悲しみのストラテジー/ホエル・カサマヨール

かなりマニアックな選出。ギジェルモ・リコンドーのルーツともいえる匠のキューバンだが、プロで階級を上げたのが幸いし、後に続くリコンドーよりはライバルに恵まれた。でも応援してくれるファンはいつも少なかっただろう。フライ級の金メダリストだったユリオルキス・ガンボアもプロでやっていくために増量しただけなのかもしれない。

キューバでは1961年以来プロボクシングが禁止されている。傑出したアマチュアボクサーのごく一部だけが亡命し、プロボクサーになっていく。その中の注目すべき成功例がホエル・カサマヨールだ。バルセロナオリンピック金メダリストは後にプロで2階級の世界王者となった。

1992年のバルセロナオリンピックで金メダルを獲得したカサマヨールは故郷に戻り、祖国の偉大なボクシングの歴史にその名を刻んだ。

カサマヨール
「最高の気分だった。幸せでした。全てに満足していた。21歳の時でした。」

しかしその後数年間経っても生活は一向によくならず幻滅した。翌年の五輪行きの夢も破れ、363勝30敗という記録を残してアマチュアを終えた。

カサマヨール
「もう祖国キューバのために戦いたくなかった。プロの世界チャンピオンになりたかったが、キューバではそれが出来ませんでした。1993年にメキシコのワールドチャンピオンシップで優勝したチームのみんなとしばらくそこで過ごした後、メキシコからアメリカの国境を越えました。」

鳴り物入りでデビューしたカサマヨールは3年以内でWBAの世界王者に到達。なめらかなサウスポースタイルで4度の防衛に成功した後、ブラジルで当時30戦30勝29KOでデビュー以来29連続KOの記録を誇るWBO世界スーパーフェザー級王者アセリノ・フレイタスと統一戦を行う。

話題を集めた対戦となったが、12回判定で敗れ2団体統一に失敗、WBA王座から陥落した。

カサマヨール
「フレイタスの記録はすさまじいものだったがアメリカに来たばかりだからそんな数字は何も意味がなかった。判定は盗まれたものだ。フレイタスは並外れたファイターではなかった。試合を観た者はみな私の勝ちだといった。」

その後、レノックス・ルイスVSマイク・タイソンの前座で将来のライト級王者、ネート・キャンベルに初黒星をつけ

https://www.youtube.com/watch?v=qXbfzYtVEtU

2003年秋、その後死闘を演じるライバル、ディエゴ・コラレスと出会った。ダウンの応酬の末6回負傷判定でカサマヨールが勝利するも両者は3度戦いカサマヨールの2勝1敗だった。

2004年、WBC世界ライト級王者ホセ・ルイス・カスティージョに挑戦するが、12回判定で敗れ王座獲得に失敗。

2008年3月22日、WBO世界ライト級暫定王者マイケル・カティディスと対戦し、ダウンの応酬の末、10回TKO勝ちで王座を獲得。WBCはカサマヨールからWBC世界ライト級暫定王座を剥奪した。

2008年9月13日、ファン・マヌエル・マルケスと対戦したが、序盤はリーチ差を活かして優位に試合を進めるも、11回逆転KO負けで初防衛に失敗し王座から陥落。なお、当初はWBO暫定王座初防衛戦の予定だったが、正規王者キャンベルとの統一戦を行う意思が無いと判断したWBOが試合直前になってカサマヨールからWBO暫定王座を剥奪した。

https://www.youtube.com/watch?v=L2ouohU36fQ

2010年7月31日、ロバート・ゲレーロとスーパーライト級10回戦を行い0-3の大差判定負け。

2011年11月12日、WBO世界スーパーライト級王者ティモシー・ブラッドリーと対戦し、3度倒されキューバ人トレーナーのミゲール・ディアスがタオルを持って試合棄権を申し出たため、8回2分59秒TKO負けで王座獲得に失敗したのを最後に現役を引退した

カサマヨール
「それは私のキャリアの終わりでした。トレーニング不足でした。当時妻と別居していて人生に多くのストレスがありました。3週間しかトレーニングしなかった。減量だけだった。準備不足でした。」

カサマヨールが熱望した試合は決して実現しなかった。

カサマヨール
「言うまでもなく、フロイド・メイウェザーだ。アメリカ人より私が優れていることを証明したかったが、彼は決してチャンスをくれなかった。」

現在ラスベガスに暮らすカサマヨールはトレーナーをしながら、妻アドリアーナと5人の子供達と暮らしている。SNSを積極的に利用してファンと交流を深めている。

ライバルについて

ベストジャブ ディエゴ・コラレス

彼はビッグショットを打つためのジャブの使い方を熟知していた。私がカウンターを当てたり裏をかいたりしても、彼の長いリーチが常に邪魔だった。

ベストディフェンス 白鐘権

カンサスシティで戦ったコリアンガイを私はカットでストップしたのだが、結局カットによるストップで、彼は優れたディフェンススキルを持っていた。

ベストチン ホセ・ルイス・カスティージョ

いいパンチ、ヘビーパンチを当てたけど彼は何にも感じないようだった。天然で打たれ強いんだ。

ハンドスピード ロベルト・ガルシア

思い返せば彼が一番速かった。時々パンチが見えなかった。スピードもパワーもあった。キャリアの中で最強レベルではなかったけどスピードは強く印象に残っている。

フットワーク デビッド・チャメンディス

デビュー戦の相手で4回戦だった。1996年のマイアミだ。走って逃げ回るだけだった。捕まえたけど苦労した。

スマート ファン・マヌエル・マルケス

彼はボクシングマスターだ。経験豊富だった。勝つために十分トレーニングしたつもりだったが、何かが足りなかったのだとおもわされた。勝つ気十分だったけど裏切られた。私の裏をかいてきてとても驚かされた。

屈強 マイケル・カティディス

若く、フィジカルがとても強かった。リングがとても小さくて普通は20×20なんだけど18×18しかなかった。たくさん打ったけどなんて強いんだと感心した。コンディションがピークだったのだろう。

ベストパンチャー ホセ・ルイス・カスティージョ

カスティージョのボディはこの世のものとはおもえなかった。ボディだけじゃなく全てにおいてベストパンチャーだ。打ち方もわかっていたし当てるためのフットワークも見事だった。パンチを打つポジションが正確だった。

ベストスキル ホセ・ルイス・カスティージョ

リングの使い手だ。私が動けば彼はついてこれない。でも上手く動いて俺の行く手を遮断する。これはボクシングの高度な策略なんだけど、彼のフットワークは素晴らしくパンチは正確だった。本当に試合巧者だった。

総合 ファン・マヌエル・マルケス

彼を分析するのが一番困難だった。多くミスさせられた。どれをとっても万能で彼はボクシングの芸術を知っていた。クレバーでパンチも正確で、実に精巧なファイターだった。

ホエル・カサマヨール
貴重な選手とおもい残しておくことにしました。
ホセ・ナポレスなどを除けば最初に成功したキューバのプロかもしれない。

ニュアンス訳しか出来ないが、匠といえる解説でした。(strategy=ストラテジー)という言葉が多く出てきました。マルケスを「art of boxing」と例えていました。マルケス戦はボクシングの頭脳戦でありカサマヨールは準備万端で臨んだようだが、マルケスに裏をかかれた、上をいかれた。俺の準備に何のミスがあったのかとおもわされたそうです。すごい次元です。

そして、一見天然、ズボラにみえるカスティージョ、パワーだけでなくスキル、頭脳をかなり褒めていました。チャベスの練習仲間として実践で鍛え抜かれた能力だったのだろう。ホセ・ルイス・カスティージョは見直すべき最強レベルの男かもしれない。(メイウェザーにも勝ちかけているし。そんなカスティージョはメイを絶賛していたが・・・)

バルセロナ五輪バンタム級金メダリスト
1996年の五輪出場が叶わずとあったので、リコンドーに引き継がれるのかとおもったが、リコンドーは2000年シドニー、2004年アテネの金メダリストであり、1996年のアトランタ五輪はアルナルド・メサというキューバ人がきっちり銀メダルを獲得していました。(この大会のスーパーヘビー級金メダルがウラジミール・クリチコ、フェザー級銅メダルがフロイド・メイウェザー・ジュニア)

なんとハイレベルなキューバのバンタム級・・・

カサマヨールはハードパンチャーというよりもサウスポーの技巧派で判定型とういうイメージがあるが、38勝22KOと高いKO率でビッグネームにもKOで勝っている。やればできる男、ハードパンチャーだったのだろう。当時30勝29KOという怪物だったフレイタスに実質勝ちのような試合を演じているが派手さと人気で負けにされた。

「本場アメリカでの記録じゃないから大したことはない」

はたしかにその通り、フレイタスはホンモノでしたが、そんなに恐れる必要はないのだ。宿敵といえるコラレスにも勝ち越し、その気になれば無敵の強さを誇ったが

ホセ・ルイス・カスティージョ
ファン・マヌエル・マルケス

といういかにもプロらしきメキシカンが壁となった。

晩年に

ロバート・ゲレロ
ティモシー・ブラッドリー

に敗れて引退したが、40歳近い晩年であり、キューバのトップアマは大抵アマで全てを成し遂げ、運よくプロになれても今のように10戦足らずで世界挑戦できない以上、王者になっても残された時間はそんなに長くはないのだ。

リコンドーも日の当たる日々をみないまま黄昏期に入った。

スターのメイウェザーには全く相手にされなかったが、全盛期にやればメイの無敗記録も危うかったかもしれない。この頃日本にも畑山隆則というスーパーフェザー級王者がいたがカサマヨールはもちろん本場ビッグネームの名前さえ聞かれなかった。それだけ遠い、遥か彼方の本格的な王者だった。

当時、カサマヨールのファン、彼を熱狂的に応援する者なほとんどいなかっただろう。
永遠のジャーニーマン、ホームなど彼らには今もない。そんな条件で2階級を制した功績は偉大だ。

なぜ、キューバにアマチュアボクシングの天才が生まれるのか、殴り合いには確固たる(strategy=ストラテジー)があり、芸術の領域で戦っているからだ。

そんなカサマヨールがSNS使いというのはちょっと意外だ。

Facebook: Joel “El Cepillo” Casamayor (official fan page),
Twitter: @joel_casamayor1
Instagram: @joelcasamayor

https://www.youtube.com/watch?v=geKy2Q8h5o0

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