忘れられたレジェンド/(キングアーサー)アルツール・グレゴリアン
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複数階級制覇が流行りのボクシング、ライト級王者として近年最も存在感を示したのはシェーン・モズリーだとおもうが、もう一人忘れてはならない男がいた。ウズベキスタン生まれのアルメニア人でドイツが主戦場というわかりにくさ、情報の少なさで知名度はさっぱりだったが、その偉業はすさまじい。モズリーは王座を8度防衛したが、この男は17回守った。

1990年、(キングアーサー)アルツール・グレゴリアンはワシントン州シアトルで行われたグッドウィルゲームでソビエト連邦を代表し金メダルを獲得した。準決勝ではアメリカ代表のシェーン・モズリーを5-0で破り、決勝ではこれまで無敗だったキューバのフリオ・ゴンザレスを3-2で破った。

1991年、オーストラリアのシドニーで行われた世界選手権では決勝でドイツのマルコ・ルドルフに14-19で敗れ銀メダルだった。

361勝23敗というアマチュアキャリアを残した。

グレゴリアンはウズベキスタン生まれのアルメニア人だ。1994年にプロに転向しドイツを主戦場に戦った。18連勝で迎えた1996年4月、空位のWBOライト級王座をプエルトリコのアントニオ・リベラと争い、王座獲得に成功。

2度目の防衛戦の相手マーティ・ジャクボウスキーは当時103勝2敗というキャリアだったが12回でノックアウト勝ち。後の世界王者ラウル・バルビ(アルゼンチン)と対戦し、11回TKO勝ちを収め3度目の防衛に成功。

5度目の防衛戦では1994年の世界選手権決勝で負けた、マルコ・ルドルフをノックアウトしプロで借りを返した。

その後もソウルオリンピック代表のジョルジオ・カンパネラ、24戦無敗のマイケル・クラークなどを破り防衛を重ねた。ゾルタン・カロクサルとの防衛戦ではドイツを離れハンガリーのブダペストで戦った。

グレゴリアン
「新しいシューズを使ったら足裏に大きな水疱が3つもできて痛かった。」

2000年11月、12度目の防衛戦はコロンビアのアントニオ・ピタルア(30勝1敗)を破る。
再びブダペストでアルゼンチンのアルド・リオス(28勝1敗)を破る。
リオスの一敗はWBA王者のスティーブ・ジョンストンに喫したものだった。

キャリア終盤、イタリアのステファノ・ゾフ(38勝7敗)、ポーランドのサウスポー・マット・ゼガン(24勝無敗)にも勝利し、連続防衛回数は17を記録するも、この2試合の判定は物議を醸した。

およそ1年のブランクを経て、2004年1月3日、18度目の防衛戦で遂にアメリカ初デビュー。34勝31KOの王者アセリノ・フレイタス(ブラジル)と対戦し判定負けを喫し王座から陥落。37戦目にしてキャリア初黒星となった。右目に致命傷を受けた。

https://www.youtube.com/watch?v=tw8_cJYhaXM

8か月後にブルガリアで4回KOで再起を飾るも、それを最後に引退。4年後に41歳でドイツのハンブルクで1試合だけ行い判定勝ち。それが永遠に最後の戦いとなった。

引退後はドイツのハンブルクに妻と娘と暮らし、ボクシングのトレーナーをしている。

通算戦績38勝22KO1敗
17連続防衛(階級最多連続防衛記録)

在位期間は7年6か月で2位
ベニー・レナードが(7年8ヶ月)

情報が少なく、まともな記事もなくWIKIぽい内容になってしまいましたがWIKIではありません。

アルツール・グレゴリアン、キャリアのほぼ全てをドイツ、時々ハンガリーで全うし謎に包まれた王者だったがその実力はアマチュアの頃から本物だった。

18度目の防衛戦で遂にアメリカ初デビュー、相手は2階級制覇を狙う全勝王者のアセリノ・フレイタス。やっとグレゴリアンが観れるという試合であっけなく完敗してしまったのが価値、評価を下げてしまった面もあるだろう。

少しグレゴリアンを擁護すると、フレイタス戦時はもうキャリアの晩年で36歳だか37歳の頃であり、その前の2戦の防衛戦も内容が悪かった。さらには怪我で1年のブランク明けだった。それでも、アメリカデビューに並々ならぬ意欲で気合が入っていたが(インタビューを読んだ)若きフレイタスのパワーに圧倒されてしまった感は否めない。

誰も知らないし、人気もないが、当時から東ヨーロッパのトップアマは静かなる躍動をはじめていた。グレゴリアンのような猛者は、アメリカのスター連中すら勝てなかったトップアマであり、5度目の防衛戦で下したマルコ・ルドルフというのはデラホーヤやコラレスにも勝っているアマの巨人だ。(バルセロナではデラホーヤが逆転しルドルフは銀メダル)

https://boxrec.com/en/proboxer/6427

グレゴリアンに負けた1敗だけでプロを引退してしまった。

情報が限られていただけで、世界には様々な才能がいた。
メディアがちやほやしている者だけが強者ではなかった。
シェーン・モズリーを5-0で破っているのだ。

忘れてはいけないという意味で記録した。
フレイタス戦以外映像もほとんどないし。

マーティ・ジャクボウスキーは当時103勝2敗

https://boxrec.com/en/proboxer/7022

なんだ、こやつは・・・

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