今回はロマチェンコもビックリ!とびきりのファイターが出てきます。
ボクサーではなく世界的名トレーナーの回顧録です。偉大なボクサーを語る、回想する時、ボクサー本人よりもトレーナーの視点、視線の方が客観的で冷静で正確です。世界トップのプロアマ両方のトレーナーをしてきたペドロ・ディアスが語るボクサー達を全員知っているのであればあなたはオタク日本一認定です。私は一人だけ知りませんでした。最高といわれる一人を・・・
著名なボクシングトレーナーのペドロ・ディアスは五輪金メダル5人(キューバで4人、ドミニカで1人)を生んだスタッフの一人としてレベルの高いキューバアマチュアシステムで実績を残した。
1962年11月26日、キューバのサンタクララで生まれたディアスは他の多くのキューバ人の状況と異なり、幼少時代は平和だったという。
ディアス
「キューバでの生活は困難なものではありませんでしたが、1990年以降キューバ危機に瀕してからは少し困難になりました。私は子供の頃からずっとボクシングが好きでした。他のスポーツもやりましたがボクシングだけは続きました。スポーツ専門の学校にいました。キューバの代表的なスポーツはボクシングと野球です。」ディアスは優秀なアマチュアだったが交通事故に遭い、選手の道を断念、アマチュア記録は78勝9敗だった。
もうボクシングができないとわかった時にやれることはボクシングのトレーナーだと考えた。キューバ体育大学で身体について学び、ボクシングを専攻した。ナショナルチームのコーチを始めながら、キューバボクシングの歴史と伝統を先輩達から教わった。
1992年、1996年、2000年そして2004年、計4回キューバ代表と共にオリンピックに出場し金メダル20個、銀メダル6個、銅メダル3個を獲得した。世界選手権での実績はもっとすさまじく、金メダル28個、銀メダル12個、銅メダル9個獲得した。
ディアス
「2007年12月にキューバチームを去りました。17年間働きました。ドミニカ共和国の大統領、ビエンベニド・ソラーノから北京五輪のドミニカ共和国の五輪チームの強化を依頼されたのです。」ディアスの指導力が実り、北京五輪では、フェリックス・ディアスがドミニカ人で唯一の金メダルを獲得した。
ディアス
「プロボクシングで働きたかったのですが、キューバではプロが禁止されています。1999年にウィニペグで行われたパンアメリカンゲームス以来ずっとプロに関心がありました。」北京五輪の結果を受けて今度はアメリカチームのコーチを要請されたが断った。プロのトレーナーとしての地位を確立したいとカナダのモントリオールに移住、2008年から11年までイボン・ミシェルのジムのテクニカルアドバイザーとして、ジャン・パスカル、デビッド・レミュー、アントニン・デカリエらと仕事をした。
その後フロリダに居を移し何人かのキューバ人プロボクサーのコーチを務めたが、プエルトリコのスターミゲル・コットと出会うのに多くの時間はかからなかった。2011年から12年の間、フロイド・メイウェザーと対戦するミゲル・コットの専属トレーナーを務めた。
1999年、ディアスはボクシング専門の教育学の博士号を取得、ボクシングに関する本を執筆したり世界各地で講演したりエクアドルと中国のアマチュアチームの向上と発展に務めたりしてきた。
ディアス
「これからも学び続けていきます。ボクシングと人生は毎日が学びの連続なのです。それだけは私にはハッキリしています。」彼が関わった数々の輝かしいアマチュア、プロの10人について語ってもらった。
ベストジャブ レオナルド・マルチネス・フィス
ジャブで私に多大な影響を与えたキューバの偉大なボクサーです。右肩を怪我して長い間右を使えなかったのでテクニックと左だけを磨き続けたのです。無敗で100連勝した最初のキューバボクサーです。
https://www.youtube.com/watch?v=w2FUfg4zYTw
たしかにすげぇや。ベストディフェンス ギジェルモ・リコンドー
彼は信じられないほどの反射神経、テクニック、フットワーク、距離勘、戦術に長けた傑作です。ディフェンス面ではベストとして際立った存在です。
ハンドスピード ギジェルモ・リコンドー
彼はまたパンチのスピードも並外れていてその精度も際立っていました。
https://www.youtube.com/watch?v=aEktcbGTjcE&t=25s
ベストフットワーク フリオ・ゴンザレス
フリオはキューバで最もテクニカルなボクサーです。手足(パンチとフットワーク)のバランス、フットワークという側面では間違いなく彼がナンバーワンです。
ベストチン グレゴリー・ドロズド
タフなファイターを何人もみてきたが、ドロズドのボクシングに対する献身と鍛錬は群を抜いており、それらが実を結び、とても強靭な肉体を手に入れた。
スマート ミゲル・コット
ボクシングのインテリジェンスには多くのファクターがあります。素質や能力だけでなく、競技としての結果も求められるので、最もクレバーなのは誰かと言うのはどんなスポーツでもどんなコーチでもとても難しいのです。練習に対する姿勢、リング内外の振る舞い、という点でもっともクレバーなのは私にとってはミゲル・コットです。
屈強 ルスラン・チャガエフ
キューバでは私は75キロから91キロのスペシャリストでした。(特に専門だった。)なのでそのあたりのクラスであればとても経験豊富です。このあたりの体重になると、スキルやスピードよりも、肉体の強靭さやパンチ力が強くボクサーを特徴づけていきます。そういう意味では、メンタル的にもフィジカル的にももっとも屈強だったファイターはルスラン・チャガエフです。
ベストパンチャー フェリックス・サボン
オリンピックボクシングのベストコーチであり教授でもあったアルシデス・サガラと共に何年も彼と一緒に仕事しました。サボンは私がみてきた中で最もヘビーパンチャーでした。彼のパワー、特に右の破壊力は信じられないようなものでした。
ベストスキル エクトール・ビネント
彼と仕事が出来た事は私の大きな誇りです。ピークの時はキューバ史上(オールタイムで)最も完成度の高いファイターと言われていました。テオフィロ・ステベンソンやアンヘル・エスピノサやアドルフォ・ホルタらを入れてもです。ユース世界選手権、2度のオリンピック、2度の世界選手権など数えきれないほど金メダルを獲得してきました。
彼はありえないほどのボクシングの傑作でした。テクニック、スピード、パワー、全てを完璧にマスターしていた。勝ち方を熟知しており、どんな試合でも楽しみながら金メダルをとっていた。プロのリングで彼をみてみたかった。
総合 エクトール・ビネント
紛れもなく彼です。私にとってはありとあらゆる面で完成されたボクサーでした。
面白い、面白いけど伝わらなすぎるとおもって敬遠してきました。
ペドロ・ディアス以外のトレーナーはいいんです。難しくありません。有名な選手ばかりです。しかしキューバの名匠が選ぶセレクションは痺れました。熱病的思考法の香川照之氏くらいであればスラスラ読めて理解できるのだろう。
けれど心の奥ではこういうセレクションが真実であろうとの想いはずっと前からありました。アリやレナードが世界の人気者だった頃も、いやずっとその前から、本当の化け物は誰も知らないアイツなんだとの想いはかなりプロが解禁になった今のご時世でも変わりません。
少しだけ補足すると
グレゴリー・ドロズドは40勝28KO1敗で怪我で世界王者のまま引退したクルーザー級です。WBSSに出ていれば優勝候補の一角だっただろう。ムエタイの世界王者だがボクシングのアマ歴はほとんどなかったので、ウシクに塩漬けにされていた可能性は高い。
ルスラン・チャガエフはホワイト・タイソンと言われたウズベキスタンの元世界王者だが、プロよりアマでの実績が大きい。プロではイマイチパッとしなかったが、そのパワーはすごかったらしく他のトレーナーも評価していました。ロシア圏からは屈強な男、キューバからは超絶テクニシャンというパターンが多いような気がします。
その他はコット以外、全部キューバボクサーです。
知らない人がいれば調べてみてください。
エクトール・ビネント
世界ジュニアチャンピオン(リマ1990)
キューバナショナルチャンピオン(1992)
オリンピック金メダリスト(バルセロナ1992)
キューバナショナルチャンピオン(1993)
世界チャンピオン(タンペレ1993)
キューバナショナルチャンピオン(1994)
世界チャンピオン(ベルリン1995)
キューバナショナルチャンピオン(1995)
オリンピック金メダリスト(アトランタ 1996)
キューバナショナルチャンピオン(1996)
キューバナショナルチャンピオン(1997)
キューバナショナルチャンピオン(1998)
バルセロナ、アトランタの五輪金メダル
テオフィロ・ステベンソンとフェリックス・サボンの五輪3度金メダルの記録を抜くべく、シドニーとアテネでも金をとれる若さで期待されたが、網膜剥離手術のために2000年に引退
プロにならずに消えた、これからも消えていく、スーパーボクサー達よ・・・
最近はこんな選手にも・・・だから徐は強くなったのか・・・
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