喧騒の中の孤独/(バズーカ)アイク・クオーティー Vol.2

WBA世界ウェルター級チャンピオン、防衛7度。これがクオーティーの残した記録だが、記録以上に記憶に残る名王者だった。バズーカの名の通り、目にも止まらぬ硬質なジャブと破壊力のある右ストレートで心に訴える強烈なファイトを多数魅せた。ウェルター級王者という肩書が最高に似合う男だった。

1995年5月、クオーティーはHBOでパーネル・ウィテカーVSフリオ・セサール・バスケスの前座で韓国の朴政吾と戦った。アメリカの大きなネットワークで放送される最初の試合だった。

クオーティー
「朴は大変な選手でした。口の中が傷だらけで血まみれになりました。初回で朴のパンチ力がすごいとわかったので2回からは足を止めて朴のパンチがどこから出てくるかよく観察するようにしました。私が朴のパンチ力が凄いと感じていた以上に彼も私のパワーを恐れていたとは知りませんでした。」

https://www.youtube.com/watch?v=UmcUFtxM6_Y
https://www.youtube.com/watch?v=z_V3lYqqQW0

クオーティーは3回にパンチを集中砲火し朴の顔面を血まみれにし、4回でストップ。朴はアゴの骨を砕かれた。

クオーティー
「この試合のおかげでHBOに注目されるようになりました。ラリー・マーチャントが私を気に入ってくれました。彼は賢いね。(笑)」

1994年4月、再びHBOでビンス・フィリップスと防衛戦。マーチャントはフィリップスを甘くみるなとクオーティーに助言したという。

クオーティー
「ビンスは誰よりも激しく私を殴りました。ビンスは後にコンスタンチン・ジューをノックアウトしましたが私には驚きでもなんでもありませんでした。2回に私は打たれましたが、早くこの男を潰さなければ危ないと感じたので私は笑いながら襲い掛かってすぐに彼を片付けました。
フィリップスはウィテカーにクオーティーはやめておけ、地獄をみるぞと忠告したそうです。私がウィテカーをノックアウトするとおもったのでしょう。フィリップスとウィテカーはひどい口論をしたそうです。」

(スイートピー)パーネル・ウィテカーは納得できなかったが、ボクシング界はこの2人の対戦に関心を示していた。アイク・クオーティーの名前はP4Pのリストにも登場するようになった。クオーティーの容赦なきパンチャースタイルは万人受けしやすかった。彼の繰り出すパンチは正確にセットアップされるだけでなくあまりにも破壊的で相手を傷つけるインパクトがあった。

パーネル・ウィテカー、オスカー・デ・ラ・ホーヤ、フェリックス・トリニダードなどのビッグネームが君臨するウェルター級では、ダークホースと見なされていたクォーティーは、なかなかビッグマッチに加えてもらえなかった。1997年、10月、クオーティーはメキシコのホセ・ルイス・ロペスと対戦、ロペスは評価の高い24歳で、デラホーヤがかつて自分にとって一番の脅威であると認めていた。1996年、ロペスは(ヨリボーイ)カンパスをわずか5回でノックアウトしていた。

ホセ・ルイス・ロペスの欠点は仕事倫理、練習嫌いな点だった。彼のトレーナーはこの試合に備えてロペスを2カ月間隔離した。その頃、アイク・クオーティーはトレーニングキャンプでマラリアに感染した。プロモーターのディノ・デュバはこの試合を中止したかった。

オダムテン
「アイクは頑なに試合の中止を拒んだ。この試合をクリアすればビッグマッチ、大きなファイトマネーが入るのはわかっていたけどコンディションが最悪だった。もしロペスがクオーティーにパンチを当てたら大変な事になるとおもったので私はこの試合が怖かったです。」

クオーティーの戦略はとにかく強打者のロペスの強いプレスを防ぐため、ジャブを多用することだった。試合を通じ313発のジャブを繰り出した。しかし2回にロペスはクオーティーをつかまえて右でタッチダウンを奪い、11回には強烈な右でクオーティーをマットに転がした。それ以外のラウンドはクオーティーがコントロールし、なんとかMDで勝利した。

クオーティー
「誰もロペスと戦いたがらなかった。試合後のパーティーでロペスが歩み寄ってきて私の手を握り言ったんだ。「俺の顔は今でも胡椒をかけたみたいに燃えているよ」ってね。」

オダムテン
「その夜のアイクには感銘を受けました。彼は病人だったから、本当にロペス戦は避けたかった。」

2日後、ジャッジの集計ミスによりこの試合は引き分けに変更された。34勝29KO1分となったクオーティーの身の回りも変化していた。アカリエプロモーションと確執が生まれ、メインイベンツに契約を変更した。

メインイベンツの元でパーネル・ウィテカーとの対戦が決定したが、ウィテカーがコカインの陽性反応で失格となり試合はキャンセルされた。さらに悪いことに、前プロモーターのアカリエプロモーションはアイクの指名防衛戦(ロペスとの再戦)の入札を落札していた。クオーティーはもうロペスと戦いたくなかったが、回避すればタイトルが剥奪されるのは確実だ。

結局WBAはロペスとの再戦を回避したクオーティーの王座を剥奪、他団体王者のフェリックス・トリニダードが11月にアイク・クオーティーとの試合に合意したがトリニダードはドン・キングとの間で問題を抱え裁判沙汰となっていた。トップランクのボブ・アラムが急遽出てきてビッグネームのスター、オスカー・デラホーヤとクオーティーの対戦をまとめた。

1998年11月21日、クオーティーの報酬は460万ドル、遂に運命の決戦の日付が決まった。

Vol3に続く

日本が誇る強打者の吉野弘幸や佐藤仁徳を倒した朴政吾が、クオーティーのジャブだけであっけなくぶっ壊された。朴の健闘次第では世界のウェルター級のレベルが図れる試合だったのに、あまりに異次元のクオーティーの強さだった。

これが、オールドファンの共通認識だとおもう。

しかし実際はちょっと違った。朴政吾、かなり強くてビビったからクオーティーは早く試合を終わらせようとギアを上げたのだった。クオーティーの痛いジャブ、ロープに詰めても正確な返しを受けて朴の顔面が崩壊したのでレフリーはストップしたが、朴も不屈の精神で戦っている。倒されたわけではない。

ビンス・フィリップス戦も同様で、相手が強いからこそ試合を長引かせず一瞬でケリをつける・・・

井上尚弥VSエマニュエル・ロドリゲスもこんな感じだったのかな。違うかもしれないが、相手が強いからあっという間の一方的な試合になる、これもまたボクシングの醍醐味・・・

クオーティー戦を最後に引退した朴さんの名誉、少しは回復しただろうか。

ロペス
「俺の顔は今でも胡椒をかけたみたいに燃えているよ」

いい科白だ。

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