瞬間最大恐怖(ポポ/ブラジリアン・ボンバー)アセリノ・フレイタス
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個人的この男は怖かった。強かったとおもう。プロらしいノックアウトアーティストで、ボクシングに一番欲しい怖さを持っていた。だから評価する。そしてもっと偉大になれたと確信する。

翻訳、引用以外はあくまで個人的などうでもいい感想です。

ブラジルのパワーパンチャー、アセリノ・フレイタスは1990年代半ばから2000年代半ばまで常にファンを熱狂させ、2つの階級で世界王座を獲得した。

1975年9月21日にブラジル北東部バイーア州サルバドールで生まれた。極度の貧困に悩まされた。

フレイタス
「35平方フィートの家で育ちました。ボクシングのリングより小さく、そこで5人で暮らしていました。風呂は当然ありません。いつも腹を空かせていました。とても貧しかったです。全てを変えたのがボクシングです。私がボクシングを選んだのではなくボクシングが私を選んだのです。無数のブラジル人の中から私は神に選ばれたのです。」

バルセロナオリンピックのボクシング・フライ級代表となるが、2回戦で敗退。1995年3月、アルゼンチンで開催された第12回パンアメリカン競技大会ではライト級で銀メダルを獲得した。

その後すぐ「POPO」はプロになった。デビュー戦を初回KOで飾った。
その圧倒的なパワーはすぐに注目を集め、コスタリカ、メキシコ、アメリカ、英国で戦った。

4年後、20戦20KOのパーフェクトレコードをひっさげ、フランスでWBO世界スーパーフェザー級王者アナトリー・アレクサンドルフを1回KOで倒し王座を獲得。カザフスタン生まれのアレクサンドルフは意識を失い、呼吸器を注入され担架でリングを去った。

フレイタスにとって、この時が最も誇らしい瞬間だと言う。

フレイタス
「世界タイトルを獲得したことが私の人生を変えました。」

バリー・ジョーンズ(TKO8)、将来のIBF軽量タイトルホルダーハビエル・ハウレギ(KO 1)、頑丈なベテランカルロス・リオス(TKO 9)、オーランド・ソト(KO 1)WBA王者ホエル・カサマヨール(UD 12)との統一戦を制し9度の防衛に成功した。

王者時代にライト級でノンタイトル戦をガーナのベテラン、アルフレド・コティと戦い判定勝ち。30戦目で初の判定となった。

2003年8月、マイアミでホルヘ・バリオス(39勝1敗)と対戦、フレイタスは2度ダウンする大苦戦を強いられ試合は拮抗したものとなったが、最終回に壮絶なノックアウトを奪い返しスコアカードを無効にした。

https://www.youtube.com/watch?v=D-noe7P-XgI

その後、ライト級に転向し、長期安定王者のアルツール・グレゴリアンを破り2階級制覇に成功。

2004年8月7日、アメリカコネチカット州でディエゴ・コラレスと初防衛戦で対戦。8、9、10回にダウンを喫すると、そのまま試合を放棄し、10回1分24秒TKO負けとなり防衛に失敗、これが初敗戦となった。

2006年4月29日、アメリカコネチカット州でWBO世界ライト級王座決定戦をザヒール・ラヒームと行い、12回判定で破り王座に返り咲いた。同王座は防衛戦を行うことなく、同年10月4日に現役引退を発表し、王座返上した。

しかし、すぐに引退を撤回し、WBA王者のファン・ディアスとの統一戦が決まったが、もはやかつてのフレイタスではなかった。若くエネルギッシュなディアスがチャージを続け、フレイタスは8回で棄権。ブラジルのテレビ番組で再び引退を表明した。

2011年、政治家に転身し故郷の衆議院として4年の任期を務めた。再選に失敗するとフレイタスは再び現役に復帰し低いレベルで2試合戦った。しかしもう2度と戦うことはないという。

通算戦績:41勝34KO2敗

フレイタス
「ボクシングが好きだからまた戦うことにした。また、ブラジルでボクシングをもっと広めたいとおもっていました。今度こそ本当に引退です。」

フレイタスには心残りが3つある。

フレイタス
「コラレスと再戦したかったが断られた。パッキャオ、メイウェザーと戦ってみたかった。」

それらのビッグマッチが実現しなかったにも関わらず、フレイタスはブラジルで大人気だ。

フレイタス
「私のアイドルはペレ、ネイマール、マイク・タイソンです。彼らに会うのではなく、彼ら全員が私に会いにきてくれました。何百万人の人が私の試合で熱狂してくれました。」

現在44歳のフレイタスには6人の子供がいて妻とは離婚している。地元の人気者でテレビ番組などに出演している。

フレイタス
「ボクシングが私に与えてくれた素晴らしい生活、素晴らしい家族、人生です。」

ライバルについて

ベストジャブ ファン・ディアス

ディアスのジャブは速かった。私のタイミングはずれていました。

ベストディフェンス ピーター・バックリー

ガードがしっかりしていて、私のパンチは直に当たりませんでした。当てるのが難しかったです。

ハンドスピード ディエゴ・コラレス

パワフルで速いパンチで私を倒した。

フットワーク コラレス

とてもうまく動き、パンチも強い。

ベストチン アルフレド・コティ

私のノックアウト記録を止めました。人生でこれほど打たれ強い男に会ったことはない。

スマート ホエル・カサマヨール

スマートかつダーティーでした。非常に強く知的なファイターです。

屈強 コティ

たくさん殴りましたが判定まで粘りました。彼は私の34人の相手が耐えられなかったことに耐えました。彼が最もタフでした。

ベストパンチャー コラレス

彼はパンチが強かった。スーパーファイターだった。おまけに速い。彼のパンチは痛くてスピードは厄介でした。私にTKOの敗北を与えた唯一の男なので彼をベストパンチャーにします。

ベストスキル カサマヨール

強くて頭がいい。相手に対して自分のスキルをどのように使うのか熟知していた。脚の動きがよかった。彼との試合は永遠に忘れないよ。

総合 カサマヨール

最高の反射神経、高速サウスポー、とてもインテリジェント、彼との戦いは厳しいもので私にとって非常に重要な統一戦でした。カサマヨールはスーパーファイターです。とても速かったけど、私には準備が出来ていました。

やはり子供のような純粋さのままに王者を駆け抜けていったという印象が強い。カサマヨールをこれだけ評価しているのに、カサマヨールのフレイタスに対する評価は厳しい。

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負けにされたのが気に食わないのだろう。

テクニシャン、玄人であればあるほどアセリノ・フレイタスに対する評価はあまり高くないかもしれないが、個人的には恐ろしく魅力的なパンチャーであり、ジュリアン・ジャクソンに連なるノックアウトマシーンだった。ブラジルというボクシング文化が低い国から才能だけで突き抜けて、カサマヨールとためをはり、グレゴリアンを破ってしまうのは凄い。

しかし、ディエゴ・コラレスという自分と同じ強打者+アルファの才能に打ち負かされてからフレイタスの勢いは落ちていった。ライト級も制すが、ノックアウトは減り、判定も視野に入れたボクサー型にシフトしていった。意外な器用さ、巧さも発揮した。スーパーフェザー級を9度も防衛したのだから立派だが、ずっとスーパーフェザー級でやっていればと悔やまれる。

敗北は全て棄権というところもメンタルの弱さを表している。

中南米から来た天才肌のパンチャータイプというのは長続きしない事が多い。
成功に浮かれ、練習をサボり、すぐに腑抜けてしまう。内山を破ったジェスリル・コラレスにもすごい身体能力に引き換え弱みや雑味がかなり残っていた。

世界の頂点に立ったら環境を本場に移す、トレーナーを見直すなど、さらなる精進をしていかないとトップレベルをずっと維持できない。

という典型的な例だったかなとおもう。

しかし本当に勢いがあった頃、スーパーフェザー級で王者になったあたりのフレイタスは恐ろしく、そういうタイミングではビッグネームには相手にされない。選ばれない。メイウェザーやパッキャオにだって勝つ可能性はあったとおもう。しかしそれは一瞬の輝きだった。

いつの時代もそういう南米の怪物は現れる。しかし絶対的な王者になれるかはそこから先なのだ。そういう教訓まで与えてくれた。

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