We don’t know pain(痛みを知らない)アーサー・アブラハム
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トレーナーが教えてくれたのは、困難に直面したときにそれを受け止められる者だけが、本当にビッグになれるということだった。僕とトレーナーのモットーは、We don’t know pain(痛みを知らない)です。

いかつい顔のアーサー・アブラハムは、2000年代から2010年代にかけての15年間のキャリアにおいて、ミドル級とスーパーミドル級で世界タイトルを獲得した。

アブラハムは1980年2月20日、アルメニアのエレバンでアベティック・アブラハムヤンという名前で生まれた。

アブラハム
「私の生い立ちや教育は、他の国とはかなり違っていた。ソビエト連邦(の支配下)にいた時代は、生き残ることを教えられた。目標を持ち、そのために戦うことは良いことだ。アルメニア共和国は1991年9月21日に(ロシアから)独立し、日々発展しているんだ。」

15歳でドイツに移住すると、スポーツへの関心が高まった。才能に恵まれたアブラハムは、サイクリングに秀で、北バイエルンとフランコニアのユース・チャンピオンになった。しかし、彼の将来はボクシングに託された。

1997年にはドイツ国際ジュニアウェルター級チャンピオンになった。その後、アルメニアに戻り、2000年のオリンピックに母国代表として出場することを希望していたが、2年間の軍隊生活によりシドニーへの出場は遠のいた。

国際経営の学位を持つアブラハムは、アルメニアで3年連続ライトミドル級タイトルを獲得し、2003年にドイツに戻った。

アマチュアとして90勝7敗の成績を収めたアブラハムは、高名なトレーナー、ウリ・ヴェグナーの目に留まり、当時スーパーミドル級王者だったスヴェン・オットケのスパーリングパートナーとして腕を磨いた。

2003年8月、ザウエルランド・イベントに所属し、WBC168ポンド王者のマルクス・バイヤーがダニー・グリーンに失格判定で勝利した試合のアンダーカードで3ラウンドに勝利した。

2005年7月には、経験豊富な元世界タイトル挑戦者ハワード・イーストマンをアウトボクシングで破り、印象的な勝利を収めた。

ジャーメイン・テイラーがIBFタイトルを返上すると、2005年12月、アメリカ在住のナイジェリア人、アイク・イケケをストップし、ベルトを手に入れた。

アブラハム
「あの時の気持ちは言葉に表せないほどだった。喜びで涙が止まらなかったよ。私は25年間、トレーナーのウリ・ヴェグナーやチームと一緒に、この瞬間を待っていたんだ。」

アブラハムは、シャノン・テイラー(UD12)、コフィ・ジャントゥア(UD12)という経験豊富なベテラン選手の挑戦を退けた。そして、無敵のエディソン・ミランダと対戦、試合は4ラウンドに顎を骨折しながらも戦い、パワーパンチを持つコロンビア人を打ち負かした。

アブラハム
「最もタフな試合のひとつだった。トレーナーが教えてくれたのは、困難に直面したときにそれを受け止められる者だけが、本当にビッグになれるということだった。僕とトレーナーのモットーは、We don’t know pain(痛みを知らない)です。」

3年半の間に10回の防衛に成功したアブラハムは、コーレン・ゲボー(KO11)とエルビン・アヤラ(KO12)にハイライトとなるKO勝ちを収めた。元IBFジュニアミドル級王者ラウル・マルケス(RTD 6)も撃破した。

ノンタイトルのキャッチウェイト戦でミランダと再戦し、4ラウンドでストップ。

ミドル級で証明するものがなくなったアブラハムは、スーパーミドル級に転向しSuper Sixトーナメントでより大きな対戦相手と賞金を求めた。最初の試合は、2009年10月、ベルリンで元160ポンド級統一王者ジャーメイン・テイラーと対戦。

アブラハム
「とても大きな試合だったし、勝つことがとても重要だった。残り数秒で逆転KO勝ちしたんだ。みんなも喜んでくれたし、僕も2倍うれしかった。」

次の試合は、アメリカの超実力派スピードスター、アンドレ・ディレル。ディレルのペースで試合が進むと、11ラウンドでディレルがスリップダウンしているところを殴り、失格負けとなった。

2010年11月、フィンランドのヘルシンキで、カール・フロッチににアウトボクシングされ敗退。

しかしディレルとテイラーがトーナメントを棄権したため、アブラハムは準決勝でアンドレ・ウォードと対戦することとなる。

アブラハム
「何と言えばいいんだろう?ウォードは最高の戦術を持っていたんだ。」

12ラウンドの全会一致の判定で敗退。

トーナメント敗退後、アブラハムはドイツに帰国した。2勝した後、当時のWBO168ポンド王者ロバート・スティグリッツの相手にラインナップされた。

アブラハム
「ベルリンのO2ワールド・アリーナで行われた最初の対戦は、私にとって2階級制覇を達成した特別なものでした。当時、私は明らかにスティグリッツをアウトボックスしていた。」

再戦では、スティグリッツがアブラハムに3ラウンドで逆転勝ち。

アブラハム
「彼がフルスロットルで攻めてくるので、ちょっとびっくりしたた。目を怪我した時に戦意喪失してしまったんだ。」

その後2勝をあげ、待望のスティグリッツとのラバーマッチを実現させた。最終ラウンドにノックダウンを決め、12ラウンドのスプリット判定で王座に返り咲いた。

アブラハム
「とてもハードなトレーニングを積んだので、タイトルを取り戻すことができた。私にとって非常に重要で幸せな日でした。」

キングアーサー(アブラハム)は、さらに5回の防衛戦を行い、イギリスのポール・スミス(UD12)とマーティン・マレー(SD12)を破り、スティグリッツ(TKO6)に対する議論に終止符を打った。

その後、メキシコの新星ヒルベルト・ラミレスにWBOのベルトを奪われるが、さらに数年間戦い続け、47勝6敗(30KO)という戦績で現役を退くことになった。

アブラハム
「私はとても幸せで、とてもラッキーだ。子供たち、妻、家族がいる。もっと子供が欲しい。ボクシングが大好きです。多くの試合を経験し、キャリアには満足しているが、それは終わったことであり、これからは自分の人生を楽しむ時だ。」

現在42歳のアブラハムはルシアと結婚し、3人の幼い子供とベルリンに住んでいる。

アブラハム
「私は今はビジネスマンです。ボクシングで稼いだお金は、不動産に投資している。今は、自分のプロジェクトを進め、さらに一生懸命働いている。62人を雇用しています。バルト海沿岸にホテルを持ち、ドイツ各地に不動産を持っています。100人を雇用するのが目標です。今日まで、トレーナーのウリ・ヴェグナーとプロモーターのヴィルフリート・ザウエルランドにとても感謝しています。この2人がいなければ、今の私はありません。」

ベスト・ジャブ ジャーメイン・テイラー

私が対戦した中で最高のジャブでした。とても硬く、速く、パワフルでした。試合後ジャブのせいで右脇腹が痛くなりました。

ベスト・ディフェンス アンドレ・ウォード

彼にクリーンショットを打つのは大変だった。

ベスト・ハンドスピード ウォード

とても速かった。

ベスト・フットワーク アンドレ・ディレル

1人ではなく、2人いました。アンドレ・ウォードとアンドレ・ディレルです。ディレルはフットワークがよく、とても速く走っていました。彼のフットワークはとても知的でした。

スマート ウォード

ウォードはとてもスマートで、誰をも打ち負かした。

屈強 エジソン・ミランダ

彼は生まれつき、肉体的にとても強かった。彼に殴られたとき、私は全身に痛みを感じたよ。でも、私は彼より賢かった。

ベスト・チン コフィ・ジャントゥア

カール・フロッチとコフィ・ジャントゥアはいいアゴをしていた。私のパンチをすべて受け止め、決して倒れることはなかった。私はフロッチよりもジャントゥアを殴った。テイラーがフロッチを殴ったとき、彼はダウンした。ジャントゥアは打ち続けた。

ベストパンチャー テイラー

彼はとてもとてもハードパンチャーだ。彼の左はとてもハードだ。彼は私を痛めつけすぎました。私は勝つために、最後にすべての痛みを取り除きました。多くのパンチを受けましたが、生き残ることができました。

ベストスキル ウォード

アンドレ・ウォードは大変な才能を持っていた。彼は最高のテクニック、スピード、距離(のコントロール)を持っていました。私にとっての全てはウォードです。

オールラウンド ウォード

彼はボクシングのために生まれてきたようなものです。
このような能力を身につけた後、好きなだけトレーニングしても、彼のようになることはできない。神様が少し、父親が少し、そして彼自身が少し与えてくれたものです。

その結果、彼は最高の選手となったのです。彼はオリンピックの金メダルを獲得しましたし、非常に優れた才能を持っています。スピードもあるし、頭もいいし、プロとしても非常に優秀です。私にとっては、彼がベストです。

昔からアルメニアのボクサーは坊主しかおらず、男らしく屈強で、犬のような名前をしているとおもっていたが、彼は、ビッグ・ダルチニアンに次ぐ、アルメニア2人目の世界王者なんだそうだ。

「キング・アーサー」のニックネームそのままに、いかつくて、剛腕で、ヤバい香りがプンプン漂うマッチョな男だった。ボクサーでなければマフィアか、ジェイソン・ステイサムよりもジェイソン・ステイサムみたいな男だった。

これほどの顔面と鉄の意思と拳を持つ男は当然世界王者となり、破壊的なノックアウトをたくさん魅せてくれたが、スタイルが男らしすぎる、いわばオールドスクールの正面衝突なので、打ち合いには滅法強いが、スピードや足のある米国黒人系が鬼門となり、陥落。

なんとなく、内山高志のミドル級バージョンだった。

しかし最後は地元ドイツやヨーロッパでもうひと華を咲かせた。

ゴロフキンや村田らと比べても、いかつくて拳は固そうだが、マッチョなだけに身長は175センチ程度、リングではもっと大きく見えたものだ。

あれだけの剛腕、鉄腕、わかりやすく正直な殴り合いで一時代を築いた男が、現役後も健康で実業家として活躍しているのは、きっと地頭がいいせいだ。

聡明で屈強で気持ちの強い、インテリファイターだったのだ。

コロナでホテル経営は大変だろうが、顎を折って血まみれになっても試合を捨てない、ラスト数秒でテイラーを逆転KOしたアブラハムならば、

We don’t know pain(痛みを知らない)精神力できっと成功するだろう。

半端ない、美女と野獣。

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