悪魔が来りて笛を吹く/エドウィンDinamita(ダイナマイト)・バレロ
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バレロは自殺したのではなく、刑務官たちに殺されたんだ。

https://www.youtube.com/watch?v=jDKDreooONc

ベネズエラのバレンシアにある荒れたストリートで生まれたバレロは、他の同年代の子供たちからは仲間外れにされていた。

だから余計に遊びの喧嘩は深刻なものになってしまう。
その気性の激しい子供は12歳の時ボクシングに出会った。

バレロはアマチュアとして、かつて倒れたことのない男たちを次々に倒し、86勝6敗57KOの成績を残した。バレロのスタミナ、純粋なパワーと強度は、彼を本能の怪物にした。

ベネズエラのボクシングトレーナーの多くは、バレロの才能に感銘を受け、今後の活躍に期待を寄せていた。

多くの人は、バレロには戦うための自然な才能があり、象徴的なボクサーに必要な要素が全て備わっていると考えていた。5フィート6で、体重は120ポンドしかなかったが、破壊するためだけに作られたマシーンのようだった。

WBCライト級王者であるマイキー・ガルシアはバレロとスパーリングを行ったことがある。

マイキー
「彼はハードヒットだけでなく、スパーリングの相手を常にノックアウトしていた。憑依されたように、バレロは人を傷つけたがっていた。」

バレロの戦術には「相手の武器を奪う」というものがある。これは相手の腕を殴り続けることで、腕が痛くて上がらないようにするものだ。

2001年2月5日、19歳の時にバレロはヘルメットをかぶらずにバイクで大事故に遭う。頭蓋骨を骨折しプロデビュー前に血栓を取り除く手術を受けた。

プロデビューしたのは2002年7月9日のことで、リングの隅で相手を倒すために2分間、絶え間ないパワーパンチを繰り出していた。続く17人の対戦相手を全て1ラウンド以内に撃破し、そのパワーと俊敏性、数え切れないほどの強烈なパンチを放って、自分の名を世に知らしめることになった。

ベネズエラの30年間で最高のプロスペクトとなり、当然のことながら、リングに上がったすべてのファイターを打ちのめし、歩くデスマシーンとなった。

2004年、バレロが12勝12KOだった時、ゴールデンボーイ・プロモーションズと契約、スターダムの夢はほぼ現実のものとなった。しかし脳の手術が明らかとなり、出場停止処分を受け、アメリカでボクシング活動ができなくなった。

再び戦えるかどうかわからないという思いに精神的に打ちのめされたはずだが、バレロはそうではなかった。決して歩みを止めなかった。スポーツ界のスーパースターになるために必要なものはすべて持っていたが、2009年までアメリカでは戦わず、他の場所で戦うことになった。

2006年、バレロはパナマ・シティでヴィセンテ・モスケラとWBAスーパーフェザー級王座決定戦に臨んだ。1回で2度もノックダウンされたモスケラは決して諦めない根性を見せ立ち上がって戦い続けた。バレロも第3ラウンドでノックダウンされた後、気迫とハートを見せた。ラウンドを重ねるごとに相手を懲らしめるバレロは、10ラウンド目についにモスケラをストップした。

スーパーフェザー級王座を4度防衛した後、WBCライト級王座に挑戦。この間、100%のノックアウト率を維持し、多くの著名なボクシングスターから注目を集めた。

フレディー・ローチはバレロをマニー・パッキャオとのスパーリングに招待した。

スパーリングの映像は公開されていないが、2004年にエリック・モラレスとスパーリングを行った時のものならある。バレロは信じられないほどのパンチを繰り出しモラレスの鼻を折った。マニーとエドウィンのスパーリングの間に何が起こったのかは想像することしかできないが、それが競争的で爆発的なものだったと多くの関係者は信じている。

https://www.youtube.com/watch?v=L2cVjX12BEk

リングを愛し、常に相手をノックアウトすること、それがバレロの最大の資質だった。学習過程であるスパーリングでも、バレロは相手を痛めつけたり、足がフラフラになるまでショットを繰り出した。

より良い挑戦のために体重を増やしていた。アントニオ・ピタルアとの戦いは、世界クラスの相手を簡単に倒すことができるバレロが、この段階でどれだけ学んでいるかを示していた。

試合はわずか3分49秒で終了し2階級世界王者となった。
バレロにはもっと厳しいテストが必要だった。

2010年2月6日、アントニオ・デマルコとの試合がラストファイトになった。デマルコはWBCライト級のベルトを獲得したが、バレロとは対戦しなかった。4インチの身長差があるデマルコは、最初の2ラウンドでバレロを抑えていた。2ラウンドでは、デマルコが不用意にバレロにヒジ打ちをしたが、頭から血が滴るバレロは全く気にしない。デマルコが10ラウンド目にスツールに座ったまま棄権するまで、自由にコンビネーションを繰り出していった。

バレロは3月10日にライト級王座を返上し、スーパーライト級を目指すことになる。

妻を殺害した罪で逮捕されたバレロは、刑務所の独房で首を吊って自殺した。
もっと多くのことを成し遂げられたはずのボクサーの恐ろしい最期だった。

エドウィン・バレロの生死には多くの謎が渦巻いていた。妻の死が訪れる前に、彼に対して多くの暴行疑惑があった。妻はアザや傷跡が絶えず、半年間の精神科のリハビリが最終的に二人の死につながった。ベネズエラでの彼の人気と功績のために、多くの人がバレロは恩赦されるとおもっていた。このことが、刑務官たちが、エドウィン・バレロを抹殺することに駆り立てたのかもしれない。

バレロのマネージャーだったホセ・カスティーリョは

「バレロは自殺したのではなく、刑務官たちに殺されたんだ。」

と述べた。

バレロは多くのドラッグに手を出していたとも言われている。目が赤い、早起きしない、イライラする、調子に乗らないなどの症状は、彼の友人が語ったもので、スポーツ選手としては非常に珍しいものだった。社会が決めたルールや法律の中で生きることが耐えられないケースに多い症状だ。

エドウィン・バレロの終焉は、偉大な才能が浪費された悲劇の物語の一つとなった。

世界王者としての名誉やボクサーとしての地位はリングの外で何をしようと関係ないはずだ。
バレロのキャリアは、彼の犯した許しがたき行為よりも、大統領の友人であり、国の象徴であるという名声の方が優先されるだろう。

エドウィン・バレロは偉大なボクサーだったが、根っからの暴力人間だった。
ついに悪魔が彼に追いついたのだ。

https://www.youtube.com/watch?v=9cggW7sVa5c

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