日本からやってきた亀田昭雄だね。素晴らしいボクサーパンチャーだったよ。サウスポーで背が高くてハートの強い男だった。彼のジャブが見えなかった。俺がノックアウトしたけど彼のボクシングが好きだ。素晴らしいボクサーだった。
1982年11月、10年に1度の試合、アーロン・プライヤーVSアレクシス・アルゲリョ戦には伏線があった。なぜなら、そのわずか数ヶ月前に、日本から来た決定力のある対戦相手が、劣勢を逆手に取って、序盤で驚くほど効果的に攻撃してきたからである。
亀田昭雄という名の5フィート11のサウスポーによる衝撃的なノックダウンが、アーロン・プライヤーをキャンバスに沈め、後にプライヤーが4度目のWBAジュニアウェルター級タイトル防衛に成功することになったが、その際、多少の困難があった。
東京から北へ30分ほどのところにある大宮のビルの2階、タイ料理屋に亀田は座っていた。彼はあのシンシナティでの夜のことを話してくれた。
亀田は、ワンツーのコンビネーションでプライヤーを倒したと語った。彼のジャブフックのスピードは、素手のフーリガンが彼に歩み寄ってきても、簡単にシャットダウンできることを物語っていた。
プライヤーと亀田の試合自体は、プライヤーがコーナーから突進して風車のように殴りかかるなど、スピーディーで激しい展開になった。亀田が3連発でプライヤーをキャンバスに叩きつけたあとも、その勢いは止まらなかった。プライヤーは、8カウントを無視して亀田をロープに押し込むと、レフェリーと来場者コーナーから怒号が飛んだ。プライヤーが1ラウンドでダウンするのは3度目であり、彼の無謀なアクションが健全な戦略でないことが証明された。
2ラウンド、プライヤーは右ストレートを放ち、巻き込みながら亀田をダウンさせる。亀田は立ち直り、左ストレートを何発かプライヤーのあごにヒットさせる。プライヤーは再び、これまで対戦したことのないサウスポーに対して乱れ打ちを始めた。残り5秒、"ザ・ホーク "プライヤーの連打で亀田は再びキャンバスに。このラウンドの終わりには、プライヤーや日本以外のメディアが事前に亀田の映像を一切見ていないことなど関係ないことが明らかになった。プライヤーは、自分の得意なことをやるのだ。
ラウンドの間、コーナーから「3回で終わらせろ」と言われても、プライヤーは立ち止まる。ガードを下げてリング中央に入り、フィニッシュを狙うが、プライヤーは亀田の左を受け、またもやダウン寸前。亀田が倒れた隙にプライヤーがパンチを繰り出し、亀田がダウン。亀田も右で応戦し、プライヤーを投げ飛ばすなど、いじめや脅しには屈しない姿勢を見せる。
プライヤーの強烈なストレートが亀田をぐらつかせるが、亀田は理屈抜きに立ち上がっていく。しかし、この一撃は、亀田を呆然とさせ、数秒後に亀田は床に倒れこんだ。
この時点で、あるいは4回開始時にプライヤーが亀田に右を2発当てた時点で、コーナーが試合を止めるべきだったかもしれない。しかし、亀田は持ち前の打たれ強さで反撃するが、大きなダメージは与えられない。このラウンドの後半は、プライヤーが乱暴にパンチを打ち、ガス欠状態になった。亀田のアゴとハート、そしてまだ不安定なプライヤーのスタイルが相まって、亀田はラウンドの後半を乗り切ることができた。
5回、亀田は落ち着きを取り戻し、いいコンビネーションを見せたが、頭突きを食らうアクシデントがあり、両者は膠着状態に陥った。亀田はビッグショットを狙い続け、プライヤーは頭突きを気にしてか、乱打を続けた。このラウンドは終了し、シンシナティのファンは故郷のヒーローを見ながら休憩を楽しむことができた。
6回、プライヤーが亀田の後頭部を殴り、亀田がしゃがみこんでそれを避けるという珍しい光景が展開された。亀田のグローブも膝も床には触れていなかったが、レフェリーはこれをノックダウンとみなし、それまでのプライヤーの反則を完全に無視して亀田に強制的に8カウントを与えた。亀田が立ち上がると、今度は強烈な右が顎にヒットし、今度は正規のノックダウンとなった。
これで5ノックダウンとなっても亀田は立ち上がる。6回、王者プライヤーの強烈な右でレフリーは試合を止めた。亀田が狙っていたコンビネーションは決まらず、プライヤーは5ヵ月後に伝説のアレクシス・アルゲリョと対戦することになる。プライヤーは、この夜の記録と26年後の両者の再会を描いた『神様のリング』の中で、アルゲリョではなく亀田が自分のキャリアで最も手ごわい相手だったと語っている。
この晩のテーブルでは、亀田は多大な洞察を与えてくれた。
亀田は、井上尚弥はバンタム級で唯一の脅威と言われているルイス・ネリーにも止められない、日本のボクシング界の特別な才能だと信じていることを教えてくれた。亀田は、より具体的な洞察も提供してくれた。京口紘人がヘッキー・バドラー選手を破り、リング誌のタイトルを獲得した試合を見ながら、京口のテクニックを鋭く分析し、ジュニアフライ級の新王者がいかにパワーとディフェンスを向上させるかについて的確に語ってくれた。
帝京大学空手部顧問、家族との時間など、多忙な日々を送る亀田には、まだ達成したい目標があるようだ。
人体に関する豊富な知識を持つ亀田は、その知識を生かして、がん患者の患部に芳香植物を焼いたり、鍼を刺したりする「灸」の治療を行っている。亀田は、近い将来、この日本独自の薬膳の才能を米国で発揮したいと考えている。
テリー・マーシュとの2度目のタイトルマッチなど、自分のキャリアに悔いはないかと聞かれると、亀田はきっぱりと「ない」と答えた。リングでの経験がリングの外でもポジティブな道を歩ませてくれたのだと爽やかに語った。
ボクシングの伝説はこれからも広がっていく。
アーロン・プライヤー
ベストジャブ 亀田昭雄
日本からやってきた亀田昭雄だね。素晴らしいボクサーパンチャーだったよ。サウスポーで背が高くてハートの強い男だった。彼のジャブが見えなかった。俺がノックアウトしたけど彼のボクシングが好きだ。素晴らしいボクサーだった。
亀田といえば、大阪出身の3兄弟が有名だが、もちろんそれ以外の選手もいる。亀田トリオのいとこである亀田京之介、妹の亀田姫貴など。
また、3兄弟とは関係ないが、1970年代から1980年代にかけて活躍した亀田昭雄も注目される存在である。彼の名は、2度の世界タイトルマッチで当時のファンの多くが知るところとなったが、それについては後述する。
2度の世界タイトルマッチ、日本、中国、韓国、アメリカ、イギリスでの試合にもかかわらず、栃木県、佐野市出身のサウスポー、亀田昭雄についてあまり知られていないと思うので、ここではあなたがおそらく知らないであろう10の事実を紹介する。
1・亀田は1975年のアジア選手権(横浜)で金メダルを獲得し、同年のモントリオール・オリンピック前大会では決勝に進出した。
2・アマチュア時代の戦績は71勝7敗(47KO)
3・アメリカでのプロデビュー戦は、元韓国世界チャンピオンの洪洙煥のカードだった。
4・1985年、北京で塚田啓を下し、IBF日本ウェルター級タイトルを獲得。このベルトが実在したことを知るファンも少ないほど無名で、調べたところIBF日本王座を保持したのは4人しかいなかった。また、JBCとIBFの2つの日本タイトルを保持した唯一の選手である。
5・元々協栄の選手であったが、前述の塚田啓に勝利するなど、その後の試合ではバトルホーク風間が経営するバトルホーク風間ジムの選手として戦っていた。
6・亀田は "200年に1人の天才 "と呼ばれた。
7・1987年、テリー・マーシュとの試合が両者にとって最後の試合となった。アーロン・プライヤーに続く2度目の世界タイトルマッチで敗れ、以後、亀田は二度と戦わなかった。亀田は27勝4敗(21KO)、マーシュは26勝1敗(10KO)で1987年末に現役を退いた。
8・1982年、亀田がアーロン・プライヤーをダウンさせたとき、プライヤーはキャリアで3回目のダウンを喫したと伝えられている。また、解説によると、プライヤーがサウスポーと対戦するのは初めてだった。プライヤーは後に、亀田は対戦した中で最高のジャブを持っていたと述べている。
9・ニック・スコックによる記事で、亀田は空手を教え、化学療法の副作用を軽減すると考えられているお灸で癌を治療していたことが報告されている。ニックによる記事の全文はこちらで読むことができます。
https://nosparring.com/2019/07/13/akio-kameda-reflects-on-aaron-pryor-fight/
10・調べたところ、亀田は1982年に三船敏郎とカルバン・ユングが出演した映画「ザ・ファイター」でボクサー役で出演している。
最近までYahooニュースのボクシングコラムにも登場し、GGGVS村田戦についても語っていたので、まさかこんなに厳しい状況であることを知らなかった。野球の落合がそうであるように、シビアな発言はあれど、どれも的確で鋭く、天才ならではの思考であるように感じた。
日本ボクシング史上最も大きなお金が動いたのはGGGVS村田かもしれないが、一番険しく危険な相手に挑んだという意味では
アーロン・プライヤーVS亀田昭雄が頂点だろう。
わかりやすく言えば、日本人がマイク・タイソンやジャーボンティー・デービスに挑むような試合だ。
暴風雨に呑み込まれたが、ダウンを奪ってみせた。
プライヤーは亀田のボクシングが忘れられなかった。
プライヤーはやばかった。私の中ではレナードやデュランより評価が高い。
コンスタンチン・ジューを超えて、歴代最強のSライト級が彼だ。
亀田昭雄
合掌、追悼、尊敬します。
亀3兄弟の親父かと勘違いしてすみません。
私も癌になったら現代医療に頼らず、信じるものに傾倒します。
協栄でなく、帝拳やヨネクラだったら、環境に恵まれ、練習熱心だったら・・・
あなたが、薬物疑惑もあった狂犬のプライヤーでなく伝説の紳士、アルゲリョと戦っていたら・・・
日本人初のウェルター級世界王者も夢ではなかったと夢想します。
今の日本のウェルターより圧倒的に才気に溢れ、美しい。