであるビクター・バロンとの出会いだった。サリドはボクシングについて何も知らなかったが、生活や家族の過酷さを紛らわせるためにこれに集中しようと決めた。ボクシングが最優先事項になっていった。

15歳でサリドはプロになる事を決めた。

サリド
「まず第一に食うために稼がなければなりませんでした。何も考える余裕はありませんでした。コンディションが悪くても連絡が来たらとにかく試合を受けていました。お金が欲しかったのです。」

Siri=シリ(サリドのニックネーム)は4年間で18戦、全てメキシコで戦い、11勝7KO6敗1分という成績だったが稼ぐためもっと試合がしたかった。そこで、長年の友人、フェルナンド・ロホ(ボクシングを紹介したのもこの男)がアメリカに移動するのにあわせ、サリドもアメリカ行きを決める。

サリド
「身分証を持っていなかったので、(コヨーテ=闇業者)に金を払い、砂漠を通って違法入国しました。昔の罪をお許しください。今は100%合法でアメリカにいます。」

サリドは友人のロホと「オドンド」と呼ばれる怪しい男とアメリカで暮らし始めた。ボクシングに対する情熱は冷め、建設作業員として働いた。数か月もすると再びボクシングへの渇望が沸き始め、迷わずその道を取った。

サリド
「アメリカで最初の試合は判定負けでした。2試合目は引き分け、でもこの時に俺はボクシングで何かできると自信がわいてきました。何かが変わり始めていました。2001年5月18日、ラスベガスでのマーク・バース戦の8回引き分け、あの時、プロとして真剣にトレーニングに取り組むようになりました。」

2001年終わりには元世界王者のレジリオ・ツールにアップセットで勝ち、もう一人の元世界王者のアレハンドロ・ゴンザレスには議論の残る判定で敗れた。

翌年、サリドは無敗のプロスペクト、ラモン・ピアーソンの踏み台として初めてテレビ放映される試合に出場、IBF1位に判定勝ちのアップセットを起こした。

翌日、サリドはラスベガスに行きトップランクと契約、8連勝を記録し遂にIBF/WBAフェザー級王者のファン・マヌエル・マルケスへの挑戦権を掴んだ。試合はユナニマス判定負けで王座獲得に失敗、トップランクとの契約も解除されるも、その敗北はいい学習曲線となった。ゼンファープロモーションのフェルナンド・ベルトランとマネージャーのシーン・ギボンズに出会う。

https://www.youtube.com/watch?v=FThiEgM05mk

2006年秋、フロイド・メイウェザーVSカルロス・バルドミールの前座で、IBFフェザー級タイトルをかけてロバート・ゲレロと対戦し、3-0の判定勝ちを収め王座獲得に成功。しかし、試合後のドーピング検査でナンドロロンの陽性反応が出たため、試合は無効試合となった。

サリド
「私は人生やボクシングキャリアを通じて、パフォーマンス向上薬を使ったことなどありません。別のラボで調べたら陰性反応だった。だから今日までそれは謎のままです。」

その後アメリカやメキシコで5連勝したサリドは2年の歳月をかけ、2008年10月23日、同胞のクリストバル・クルスと空位のIBFフェザー級王座を争うも1-2の判定負けを喫し王座獲得に失敗。

サリドの功績には人生で味わってきたのと同じ信じられぬほどの忍耐を加えねばならない。

2010年5月15日、IBF世界フェザー級王者クリストバル・クルスと再戦し、2回に2度ダウンを奪い3-0の判定勝ちでこれまで逃してきた王座を遂に獲得した。

次戦でいきなりWBA王者のユリオルキス・ガンボアと統一戦、ガンボアからダウンを奪うもユナニマス判定で王座を陥落。

翌年、2011年の春サリドはプエルトリコに向かい、当時無敗の人気者、ファン・マヌエル・ロペスに挑戦した。当時急成長していた無敗のプエルトリコのスターはサリドを踏み台にさらなる階段を駆け上がろうとしていた。

サリド
「30戦無敗というファンマの記録をみた。私が戦ってきた相手の方がハイレベルだ。ファンマはBクラスをノックアウトしてきただけだとおもいました。最初の数ラウンドで、ファンマは私のものでした。」

完璧な試合を遂行し8回、プエルトリコのファンの前でサリドはロペスをノックアウトした。

これが人生の中でも最高の勝利だとサリドは振り返る。

サリド
「無敗で人気者の選手を相手のホームでノックアウトした。あの勝利が私をネクストレベルに導きました。」

2度の防衛に成功

2012年3月10日、プエルトリコ・サンフアンのロベルト・クレメンテ・コロシアムで元WBO世界フェザー級王者でWBO世界フェザー級1位のファン・マヌエル・ロペスと再戦し、10回32秒TKO勝ちを収めWBO世界フェザー級王座の2度目の防衛に成功。

2013年1月19日、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデン・シアターで、WBO世界フェザー級1位のミゲル・アンヘル・ガルシアと対戦し、8回にサリドのバッティングでガルシアが鼻を骨折し試合終了。(70-79、2者が69-79)の負傷判定負けを喫しWBO世界フェザー級王座の3度目の防衛に失敗、王座から陥落。

2013年10月12日、ラスベガスのトーマス&マック・センターでファン・マヌエル・マルケス対ティモシー・ブラッドリーの前座でWBO世界フェザー級2位のオルランド・クルスとWBO世界フェザー級王座決定戦を行い、7回1分5秒TKO勝ちを収め9か月振りとなる王座返り咲きに成功。

2014年3月1日、テキサス州サンアントニオのアラモドームにてフリオ・セサール・チャベス・ジュニア対ブライアン・ベラの前座で、オリンピック金メダリストでWBO世界フェザー級6位のワシル・ロマチェンコと対戦したが、前日計量でフェザー級の規定体重である126ポンドを2.25ポンド超過の128.25ポンドを計測し再計量も拒否した為、体重超過で王座を剥奪された。ロマチェンコが勝った場合のみ王座獲得となる条件で試合が行われ、サリドが12回2-1(116-112、115-113、113-115)の判定勝ちを収めたためWBO世界フェザー級王座は空位となった。

2014年9月20日、バハ・カリフォルニア州ティフアナのアウディトリオ・ムニシパル・ファウスト・グティエレス・モレノでWBO世界スーパーフェザー級3位のターサク・ゴーキャットジムとWBO世界スーパーフェザー級暫定王座決定戦を行い、11回16秒KO勝ちを収め2階級制覇

2015年4月11日、プエルトリコ・サンフアンのコリセオ・デ・プエルトリコ・ホセ・ミゲル・アグレロットで元WBO世界スーパーフェザー級王者でWBO世界スーパーフェザー級13位のローマン・マルチネスと対戦し、12回0-3(111-114、110-115、109-116)の判定負けを喫しWBO世界スーパーフェザー級王座の初防衛に失敗、王座から陥落。

2016年2月20日、WBO世界スーパーフェザー級王者ローマン・マルチネスと3度目の対戦を行う予定だったが直前になって中止になった。

2016年6月4日、ロサンゼルスのスタブハブ・センター・テニスコートでWBC世界スーパーフェザー級王者のフランシスコ・バルガスと対戦し、12回0-1(113-115、2者が114-114)の判定で引き分けたためWBOに続くスーパーフェザー級2冠に失敗。

2017年12月9日、マンダレイ・ベイ・リゾート アンド カジノでミゲル・ローマンとスーパーフェザー級10回戦を行い、9回1分43秒TKO負け。

試合後、サリドは現役引退を表明した。

サリドのキャリアを振り返ると、プエルトリカンに対して3勝1敗1分、両国のエキサイティングな戦争に色を添えたファイターの一人といえる。

サリド
「メキシコとプエルトリコの偉大なボクシングの伝統を感じ、リングインする時は特別な重みを感じた。ファンは両国の戦いにとても情熱的です。メキシコを代表してこれらの戦いができたことはとても名誉です。」

サリドは長いキャリアで多くの偉業を成し遂げたが、タイトルマッチの勝利より価値があるものがあるという。

サリド
「いくつもの困難がありました。人生の中で私は誰からも信用、認識されていませんでした。世界王者になるのに時間がかかりましたが、自分の人生で初めて信用を得られることができました。それを誇りにおもいます。」

サリドは結婚して4人の子供がいる。現在アリゾナ州フェニックスに住み、アメリカとメキシコに不動産を所有している。子供のパーティービジネスもしている。バルーンキャッスル(空気で膨らませるお城の形の遊具)の移動と設置で忙しく過ごしている。

サリド
「子供たちが私より良い人生を送る機会を与えてくださったことに感謝している。彼らが良い教育を受け、人生で望むことは何だってできると知っている。彼らと家の周りで過ごすこと、自分の車で仕事をすることが大好きです。」

通算戦績
63戦 44勝 (31KO) 14敗 4分 1無効試合

ライバルについて

ベストジャブ ファン・マヌエル・マルケス

常にリズムを守り、様々なカウンターを駆使してきました。彼と戦った時の私はエリートレベルでの経験がありませんでした。もっとキャリアの後半で彼と戦ってみたかった。キャリアを積んだ私がマルケスに対しどう戦うのか試してみたかった。

ベストディフェンス ファン・マヌエル・マルケス

常に一歩先をいっていた。全体をみて私をコントロールしていた。

ベストチン ロッキー・マルチネス

2試合目ではいいパンチを何度も入れたけど彼はタフに全て受け止めた。

ハンドスピード ワシル・ロマチェンコ

まさにとても速いパンチだった。

フットワーク ワシル・ロマチェンコ

リングをよく動き回った。

スマート ファン・マヌエル・マルケス

リングでどうすればいいのかよくわかって完璧に遂行していく。リングの賢人だ。

屈強 レジリオ・ツール

フィジカルがとても強かった。何度か私の方が大きくて強いんだと忘れそうになった。

ベストパンチャー マイキー・ガルシア

おもっていたよりもずっと重いパンチで正確だった。

ベストスキル ファン・マヌエル・マルケス

私と戦った時の彼は素晴らしいボクシングでディフェンスも美しくカウンターも見事なピークだった。

総合 ファン・マヌエル・マルケス

今まで戦ってきた相手で最高のファイターだ。常に私に完璧なボクシングのレッスンを施した。みんながチェッカー(駒とりゲーム)をしているのに彼はチェスをしているようなものだった。

久しぶりに面白いなといえるインタビュー・・・というより人物、生き様でした。
それはサリドだからだろう。

足跡をたどると偉大だが、試合の度に薬物やら体重超過やら軽犯罪やら何らかのミソがついていた部分は軽く省いておきました。

悪い仲間ともつるみはじめました。その多くがドラッグをやっていましたが、ドラッグだけは私は手を出しませんでした。

わざわざそう言うところが、やらないわけないでしょ、という証拠な気がします。

しかしこのような環境、生き様ではそういう文化や習慣が抜けきらないのは仕方がないことなのかもしれません。

食うためだけに始めたボクシングからの凸凹キャリアですが、メキシコデビュー戦でも負け、不法入国したアメリカでも初戦に負けてよく続けてきたと感心せずにはいられない。(コヨーテ=闇業者)や「オドンド」と呼ばれる怪しい男が出てきた時は八百長マッチの巡業でも始めるのかという映画みたいな面白い展開でしたが、どうやらこの「オドンド」が仕事や試合の世話をしてくれたようで、アメリカ2戦目の引き分けの時に「俺はボクシングで何かを成す男だ」と確信したというところは興味深いです。

既に知ってたサリドは敗戦多い叩き上げでしたからこんなルーツがあったのかと楽しい時間になりました。

[st-card id=3353 ]

昔こんな記事も書いていました。

このブログの前身にこういうものがあって

[st-card-ex url="http://boxingmania.blog95.fc2.com/" target="_blank" rel="nofollow" label="" name="" bgcolor="" color="" readmore="続きを見る"]

その頃にたしか

サリドVSマルケスを観たような気がする。

サリドが言うほどマルケスの一方的、美しい試合ではなく、サリドの泥臭さにマルケスがやりたいように出来ない空回り、試合に勝って喧嘩に負けたマルケスのような印象を受けました。(あの頃はマルケスファンでサリド誰だよ戦績悪いなくらいにしかおもっていなかった。)

サリドで検索すれば今のこのブログでも色々出てくるだろうし、あの野犬、狂犬のようなタフファイトは本当にしぶとく強く、あと少しで実現した

三浦隆司VSオルランド・サリド

は本当に観たかった。

エリートアマチュア全盛時代のプロボクシング界において、サリドのキャリア、特にデビューから世界獲得までの道のりと途中からの確変は本当に奥が深い、映画のような人生、ボクサーでした。

おまけ

引退のあとに少しあり

2017年12月13日、上述のローマン戦後の引退表明を撤回した。スーパーフェザー級かライト級での再起を目指すとのこと。

2017年12月31日、メキシコの酒場で酒に酔って喧嘩をしたとして逮捕された。

2018年5月16日、地元のコンビニエンスストアで缶ビール16本を盗んだとして逮捕された。

2018年7月、ソノラ州の議員に当選した。

ソノラ州の議員に当選とあるからこれで本当に引退だろう。
極貧のチンピラが議員になった。パーティーバルーンの方が似合う。

喧嘩に窃盗・・・やはり昔の手癖は抜けない・・・

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