クソ野郎のビッグダディ、それが今の私です。みんなそう言います。私はそれら全てから新たに旅立つことを望んでいます。
リディック・ボウの肖像画があるブルックリンの古いジムは、今ではニュー・ベッド・スタイ・ボクシングセンターと呼ばれている。元2度の世界ヘビー級王者であったリディック・ボウは、投獄され、自己破産し、今レストラン「Bowe’s」の経営者としての新たな人生を歩もうとしている。
3人の男がハーレムの路上でチラシを配り、4つのテーブルがある小さなレストラン「Bowe’s」を宣伝しながら、一人席に座る大男を指さした。
「あれが、2度の世界ヘビー級王者、リディック・ボウですよ。チャンピオン、挨拶してくださいよ。」
リディック”ビッグダディ”ボウはかつて熱狂のリングに入場し、リングアナに紹介された時のようにそびえ立ち、テイクアウトのメニューにサインをし通行人と一緒に写真を撮った。ボウはジャブを空中に放つポーズをした。
通行人の女性はボウと写真を撮るのを待つ間、コンパクトの鏡を取り出してリップグロスを塗った。ボウが立ち上がると女性はいった。
「クソ野郎のビッグダディ」
ボウ
「それが今の私です。みんなそう言います。」料理人がロティサリーチキンを調理し、小さな室内のスクリーンが数十年前のボウの栄光の日々を映す。ジュースブレンダーがカタカタと音を立てる。スクリーンには1992年にラスベガスで行われたイベンダー・ホリフィールドへのアゴへのアッパーカットが映し出された。レストランの装飾にはパンチングバッグをつけた。店の看板には、筋肉質でキラキラしたボウが肩にベルトをかけている肖像を使った。
レストランに訪れる客は、47歳のボウ(現在52歳)の大きな手にリングでの輝きをみた。この年の6月にボウはボクシング国際殿堂入りを果たした。
ボウ
「私はよくやったとおもう」「Bowe’s」はロティサリーチキンとフレッシュジュースを販売する116番街とフレデリックダグラス大通りにある狭いレストランだ。目立たずすぐに見逃して通り過ぎてしまう。しかしここは、1996年にボクシングを引退して以来、その後の人生で苦労を重ねてきたヘビー級王者、リディック・ボウにとって最高の停留所でもある。
ボウはレストランの顔であり、マネージャーのアシュリー・カーンと共同オーナーを務めている。メニューはボウの名前にちなんで名づけられる。少なくとも月に2回はボウは店に顔を出す。この小さなお店がチェーン展開の礎になることを願っている。
アシュリー・カーン
「私たちには大きな計画があります。クリスマスにボウがサンタクロースのドレスアップをして七面鳥を配ることができればいいですね。スペシャルボウジュースも作りたいです。ジョージ・フォアマングリルみたいなものですね。」
ボウはかつてボクサーとして10年間の浮き沈みで8000万ドル以上稼いだ。
破産を含む不幸の渦、カムバックの失敗と投獄・・・ボウ
「私はそれら全てから新たに旅立つことを望んでいます。」リディック・ボウの引退後の人生はリングの栄光からかけ離れたものだった。ボウの人生は1990年代初頭のヘビー級の新たなる巨人、スターとしての頂点を極めて以来、回り道の連続だった。
1992年、25歳の時にイベンダー・ホリフィールドを破ってヘビー級王者となった。その後ライバルとなる壮大な男の3部作の始まりだった。
https://www.youtube.com/watch?v=AFaSCAKkT7M
https://www.youtube.com/watch?v=GjoT-4Az3j4
https://www.youtube.com/watch?v=ErEITTE7c3Aボウがはじめてヘビー級のベルトを天高く掲げた時、ブルックリンのブラウンビルで過ごした彼の暗い少年時代の思い出は理解できないくらいほど遠くに感じられたに違いない。ボウは、ブルックリンの悪名高きエリアで13人兄弟の12番目として生まれ育った。マイク・タイソンが育った場所と目と鼻の先だった。朝、通りで人間の死体が転がっているのが日常だった。
ボクシングを見つけることで犯罪人生を脱出し、ニューヨークで最高のファイターに成長し4つのゴールデングローブで優勝した。1988年のソウルオリンピックでアメリカを代表し、決勝でレノックス・ルイスに敗れて銀メダルを獲得した。
ヘビー級の黄金時代にプロのリングで活躍したボウは、唯一無二のボクサー、モハメド・アリの後継者になる可能性があると信じる人もいた。
アマチュア
104勝18敗プロ
42勝33KO1敗1分
今の巨人化したヘビー級の到来を告げる本格的なヘビー級王者として、リディック・ボウとレノックス・ルイスはネクストジェネレーションだった。
アマでもプロでもレノックス・ルイスが偉業を成し遂げ、ボウを上回ることになるが、そのボクシング、とりわけ初期の頃はリディック・ボウの方に豊かな才能とスケールを感じた。全盛期のマイク・タイソンやルイスと戦っても、ボウが勝ったかもしれない。
しかしそれは実現することなく終わった。
ボウが逃げたとも、精神病、脳障害だったとも言われているが真相はわからない。当時のマネージャーとの確執がその原因であり、ボウはルイスとの試合を望んでいたというが真実は闇の中だ。
その後の人生をみても、大きな子供のままだった事が窺い知れる。
失礼ながら、今、健康に人生を生きているだけでも儲けものだとおもう。
ボウに関してはアメリカでモハメド・アリの再来と言われるくらいの男だったから、色々な記事があるとおもうが、なんとなく見つけた記事を紹介した。
リディック・ボウ来歴
1988年、ソウルオリンピックのボクシング・スーパーヘビー級に出場し、銀メダル(決勝でレノックス・ルイスに敗戦)。
1989年3月6日、トレーナーにエディ・ファッチを迎え、プロデビュー(2回TKO勝ち)。
1990年10月29日、WBCアメリカ大陸ヘビー級王座獲得。
1992年11月13日、世界初挑戦。WBA・WBC・IBF統一世界ヘビー級王者イベンダー・ホリフィールドに挑み、12回判定勝ち。32戦目にして無敗の世界王者に輝く。その後、WBCから指名試合としてソウル五輪の決勝で敗れたルイスとの対戦を義務付けられたが、それを拒否。記者会見の場でWBCのチャンピオンベルトをゴミ箱に捨てるパフォーマンスを行った。これを受け、WBCは12月14日付でボウから王座を剥奪しルイスを新王者に認定した。その後、ボウはWBA・IBF王者として2度の防衛に成功。1993年11月6日、3度目の防衛戦で前王者ホリフィールドと再戦し、12回判定負け。前王者の雪辱を許し、世界王座から陥落。
1995年3月10日、世界再挑戦。WBO世界ヘビー級王者ハービー・ハイドに挑み、6回KO勝ち。1年4ヵ月ぶりの世界王座返り咲きを果たし、1度防衛後、1996年に王座を返上し引退。引退後
引退後の9月にアメリカ海軍の海兵隊に入隊。入隊後、新兵キャンプにおいて訓練を受けるが、訓練中の態度が問題視され11日で除隊する。
海兵隊を除隊した3ヵ月後に姉妹を殴ったとして提訴される。
1997年4月に妻のジョディを気絶させるほど殴り逮捕される。末の息子が、ジョディが死んだと勘違いするほど壮絶な暴力だったという。その後、家族愛をアピールしたり、電話で「君に車を買ってあげた」と伝えたりするなど家族との関係を回復させるために奔走するも失敗に終わった。
1997年8月、復縁に失敗したボウは、家族が住むノースカロライナ州まで車を走らせ、3人の子供をバスの停留所で待ち伏せしたうえで誘拐。さらに、ジョディが住む家に押しかけ、車の中に用意してあったナイフや手錠、催涙スプレーなどの武器をちらつかせて脅し車に乗らせた。自宅のあるバージニア州に行くまで間に、ジョディはトイレに行きたいと嘆願してレストランに駆け込んで助けを求め警察へ通報したことから事件が発覚。ボウは誘拐容疑で逮捕された。逮捕されたボウは、テリという女性と再婚し、ニューヨーク郊外のメリーランドに引っ越した。結婚後は2人子供をもうけた。
1998年2月、別居中の妻ジュディと5人の子供を誘拐したとして有罪判決。ボウの弁護士はパンチドランカーの影響があったとして減刑を請求、証拠としてアンドリュー・ゴロタ戦の前後に撮られたインタビュー映像を提出した。この請求が認められ一旦は懲役30日へ減刑されたが、その後、判決が覆り、ボウは17ヶ月間刑務所で服役した。
2001年2月、自宅の私道において妻のテリに対して暴力を振るった容疑で逮捕される。この容疑に対しボウは、離婚訴訟を有利に進めるためにテリが行った自作自演だと主張した。しかし、裁判所の命令で、ボウは家族との接触を禁じられた。その後、自宅にあった60万ドル相当の毛皮が、ボウの従兄弟とその彼女に盗まれるという事件に巻き込まれた。
2003年3月8日に誘拐罪で服役する直前に妻のテリを含む数人に暴行を働き、第2級暴行罪で起訴された。
2005年、破産を宣言。
復帰
紆余曲折を経て、2004年9月25日、8年ぶりの復帰戦。マーカス・ロードを2回TKOに降す。2005年4月7日には復帰2戦目を行い、ビリー・ザンブランを10回判定に降したが、この試合を最後に2度目の引退。
その後、2008年12月13日に3年8か月ぶりの復帰戦を行い、8回判定勝ちを収めた。キックボクシングなどにも300ポンドオーバーの巨体で参戦したりしたが、ローキックで無残に叩きのめされている。
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