ウクライナボクシングの強さの秘訣、それは豚の脂肪です。私たちは豚の脂肪をたくさん食べます。キューバのような厳格なアマチュアプログラムを持っているような国ではそんなものは禁止されているでしょう。でも、もし彼らが豚の脂肪を食べても強くはなれません。ウクライナ人じゃないから。(笑)
2018年の夏がそれほど暑くなくても、地球上で最高のクルーザー級の2人はFIFAワールドカップ決勝から一週間も経たないうちにモスクワを再び明るく照らした。
1987年1月17日にソビエト連邦のクリミアで生まれたオレクサンドル・ウシクは、15歳でボクシングを始めるまで普通の子供時代を過ごしていた。
ウシク
「最初の練習でボロボロ、クタクタになりました。その時から私は他の誰よりも2倍、3倍長く、より厳しいトレーニングをせねばなりませんでした。3時にジムに来て7時まで練習しました。そのようなトレーニングで少しづつ結果を出したことがよりモチベーションとなりました。馬鹿みたいにトレーニングする自分をみて笑っている子供もいましたが、さて、今でも笑ってる人はいるかな。」2006年、19歳のウシクは165ポンドでウクライナナショナルチャンピオンシップでデビューした。トーナメントで優勝し、ウクライナオリンピック代表の補欠になった。2008年、代表のデニス・パヤチクが怪我で出場できなくなり、ウシクにチャンスが回ってきた。イタリアの予選トーナメントで本来の体重より35ポンド重い200ポンドで出場し勝ち抜き、北京オリンピックへの切符を手にした。
しかし北京オリンピックでは結果を残すことができなかった。準々決勝で後に金メダリストとなるクレメンテ・ルッソに敗れた。
ウシク
「私はそれを真剣に受け止めていませんでした。本来の方法で準備しておらず、あまりにも軽く考えていました。あの時私は21歳でボクシングをゲーム感覚に捉えていました。」ウクライナにはP4Pでトップ5の男が2人いる。(ロマチェンコ、ウシク)そしてオレクサンドル・グヴォジクもいる。ベテルビエフやその他のファイターもそこからさほど遠くない土地から出てきた。なぜウクライナのボクシングはそんなに強いのだろうか?
ウシク
「それは秘密です。ウクライナの国家機密です。(笑)私たちは豚の脂肪をたくさん食べます。キューバのような厳格なアマチュアプログラムを持っているような国ではそんなものは禁止されているでしょう。でも、もし彼らが豚の脂肪を食べても強くはなれません。ウクライナ人じゃないから。(笑)豚の脂肪、覚えておいてくださいね。
まじめに答えると、トレーニングの賜物です。過酷なトレーニング、そして多くがサウスポーであること、フットワーク、リングコントロール、それが成功のカギです。」
親友のワシル・ロマチェンコのアドバイスを受け、ウシクはトレーナーを変えた。パパチェンコと言われる、ロマチェンコの父親アナトリー・ロマチェンコの指導の元、成果はすぐに表れた。アナトリーの指導法はかなり型破りだ。ワシル・ロマチェンコのボクシングトレーニングを一旦中止しフットワークを改善するためダンスクラスに入れさせたのは有名な話だ。
それ以降、ウシクは10年間で一度しか負けていない。世界アマチュア選手権で将来のオリンピック金メダリスト、イゴール・メコンチェフに負けただけだ。ウシクは2012年ロンドンオリンピックで金メダルを獲得し、テレフ・プレフ、アルツール・ベテルビエフらを破り、4年前に敗れたクレメンテ・ルッソにも雪辱した。
しかし金メダルを獲得した喜びはすぐに故郷からの悲しい知らせに覆われた。金メダルを獲った息子が帰宅する前にウシクの父親は亡くなった。ウシクはアマチュアを区切り、WSBを介してプロ転向を決意した。本格的にプロで戦うために、アメリカのトレーナー、ジャームズ・アリ・バジールと契約した。
迅速かつ順調にキャリアを重ねたウシクは、ポーランドで世界挑戦のチャンスを得、王者クシシュトフ・グロワッキを下してWBOタイトルを獲得した。その後、米国に進出し西海岸でファンに認知されるよう努力を重ねた。
WBSSが登場し、ウシクは自分のキャリアのステップアップに飛びついた。
人気のないクルーザー級で外国人の自分の名前を売るには、最も困難でやりがいのある道を選ぶのが彼のやり方だ。ウシクはクルーザー級の統一を目指し、ドイツ、ラトビア、そして今やロシアに向かう「ロードウォリアー」となった。才能あるファイターが故郷を離れることを恐れて、簡単な相手と戦う道を選ぶ無駄な時間など、ウシクには必要ない。オレクサンドル・ウシクの誕生日はモハメド・アリと同じ1月17日だが、考え方もアリと同じだ。
ファンを楽しませること、ベストになることが大好きで、進んで対戦相手の故郷に向かっていく。彼らが住み、食べ、眠る場所で彼らと戦う。過去5試合でウシクは4つの異なる国で戦った。今ウシクは世界最高峰を求めて、再び故郷を旅する。モハメド・アリトロフィーの栄冠をかけて立ち向かう。
ムラト・ガシエフとオレクサンドル・ウシクは異なる人生を歩んできた。彼らは異なる道を歩み今まで交わることがなかったが、今こうしてここにいる。最もエキサイティングな2人のファイターはボクシングの旅で求めている究極の答えを得るために戦う。
世界で最も謙虚で素晴らしい2人は、7月26日、モスクワで頂点を争う。
https://www.youtube.com/watch?v=a-t8ohbSG64
追記
その後、ウシクはトーナメントを勝ち抜き、議論の余地なきクルーザー級の統一世界王者となった。
ウシクはテクニック、スタミナを使って、ノックアウトするのではなく、敵の破壊力を無効にするスタイルを示した。実際、ガシエフ陣営のトレーナー、アベル・サンチェスは、試合の途中で何度も試合を続けるかガシエフの意志を確認せねばならなかった。
ウシクは大きなロマチェンコと言われる。今ではウクライナに伝説を取り戻すことに情熱を傾けている。2014年にロシアが併合したクリミアで生まれたが、クリミアは現在でも紛争中だ。その後、妻のエカテリーナと3人の子供を連れてウクライナのキエフに移動したが、クリミア出身という自分のルーツを誇りにしている。
2014年、ウシクはロシアの市民権を拒否し、東部国境のウクライナの兵士を表敬訪問した。しかしウシクは今はクリミア問題についてコメントを控えている。数年前までやっていた独特なコサック風のヘアスタイルもやめた。世界を代表するアスリートとしての規律を保つことを学んだ。
4団体全てを統一したウシクにとってクルーザー級でやり残したことは何もない。
トニー・ベリューとの対戦はヘビー級への宣戦布告だ。
かつてクリチコ兄弟が持っていたタイトルを取り戻すつもりなのだ。https://www.youtube.com/watch?v=qzPNsP3VqiA
ウシク
「もうわかっているとおもいますが、ベリューと戦う理由はジョシュアへの道だからです。私の目標はヘビー級王者、ジョシュアに到達することです。」オレクサンドル・ウシクはヘビー級の栄光の経路をみている。その経路の先はジョシュアで終わる。
もうネタが枯渇して気になるウシクを探していましたが、ガシエフとの決勝前の記事しかなかったので、いくつかをガチンコ混ぜ合わせた記事になりました。少しだけオレクサンドル・ウシクという男について詳しくなれたでしょうか。
正直、彼のファイトはあまりエキサイティングだとはおもわないが、他のクルーザー級よりもスキルもインテリジェンスも上を走っている。パワーがあるのにパワーに頼らず技術を駆使する。特に脚の使い方が他の重量級にない武器だ。どんなに化物じみた快進撃を続けていてもウシクにピタリと止められてしまう。
ファイトスタイルにはさほどエキサイトしないが、ロードウォリアーとしての姿勢、成し遂げている事は共感する。ロマチェンコと同じくいつも故郷を離れ戦い結果を出している。
記事はジョシュアで終わっているが、ジョシュアがコケて目標が混とんとしてきたが、ウシクの究極の目標は達成されるだろうか。アウェーばかりで勝ち抜いてきたこの男は強い。
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