ヨリボーイ・カンパスを紹介した際に出てきた、最強の「無冠の帝王」ホセ・ルイス・ロペス。実際は無冠ではないが彼の記録は第5代WBO世界ウェルター級王者(防衛0)たったこれだけだ。自分のためにもそんな彼の知られざる足跡を残しておくことにする。
[st-card-ex url="https://boxvideo.sports-web.net/world-boxing/11306" target="_blank" rel="nofollow" label="" name="" bgcolor="" color="" readmore="続きを見る"]1990年代半ばから後半にかけて、メキシコの伝説フリオ・セサール・チャベスという巨星は衰退し始めていた。チャベスに続く偉大な王者として多くのメキシカンボクサーがその隙間を埋めるべく活躍した。
マルコ・アントニオ・バレラ、エリック・モラレス、ファン・マヌエル・マルケスらがその中心にいた。しかし彼らとは別の世界、階級で、孤高の存在として自身を確立しようとしていた男がもう一人いた。その男こそホセ・ルイス・ロペスだ。
ロペスは典型的なメキシカンファイターではなかった。リングを離れると彼はサーファーであり、モーターサイクルの愛好家だった。バイクでヨーロッパ中を旅することもあった。ひとたびリングに入ると恐怖のアタッカー、どんな戦いでさえ自分のものにしてしまうアグレッシブなパンチャーだった。
ロペスはメキシコのディランゴで生まれ育ち、子供の頃からボクシングに親しんだ。父親のホセ・ルイス・ロペス・シニアもまた元ボクサーであり、息子は15歳でプロになり父の足跡をたどった。
1989年~1996年にかけて、36勝27KO3敗1分という記録を残したが、主にメキシコで戦っていたため対戦相手は無名が多かった。1996年4月13日、イギリスのリバプールのエバートン・パーク・スポーツ・センターでWBO世界ウェルター級王者イーモン・ローランと対戦。
王者のローランはロペスを比較的簡単な防衛戦の相手として選んだつもりだった。しかしロペスは途方もないパンチ力を発揮し、初回にローランから3度ダウンを奪って試合終了。ウェルター級世界戦最短KOとなる初回51秒TKO勝ちで王座獲得に成功した。
世界がロペスを知った驚愕の瞬間だった。
半年後、未来の世界王者、ヨリボーイ・カンパスと防衛戦、カンパスは64勝1敗という猛者でロペスには厳しい挑戦者とみられていたが”マエストロ”は2回にコンビネーションからの左アッパーでカンパスからキャリア初のダウンを奪うなど優勢に試合を進め、5回終了時棄権で初防衛に成功した。
しかし試合後にマリファナが検出され、ロペスのタイトルは剥奪された。
王者の肩書が消えてもロペスのキャリアに悪影響はなかった。1997年はロペスにとっては素晴らしい年になった。
元WBC世界ウェルター級王者ホルヘ・バカと対戦し6回58秒TKO勝ち。https://www.youtube.com/watch?v=Nf9sRmuB1tU
HBOデビューを果たし、元WBA世界ウェルター級王者アーロン・デイヴィスと対戦し10回判定勝ち。2-0という苦しい試合だったがとてもエキサイティングな試合となった。
https://www.youtube.com/watch?v=3IWCa52ptjw
この2つの勝利がロペスを別のタイトルへの挑戦に導いた。WBA世界ウェルター級王者アイク・クォーティへの挑戦だ。
コネチカット州マシャンタケットのフォックスウッズリゾートアンドカジノで97年10月17日に行われた試合は「バズーカ」クオーティーがロペスに対しジャブをピストンのように突いて飛ばしたが、2回ロペスはクオーティのパンチに合わせた右ストレートでクオーティーの手をキャンバスに着かせた。クオーティーは回復しジャブでアウトボクシングし続けたが11回に再びクオーティーから明確なダウンを奪った。クオーティーは立ち上がり再開に応じたが、最後までロペスのプレッシャーにさらされてロペス勝利の印象のまま試合を終えた。判定はスプリットでクオーティーを支持したが、集計ミスで引き分けだった。
ロペスの株は急上昇し、時のヒーロー、オスカー・デラホーヤの対戦者候補3人のうちの一人と言われた。その後クオーティーとの再戦指令がWBAから出るも、クォーティはオスカー・デ・ラ・ホーヤとの対戦を優先したため再戦は実現しなかった。
その後も全てKOで3連勝、1998年12月5日、WBA世界ウェルター級王者ジェームス・ペイジと対戦。ロペスはペイジを2度ダウンさせるも、クオーティー戦と同じ非情な採点は12回0-3(111-116、112-115、111-115)でペイジを支持した。
https://www.youtube.com/watch?v=ZEVit5S1u88
この敗北がロペスには大きな失意となり、その後2年間試合から遠ざかった。2000年に復帰し2010年までに8勝5KO1敗。大きなチャンスに恵まれることなくそのまま引退となった。
生涯戦績51勝39KO5敗2分
ホセ・ルイス・ロペスは個性的でスペシャルなファイターだった。こんなに危険なファイターは他にいなかった。2つの試合、アイク・クオーティー戦、ジェームス・ペイジ戦の判定が違っていたら、2試合ともに2度のダウンを奪っていた。勝負を判定に委ねずKOで終わらせることができていたならその後何が起きていただろう。
フェリックス・トリニダードやオスカー・デラホーヤというスターに挑戦できただろうか?ホセ・ルイス・ロペスはとにかく破壊的なパワーの素晴らしいファイターだった。2人のシャイなファイターを偉大な伝説たらしめ、自身は忘れられた伝説になった。
なぜ消えてしまったのか、いや消えてなどいなかった。ロペス自身の言葉がないので真相は定かではありませんが、記事を読むとなんとなくわかるような気がする。ダウンを2度奪うも負け→引き分けとなったアイク・クオーティー戦、これはまだいい、自分の株を上げた記念すべき試合となったから。
しかし、巨額を産むヒーロー、オスカー・デラホーヤ戦を引き当てたのは、ロペスとの試合後ブランクを作っていたクオーティーだった。自身は3連続KOを続けた挙句、地味な王者ジェームス・ペイジに勝ってようやくビッグファイトかという矢先、よもやの敗北。
ロペスが2度のダウンを奪ったとあるから、クオーティー戦と同じ、タイミングではそれ以上に痛恨の敗北だったのだろう。
その後、2年間引退状態で試合をしていない。この時期にデラホーヤもトリニダードもスターへの階段を駆け抜けていった。2000年に復帰し、意外なことに2010年まで現役を続けていた。10年間で8勝5KO1敗、続けてはいても、モチベーションもコンデイションもかつてのものではなかったのだろう。2010年12月18日、グアダルペ・ロドリゲスと対戦し初回2分KO勝ちを最後に現役を引退。
24,5歳でボクシングで最大のチャンスを掴みかけたが叶わず、27歳で再起し37歳まで緩やかにキャリアを続けていた。アイク・クオーティーやオスカー・デラホーヤ、フェリックス・トリニダードより長く現役を続けていた。
2000年2試合、2004、5年4試合、2010年3試合、という飛び飛びの試合だった。
しかしセカンドチャンスはもう訪れることはなかった。
一流のメキシカンに共通する基礎技術の高さや気持ちの強さに加え、破壊力抜群のパンチと強靭さを備えた無限のスケールの目立たぬ王者、忘れられた伝説となった。
しかし決して忘れぬ人々もまた多い。
あの衝撃は二度と忘れない。
ここに日陰に消えたモンスターあり・・・だった。
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