日陰の太陽/(El Zurdo=左利き)ホセ・ルイス・ラミレス

「メキシコでボクサーになるということは戦士(ウォリアー)でなければなりません。」マルコ・アントニオ・バレラ

ホセ・ルイス・ラミレスは少し遅くて重い動きのファイターだったと言われるが、ならば彼がノックアウトした82人の対戦相手はどう説明すればいいのだろう。ラミレスはオールドスクールタイプのボクサーとして生涯102勝82KO9敗の記録を残した。KO率は実に74%だ。

キャリアの中で、彼はパーネル・ウィテカー、エドウィン・ロサリオと2回、ルーベン・オリバレス、ヘクター・カマチョ、アレクシス・アルゲリョ、レイ・マンシーニ、ファン・マルチン・コッジ、フリオ・セサール・チャベスらと戦った。

戦うためには敵地へ赴くことも当たり前だった。

ラミレスは、ソノラのワタバンポ出身で、フリオ・セサール・チャベスを生んだメキシコのクリアカンで暮らした。チャベスとはジムで出会い友人になった。

15歳でプロデビューしたラミレスは主に地元のシウダードオブレゴンで戦い、44戦43勝の快進撃を続けたが、過小評価された存在のままだった。伝説のルーベン・オリバレスに生涯唯一のノックアウト負けをしたラミレスはフェザー級からライト級に上げた。

21歳のラミレスは67勝2敗の記録をひっさげ、伝説の王者、アレクシス・アルゲリョと戦った。6ラウンドにアルゲリョにキャリア初のダウンを与えたが、スプリットデシジョンで惜敗、その後、レイ・マンシーニにも判定で敗れた。

1983年5月、サンファン・プエルトリコのコリーセオ・ロベルト・クレメンテで、ハードパンチャーのエドウィン「エル・チャポ」ロザリオと対戦。またしても僅差の判定で世界王座に届かなかった。

翌年の再戦で4回ノックアウトでロサリオに雪辱し見事敵地で王者に輝いた。

実にプロ93戦目のことだった。

1985年、テレビ放映された注目の試合でヘクター・カマチョに判定負けしたラミレスは、チャンスを求めてフランスに移住した。フランスで2年間、12勝7KOを記録、元王者のコーネリアス・ボザ・エドワーズやタフなチャーリー(チュー・チュー)ブラウンに対する勝利も含まれた。サントロペでタフなテレンス・アリーを破って空位のWBCライト級王座を奪還。

メキシコに帰る直前、未来の殿堂入り王者、パーネル・ウィテカーと戦いスプリット判定で無敗の金メダリストに土をつけた。議論の余地ある試合で、多くの識者はウィテカーの勝利を支持したが、ウィテカーのスリックでスタイリッシュなボクシングがラミレスに少しもダメージを与えることがなかったことは確かだ。

一方で、友人であるフリオ・セサール・チャベスは、エドウィン・ロサリオを破ってWBA王者となり、統一戦の機運が高まった。ラスベガス、ヒルトン、チャベスはここまで62勝無敗、ラミレスは101勝6敗という記録だった。P4Pの声も高いチャベスはラミレスにとって後輩であり長く胸を貸してきたスパーリングパートナーだ。

オッズは9-1でチャベス、まさに伝説チャベスのピークだった。

2Rには強烈な左フックで大きくラミレスがぐらつく。チャベスの猛攻に耐えながら機を見てラミレスも打ち返したが、同門であったラミレスの欠点をチャベスは知り尽くしていた。ラミレスの頑張りで激しい打ち合いは続いたが、10Rバッティングでラミレス出血。試合は11R終了時点でストップとなり、負傷判定の結果は小差でチャベスの勝利となった。

96-94
95-93
98-91

1989年、初戦で物議を醸したパーネル・ウィテカーの地元、バージニア州ノーフォークに出向き再戦、大差判定で敗れリベンジを許した。キャリアの最後に、もう一人の偉大な世界王者、当時43勝1敗だったファン・マルチン・コッジに挑み、判定負け。戦士(ウォリアー)としての歴史に幕を閉じた。

ラミレスの9敗のうち7つが殿堂入りのファイター相手であり、111戦ものキャリアでノックアウト負けは1度だけだった。

ホセ・ルイス・ラミレスはオールドスクールそのものであり、場所や条件問わず、強敵全てと戦った。ずっと過小評価されたファイターとして、ベネズエラのクマナのラテンボクシングの殿堂入りをしているが、国際ボクシングの殿堂(カナストータ)には入っていない。決して、彼を国際殿堂入りさせるべきだと訴えるつもりはないが、その他多くの殿堂入りのメキシカンと比べて、彼に何が不足しているというのだろう。

102勝82KO9敗
WBCライト級王者(2度)

フリオ・セサール・チャベスをメルドリック・テイラー戦ではじめて観たくらいの世代なので、このホセ・ルイス・ラミレスをちゃんと見たことはなかった。WOWOWで観たことがあるかもしれない。しかしありふれたこの名前を記憶していなかった。どこかに、彼は後のホセ・ルイス・カスティージョの小型版と書かれていた。

フェザー級からキャリアを初めて、この脅威のタフネスとパンチャーぶりはすさまじい。先日書いたホルヘ・カストロ、あるいは、英雄、太陽となったチャベスと並び、こんなキャリアの選手はもう二度と現れることはないだろう。

「世界チャンピオンになるような選手は普段負けない」海老原博幸

ラミレスがまさにそうだった。ほとんど負けない、倒し続けてきた。しかし伝説クラスのファイターには少しだけ届かなかった。ロサリオ戦のリベンジ、疑惑とはいえウィテカーに土をつけた記録は勲章だ。

”スウィート・ピー”なタッチボクシングは一度は否定されたのだ。
まるで、ホセ・ルイス・カスティージョVSフロイド・メイウェザーのようだ。

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