中量級で一番速かった、全盛期には手がつけられなかったのがTerrible(恐怖の男)テリー・ノリスではないだろうか。本気を出せばだれにも負けない、人間を超えた領域のスピード、さらにはパンチ力、キレ、全てを備えていた。ただひとつだけ、不用意に打たれ脆く、打たれ過ぎた。
レジェンド、シュガー・レイ・レナードに引導を渡した試合、ジョン”ザビースト”ムガビに対する閃光のような世界奪取などTerrible(恐怖の男)テリー・ノリスの俊敏華麗なファイト、国際殿堂入りを果たした、記憶に残る数々の瞬間を覚えている。
しかし、元4度の世界ライトミドル級王者、テリー・ノリス自身はこれらの試合の事もその他のことも覚えていない。
ノリスはボクシングのダメージが後遺症となり、慢性外傷性脳症に苦しんでいる。以前は認知症、パンチドランカー症候群と言われていた。記憶喪失、混乱、抑うつ、感情の爆発などの症状を伴う変性脳疾患だ。
ノリスはまた、パーキンソン病や類似する神経障害にも苦しんでいる。筋肉の硬直、振戦、発語や嚥下、歩行バランスなどの問題も抱えている。
最新のインタビューでノリスは見た目的には健康にみえたが、時々自分の考えを表現するのに苦労した。そしてまた、突然何度もなき崩れた。
ノリス
「記憶を正すために何かが必要です。私は記憶喪失ですが?」ノリスは突然話を止め、頭に手をあてて、泣き叫んだ。
ノリスの現在の妻、ターニャが代弁した。
ターニャ
「パーキンソン病の症状のひとつで、はっきりと言いたいことが言えないのです。彼は何かを言いたいのですができないのです。」涙を拭った後、落ち着きを取り戻したノリスは
「私は泣いてしまいました。恥ずかしいことです。」と言った。
ノリスは、ラスベガスのクリーブランドクリニックの脳外科のプロボクサーの脳研究室において、リタイアしたプロスポーツ選手で最も有名なアスリートだ。
彼は295試合に及ぶアマチュアキャリア(291勝4敗)プロで56試合(47勝31KO9敗)また、数千回に及ぶスパーリングを含むキャリアの後半でCTE(慢性外傷性脳症)の兆候を示し始めた。2000年NAC(ネバダ州スポーツ委員会)によって、脳損傷を示す言語障害のためボクシングライセンスが棄却される前、ノリスは自分の症状を否定していた。
ノリス
「父もトレーニングキャンプの人々も、私がダンスしている時でさえ、なぜヨロヨロしているのかと言いました。リングではいつもスムーズでした。父はどこか悪いのか?いつもと様子が違うぞと言いました。昔と同じだと自分に言い聞かせたが、出来ませんでした。」マーガレット・グッドマン博士(NACに派遣されたラスベガスの神経科医でリングドクター)は兄のオーリン・ノリスがマイク・タイソンの試合を直前に控えたある日、MGMグランドガーデンでテリー・ノリスに会った時の1999年の夜を鮮明に覚えている。
マーガレット・グッドマン博士
「挨拶をしたのだけど彼はうまく発音することができませんでした。ホーマンスカイ医師と一緒だったのですが、彼も私もテリーが話すことが出来ないのに気づきました。」翌年、NACによってテリー・ノリスのボクシングライセンスが棄却された時のメンバーも務めた。
会議では、ノリスの1994年のインタビュー映像と現在のノリスを比較し、現在のノリスのスピーチが酷く不明瞭なのを確認した上で、5-0の満場一致でライセンスは棄却された。
マーガレット・グッドマン博士
「私は誇張しているわけではありません。映像をみたコミッショナーはみんな目に涙を浮かべていました。この偉大な青年がもう二度とボクシングが出来ない、リングに足を踏み入れることができないと伝えるのに100万ドルの研究費など必要ありませんでした。(一目瞭然でした。)誰もが、テリー・ノリスをリスペクトしていました。こんなにも素晴らしい人物であり偉大なファイターに起きた事実は悲劇的でした。」
Vol.2に続く
https://www.youtube.com/watch?v=JDb1lkfygPM
キャリアを振り返るというよりは現在(7年くらい前のもの)を伝えるものになりそうですが、ディフェンスに対するケアをもう少し、あるいは生まれつきのタフネスがあれば、歴代最強クラスの才能でした。
WBC世界スーパーウェルター級王座(1期目は防衛10、2期目は防衛0、3期目は防衛6)
IBF世界スーパーウェルター級王座(防衛4)
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