Mi ultimo round=マイラストラウンド、それは勝利のためのラウンドです。ライバルに打ち勝たなければならないラウンドです。ボクサーが輝かなければいけないラウンドです。
セレスティーノ(ぺレンチン)カバジェロ(Celestino Caballero Martinez、1976年6月21日 - )は、パナマの元プロボクサー。コロン出身。元WBA・IBF世界スーパーバンタム級スーパー王者。元WBA世界フェザー級王者。長身で、その長いリーチを存分に活かしたアウトボクサー。オーソドックスだがサウスポーにスイッチすることも可能な器用さも兼ね備えている。
スーパーバンタム級、フェザー級で180センチという長身と独特の柔軟性、強打で世界を席巻したセレスティーノ・カバジェロは2014年11月、網膜剥離で16年の現役生活にピリオドをうった。38歳、潮時だった。
2016年3月10日、コカイン10kgを不法所持していたとしてパナマで逮捕され、2018年2月には再びコカインの不法所持で懲役5年を宣告された。しかし3か月後、功績が認められ、地域社会への貢献を条件に釈放された。
その後、カバジェロは2000年以降、流れ星のように走り去った彼の真実を出版という形で公表した。「Mi ultimo round=マイラストラウンド」というタイトルの本には、彼自身の「勝利」に対する考えや「意識を高める」ことについて書かれている。
「Mi ultimo round=マイラストラウンド」は自叙伝であり、コカインの不法所持で逮捕された事件についても詳細に振り返っている。
カバジェロ
「私と私の身の回りで何が起きたのか、真実を伝えるべきだとおもいました。」パナマのカリブ海沿岸の貧しいコロン州で生まれ育った元王者は人生のこの瞬間に到達するために、彼の人生について、「最初から」そして「生きるために経験しなければならなかったこと」全てが書かれている。そして今カバジェロは「幸福である」と主張している。
カバジェロ
「神は私を赦してくれました。神は私の心を知っています。人を欺くのは神ではななく人間です。私は反省し精進していきます。本のタイトル、Mi ultimo round=マイラストラウンド、それは勝利のためのラウンドです。ライバルに打ち勝たなければならないラウンドです。ボクサーが輝かなければいけないラウンドです。人生や人々のキャリアに勝利を与える意味を込めました。本を書く際に最も辛かったのは、私が犯罪を犯した理由の部分です。国が私に背を向けた(裏切った)事実を語るのは心苦しいことです。全てを書いています。私はその事件の過程と理由を知っています。
本を書くことはボクシングをするより難しいことでした。
ボクシングは、敗北でさえも私に喜びを与えてくれました。この本「Mi ultimo round=マイラストラウンド」は勝利のために外へ出てリングに向かい、グローブをつける時の気分に似た気持ちになります。」
ネタ不足の中、ずっと彼のストーリーを探していたが無理だった。
しかし、引退後によくある犯罪を犯したことでそっちのニュースから彼を無理やり掘り起こす。
セレスティーノ(ぺレンチン)カバジェロ来歴
セ
1998年11月18日に22歳でプロデビュー
2000年6月16日パナマスーパーバンタム級王座を獲得。
2003年5月16日にホセ・ロハス(ベネズエラ)に3回KOで敗れWBAフェデラテンスーパーバンタム級王座の2度目の防衛に失敗。
2004年5月25日リカルド・コルドバ(パナマ)に0-3の判定負け
2005年2月17日ダニエル・ポンセ・デ・レオン(メキシコ)とIBF世界スーパーバンタム級挑戦者決定戦で対戦し、3-0の判定勝ちを収めIBF世界スーパーバンタム級王座への挑戦権の獲得に成功。WBA世界スーパーバンタム級王者のマヤル・モンシプールが怪我のため防衛戦が行えなかったため、2005年10月15日にパナマ・パナマのフィガリ コンベンションセンターでWBA世界スーパーバンタム級暫定王座決定戦が行われ、3-0(117-111、116-112、119-109)の判定勝ちでヨベール・オルテガ(ベネズエラ)を破り暫定王座を獲得。
2006年2月4日にパナマ・パナマのフィガリ コンベンションセンターでロベルト・ボニージャ(ニカラグア)に7回TKO勝ちを収め暫定王座の初防衛に成功。同年10月4日にはタイ・ナコーンラーチャシーマー県のワット・バーン・ライで正規王者のソムサック・シンチャチャワン(タイ)と王座統一戦を行い、3回1分48秒TKO勝ちを収め王座統一に成功し正規王者になった(記録上は2度目の防衛)
リカルド・カスティーヨ
ホルヘ・ラシエルバ
マウリシオ・パストラナ
ロレンソ・パーラ
エルビス・メイジァなどを破り7度の防衛に成功
2008年IBF世界スーパーバンタム級王者スティーブ・モリター(カナダ)と王座統一戦を行い圧倒的なKOで通算8度目の防衛とIBF王座の獲得に成功しWBA王座とIBF王座の統一を果たした。
IBFはその後2度防衛するも剥奪され、WBAは10度防衛した。(ダウト・ヨウダン戦もいれると11度)2010年10月、WBA世界スーパーバンタム級スーパー王座を返上し、フェザー級に転向。ジェイソン・リーツォーやジョナサン・ビクター・バロス戦で不当判定に泣かされ続けたが、バロスとの再戦を制し2階級制覇。
2011年12月31日、横浜文化体育館(神奈川県横浜市中区)で細野悟(大橋)と対戦し大差判定で初防衛に成功。
2012年10月8日、WBA世界フェザー級王座を返上。
2013年4月20日、ロビンソン・カステジャノス(メキシコ)とWBC世界フェザー級挑戦者決定戦を行い、1-2(114-113、112-115、113-114)の判定負け。
2014年10月4日、復帰戦を1試合はさみ、メキシコシナロア州で、19戦全勝(18KO)のアドリアン・エストレージャと対戦。12回0-3(109-115、107-117、107-117)の大差判定負けを喫した。2014年11月14日、家族全員を伴って会見を開き、網膜剥離を理由に現役引退を表明した。
43戦37勝24KO6敗
獲得タイトル
パナマスーパーバンタム級王座(防衛2)
WBAフェデセントロスーパーバンタム級王座(防衛2=返上)
WBAフェデラテンスーパーバンタム級王座(防衛1)
WBOラテンアメリカスーパーバンタム級王座(防衛1=返上)
NABA北米スーパーバンタム級王座(防衛0)
WBA世界スーパーバンタム級暫定王座(防衛2)
WBA世界スーパーバンタム級王座(防衛6)
WBA世界スーパーバンタム級スーパー王座(防衛2=返上)
IBF世界スーパーバンタム級王座(防衛2=剥奪)
WBA世界フェザー級王座(防衛1=返上)
WBAスーパーバンタム級を10度(11度)も防衛したのだから怪物王者だったが、個人的な印象としてはもっと強かった。常に準備が整っていたら、P4Pの一角、最強レベルにいた時期もあったとおもう。しかしそのスタイルは洗練とはかけ離れたもので、子供のケンカのような不格好で規格外のもの。体形、骨格、柔軟性、日本人が参考になるものではなかった。
中南米、パナマあたりの軟体ボクサーには常に誘惑と不惑が入り乱れ、自分の体格に相応しい階級に上げてから不安定になった。元々この手のファイターには波がある。こういう規格外のやりにくいパンチャーは本場で相手にされにくく、イスラエル・バスケスやラファエル・マルケスなど当時人気のメキシカンは誰も相手にしなかった。
細野戦でカバジェロが日本にやってきた時、私は生カバジェロが見たくて仕方がなかった。やっぱり細野の強打は空転、あるいは世界的には普通のパンチなのか、軽くカバジェロに受け流された。
それでも、当時フェザー級のカバジェロはKOを諦め手を抜いた、あるいはベストコンディションではなかっただろう。
レゲエ歌手でもあるというカバジェロの歌を聴いてみたり、この「Mi ultimo round=マイラストラウンド」を読んでみたいようなみたくないような気分・・・「ぺレンチン」というニックネームの意味を調べてもわからなかったが、Towering Infermo(タワーリング・インフェルノ)という別名もあるので、意味は似たようなものだろう。ノッポとか・・・
十分やった、いやもっと出来る、強いはずだった・・・
しかし恐らく、彼のような規格外は、世界的なスターにはなれない運命なのだ。
それがボクシングビジネスの真相だ。
ピーク時はヤバかった。
多くのファイターは、ただただ、カバジェロが、彼のピークが過ぎ去るのを待つしかなかった。
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