私の名前に触れずにアズマー・ネルソンを語ることはできません。逆も然りです。素晴らしい、本当に素晴らしい仲間です。彼との試合は大変でした。ネルソンと42ラウンドを共有するには何かを学ぶ必要があります。無意味な相手とラウンドを重ねても学びは何もありません。
自分より強いファイターと戦うことで自分自身がより良いファイターにも、より良い人間にもなれるのです。
ジェシー・ジェームス・レイハは16年間プロとして活躍し、誰からも逃げることなく、同世代のベストファイターと戦い続けた。
テキサン(テキサスの男)は1994年にWBCスーパーフェザー級の王者になったが短命に終わった。しかしそれよりも彼を有名たらしめたのは、アズマー・ネルソンとの4試合だ。レイハは輝かしい名誉の殿堂入り王者に対して2勝1敗1分という記録を残した。
レイハは1988年のオリンピックトライアルでケルシー・バンクスに敗れ、短いアマチュアキャリアを終えてプロになった。静かに快進撃を続け1984年のオリンピック金メダリストのスティーブ・マクローリー、元IBF王者のトロイ・ドーシー、元2階級王者のルーイ・エスピノサらを下し27戦26勝1分を記録した。
1993年9月、レイハはフェザー級からスーパーフェザー級に階級を上げ、パーネル・ウィテカーVSフリオ・セサール・チャベスの前座でアズマー・ネルソンと戦った。試合は拮抗し12回引き分けに終わった。
8か月後の再戦で伝説のネルソンにユナニマス判定で勝利、ガーナ人王者の統治を終わらせた。しかし初防衛戦でガブリエル・ルエラスに判定負け。在位はわずか4か月だった。
レイハは常にチャレンジを続け、周辺の強豪皆と戦った。オスカー・デラホーヤ、ネルソンとのラバーマッチ。敗北となるも背中合わせの闘いを演じた。
https://www.youtube.com/watch?v=KcBMSAdBP0k
その後7連勝しネルソンとの4戦目に勝ったレイハは、1998年秋、ライト級王者、シェーン・モズリーへの挑戦権を得るがわずか3週間前に急遽決まったものだった。レイハは熱いハートを示すも9回終了TKO負けとなった。
2005年まで現役を続け(38歳)イバン・ロビンソン、ミッキー・ウォード、フランシスコ・ボハドに勝利、ヘクター・カマチョ(引き分け)コンスタンチン・ジュー(敗北)やアルツロ・ガッティ(敗北)とも戦った。
https://www.youtube.com/watch?v=grDkpHxAIwE
ガッティに敗れ38歳で引退、47勝19KO7敗2分という記録を残した。
アズマー・ネルソンとの4試合が永遠の記憶だ。
レイハ
「そうですね、みんなそれを言います。私の名前に触れずにアズマー・ネルソンを語ることはできません。逆も然りです。素晴らしい、本当に素晴らしい仲間です。彼との試合は大変でした。ネルソンと42ラウンドを共有するには何かを学ぶ必要があります。無意味な相手とラウンドを重ねても学びは何もありません。自分より強いファイターと戦うことで自分自身がより良いファイターにも、より良い人間にもなれるのです。そのような男と戦争する時は自分が謙虚になります。世界が何であるのか、ファイトが何であるのかを体験できます。」
2人は特別連絡を取り合っている間柄ではないが、会えば特別な絆が生まれる。
レイハ
「3年前のWBCコンベンションでネルソンに会いました。私の家族みんなと話し、写真を撮りました。彼は私を抱きしめ、頬にキスをしました。彼とリングを共有し友人になれたことは大変光栄です。彼は普段アフリカにいるから会うことはできませんが、遠くに暮らす兄弟のようなものです。」テキサン(テキサスの男)のキャリアにはいくつかのハイライトがあった。もちろん、ネルソンとの試合は重要だ。
レイハ
「サンアントニオでの戦い、6万人の前で緻密な戦いをしました。誇り高い試合です。そしてラスベガスでの再戦で彼に勝つことができた。オスカー・デラホーヤとの試合も想い出深いです。アマチュアでは雲の上の存在で戦うことさえ叶わなかった男がそこにいました。私は40戦程度のアマチュアキャリアしかありませんでしたが、マジソン・スクエア・ガーデンでデラホーヤと対峙していました。」キャリアに悔いがあるとしたらアルツロ・ガッティとの試合を挙げた。
レイハ
「私がフェザー級時代に彼と戦う話がありました。しかし実現しませんでした。あの頃、あの階級が私のベストでした。38歳になりスーパーライト級で彼と戦った。それが私の最後の試合でした。もっと若い頃、ベスト体重で戦いたかった。」今日、レイハは妻のリサ、2人の息子と暮らしている。ボクサーとして父親の足跡を辿ろうとしているジェームズ、大学で経営学を学んでいるディーンの2人だ。ボクシングジムを経営したり、プロモーションを共同経営したりしている。
レイハ
「ボクシングは人生のようなものです。得られるあらゆるチャンスを最大限利用すべきです。そうでなければ成功は出来ません。一生懸命働き、正しいことをすればリング内外で成功することができます。」ライバルについて
ベストスキル フランシスコ・ボハド
プロで57試合もしてきたので素晴らしいスキルの持ち主とたくさん出会いました。若い頃は未熟な面もあったので、キャリア後半でそれがよくわかるようになります。
私が戦った全てのファイターの中で最高のスキルを持っていたのはフランシスコ・ボハドだったとおもいます。パワー、スピード、コンビネーション、あらゆるものを備えた総合パッケージだったとおもいます。
もちろん、オスカー・デラホーヤにも素晴らしいスキルがありました。彼は私よりずっと大きく、背が高く優位性がありました。なんらかの理由でボハドが最も印象に残っています。スキル、スピード、パワー、敏捷性、柔軟性、彼は全てを持った素晴らしいファイターでした。
恐らく、彼には何か、「決意」が欠けていたのでしょう。ボディも顔面も全てを奪うすさまじいパンチでした。私のチームには素晴らしい戦術があったので彼に勝てたのです。ベストジャブ オスカー・デラホーヤ
長くて硬い強力なジャブでした。彼は左利きのオーソドックスなのです。だからジャブに大きなパワーがあり、左フックが武器だったのです。シェーン・モズリーにも素晴らしいジャブがありましたが、スピードだけでオスカーのようなパワーはありませんでした。左利きのオスカーのジャブはスピードとパワーがあって凄まじかったです。
ベストディフェンス アズマー・ネルソン
ディフェンスマスターでした。モズリーのディフェンスも素晴らしかったけど主にスピードと距離に頼ったものでした。彼は速かった。しかしネルソンはインサイドで打ち合いながら守り、攻める技を持っていました。モズリーだけでなくオスカーでさえ、バックステップし、距離を支配してディフェンスをします。それも立派なディフェンスです。しかしネルソンは常に前進、ファイトしながら巧みに攻防使い分けてきました。
ベストチン ネルソン
ベストパンチを当てても瞬きもしない男、アズマーはそんな男の一人でした。実際、サルバドール・サンチェス以来、アズマーを倒したのは私で2人目です。それが多くを物語っているとおもいます。彼はありとあらゆる男と戦って決して倒れなかった。私はパンチを彼のガードの上に打って油断させてからアゴに一発お見舞いし倒しました。それが私の名声に対する声明でした。
ベストパンチャー デラホーヤ
オスカーです。私は常にベストコンディションで臨んだけれど、フェザー級やスーパーフェザー級が年齢的にもフィジカル的にもベストでした。オスカーとはスーパーフェザー級で自分がベストの時に戦った。2回でダウンさせられ負けました。それが彼が持っている力です。それから彼は6階級の王者になりました。ミドル級でもノックアウトしていたとおもいます。スーパーフェザー級のオスカーがどれほど強いか想像できますか?
コンスタンチン・ジューについて聞きたかったでしょう。彼はなぜか私を傷つけませんでした。最初の5ラウンドは特に何も傷つきませんでした。彼は私の鼓膜を破りましたが空気を叩いて膜を破っただけで決してハードパンチではありませんでした。彼にパワーがあるのはわかっていたけど、あの時彼は私を倒そうという気がなかったのかもしれません。
ミッキー・ウォードはパワフルだった。彼の左フックは凄かった。私がまず最初にやらねばならないのはグローブで彼の強烈なパンチをキャッチすることでした。これを食ったらヤバい、特にボディに注意しました。頭や肘が当たったけどボディはとにかく回避しました。彼がボディで多くの男をノックアウトしている理由がわかりました。
ガッティもすごいヘビーパンチャーでしたが、あの時私は怪我で一か月スパーリングできなかった。1カ月もスパーリングを休んでいると試合で食ったパンチは効きます。彼の素晴らしいフックで倒されました。ジャブも強かった。彼は素晴らしい仕事をしました。私の準備が不足していたのです。
ハンドスピード シェーン・モズリー
圧倒的にモズリーです。反射神経を鍛えるためにトレーニングをし、パンチをかわしたりスリップする技術を身に着けます。しかし彼のパンチは速く、私は何で打たれたのかわからず考えてしまったり、逃げることさえ考えさせられました。パンチの後にすぐにパンチの嵐が降りかかってきました。
シュガー・レイ・レナードやフロイド・メイウェザーと戦う相手が何を思うか想像できました。反応し逃げてももう手遅れでした。モズリーはそんなタイプでした。
フットワーク モズリー
圧倒的なハンドスピード、その手が動いていない時は足が動いていました。その足も速くて近づくことさえできませんでした。
スマート ネルソン
彼は自分や相手が、いつ攻めて、いつボディを打ち、いつ疲れ、いつ休むのか全てわかっていました。彼は素晴らしかった。彼は10年かそれくらい長い間王者でした。彼はボクシングの全てのトリックを知っていました。アズマーが次に何をするのか神経を集中させる必要があった。誤魔化したり効いた様子でも突然コンビネーションを打ってきて、その全てが強力でした。疲れてクリンチでもしようものなら恐ろしいボディを打ってきます。彼との全てのラウンドは1秒先も読めない神経のすり減るファイトでした。
屈強 ミッキー・ウォード、アルツロ・ガッティ
彼らは体力がありフィジカルの強い男たちでした。ボハドも強かった。怪力、剛腕といった類の話です。
総合 ボハド
戦ってきた相手にはそれぞれに才能がありました。一人選ぶのは難しいです。
それを、才能、スキル、スピード、パワー、全ての組み合わせで考えた場合、私はモズリーやオスカーとも戦いましたが、自分のキャリアが若く、客観的に評価できません。経験を積んで振返った時、全てを備えていたのは、フランシスコ・ボハドであったとおもいます。彼はボクシングに必要な全てを備えていましたが、恐らく、「意志力」だけ欠けていたのでしょう。彼には強靭なアゴ、打たれ強さもありました。クリーンヒットしても全く動じなかった。彼にお金を渡した人たちが彼の才能を台無しにしたのでしょう。お金は与えられるものではなく獲得するものです。もし彼に強い意志があれば、第二のオスカー・デラホーヤ、時代を超越した偉大な王者になれただろうとおもいます。
やはり、脇役の方が賢い、人間的に出来ている。
ジェシー・ジェームス・レイハはゲートキーパーとして、あるいは常にエキサイティングなファイトをする引き立て役としてあらゆる主役とリングを共有した。時代のベストと常に戦ってきた。
どうみても、彼の適性階級はフェザー級~ライト級であり、勝ちきれない大きな荷物を常に背負わされてきた。レイハに勝つことが次のステップに繋がるという理由で。
そんな彼が語るライバルたちの印象は丁寧で重い。
フランシスコ・ボハド
彼にお金を渡した人たちが彼の才能を台無しにしたのでしょう。お金は与えられるものではなく獲得するものです。もし彼に強い意志があれば、第二のオスカー・デラホーヤ、時代を超越した偉大な王者になれただろうとおもいます。
やっぱりな。
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