渾身の傑作(自己満足)ギジェルモ・リゴンドーに続いてガンボアをお届けします。リゴンドーより1歳下、今年でまもなく38歳になるガンボアは、出世を急ぎ、階級を駆け上がるように軽量級のスターになった。テレンス・クロフォードに敗れてから、年齢とダメージの影響か劣化が顕著となり、もう過去の人状態だった。クロフォードはこの試合をターニング・ポイントにP4Pの道を突き進んでいった。それがいかなる時でもボクシングの時の流れの悲哀だ。
しかし未だ高きプライドと野望を秘めるガンボアに大きなラストチャンスが訪れるのかもしれない。
ユリオルキス・ガンボアにとって、その年のシンコ・デ・マヨの戦いは2回目で、恐らく再び世界タイトルを争う最後のチャンスになるはずだった。
最近あまり試合をしておらず、パフォーマンスが悪いにも関わらず、ガンボアはメキシコのロビンソン・カスティリャノスに対しては問題なく勝つだろうとおもわれていた。
ガンボアの圧倒的なスピードと身体能力は2か月前にノックアウト負けしたばかりの雑草キャリアのカスティリャノスには荷が重すぎると予想されていた。
しかしガンボアの楽勝が予想された試合は、彼の望み通りにはならなかった。めまいと脱力を感じたガンボアは7回終了で棄権した。それを無気力とみなすボクシングというスポーツにおいては未来を危険にさらす愚かな行為ともいえた。
https://www.youtube.com/watch?v=ElEj3Ky6V-M
ya no
ガンボアは初回から積極的にカスティリャノスに向かっていった。しかし3ラウンドにカスティリャノスのジャブに悩まされ、残り10秒で右フックでマットに落とされた。4ラウンドには大きな右のオーバーハンドを食い、2度目のダウン。コーナーで落胆したガンボアをテレビカメラが映し出していた。タイトルマッチへの夢が消えかかっているのを痛感しているような表情だった。
6ラウンドにガンボアは奮起し、かつてのダイナミックで躍動感のある動きの片りんを見せたが、大振りな左フックを武器とする彼の戦術は裏目に出た。7回、再びカスティリャノスのパワーショットに捕まった。オリンピック金メダリストであり、元WBA、IBF王者でもある「グアンダナモのサイクロン」はコーナーに戻ると
「ya no=もうたくさんだ」
試合を棄権しわずかな可能性の扉を閉ざした。
ボクシングは差し迫った屈辱的な敗北に直面しても諦めずに戦うファイターを賞賛するが、根性のない者には厳しい。シュガー・レイ・レナードとの対戦で「ノーマス」と言って試合を投げたロベルト・デュランは永遠の語り草だ。
2015年、アンドレイ・フォンフォラ戦で10回に棄権したフリオ・セサール・チャベスjrは笑い者扱いされ続けている。
ガンボアは眩暈を感じ、試合を続けることが出来なくなったと言った。長いアマチュアとプロキャリアを誇り、多くの逆境を克服してきたガンボアの「ya no」はほとんど終わりを意味した。
キューバからアメリカへ
ユリオルキス・ガンボアは1981年のクリスマスの2日前にグアンタナモで生まれた。キューバの有名なボクサー同様、とても貧しい家庭で育った。父親のカルロスと一緒にジムに行き、設備の整っていない環境で、サンドバッグを兼ねた土嚢を叩いてボクシングを学んだ。
頭角を現したガンボアはキューバのスポーツエリートアカデミーのラフィンカでトレーニングを続け、2004年のアテネオリンピックで金メダルを獲得した。
アマチュアボクシング:245戦230勝15敗
しかし金メダルを獲得しても生活は一向に改善しなかった。
ガンボア
「キューバという国を代表し金メダルを獲得したのに娘の誕生日にプレゼントを買うお金さえありませんでした。どうして国を代表したのに政治家は何もしてくれないんだ、そんな国に留まる必要があるのかと自分に問いかけました。」ガンボアは娘の誕生日プレゼントのために、オリンピックの金メダルを1500ドルで売った。
2007年ベネズエラでトレーニング中にガンボアとナショナルチームのメンバー2人(ヤン・バルテレミとオドラニル・ソリス)は亡命するチャンスを得た。
最初にコロンビアに渡り、目標地ではないドイツに行きプロデビュー。最終的にはアメリカに渡り、2009年から11年にかけてWBAタイトル、2010年から2011年にIBFタイトルを獲得した。
アメリカンドリーム
しかしガンボアのアメリカでの生活は困難を極めた。キューバでは亡命したアスリートの生活をサポートする仕組みは何もない。キューバのアスリートによる亡命の悲劇は、アメリカンドリームの追求がキューバでの全ての権利を殺してしまうことだ。
全ての移民はアメリカで新たな夢を追い求めることになる。様々な逆境を克服して追い求めるアスリートにとっての夢は、数百万ドルの契約であり、家族を連れてくることであり、安全と快適さを確保することだ。ガンボアにとっては10年以上前に売った大事なオリンピックの金メダルを買い戻すことも含まれる。
25歳と若くないガンボアは急ピッチで試合をこなし続けた。成功を築くために急いだからこそ、ガンボアのファイトはあれほどスピーディーでリスキーで爆発的だったといえるのかもしれない。
Vol.2に続く
未だに現役のガンボア、2017年のロビンソン・カスティリャノス戦の頃の記事になります。
誰も指摘しないが、ガンボアはリゴンドーより軽いフライ級(51kg)の金メダリストでかなり小柄だ。リゴンドーはロマチェンコ戦の体格差が深刻だったが、ガンボアはスーパーフェザー級、そしてライト級を目指している。しかしやはりクロフォードとの体格差を克服できなかった。
キューバのアスリートは少しでも多く稼ぐべく体重を増やす。
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