ボクシングの象徴としての役割、歴史や尊厳を無視すれば、世界で最も支持されるのがマイク・タイソンではないだろうか?ロビンソンもアリも実はよくわからないけど、あぁ、タイソンならば知っている、怪物、超人、あんなに破壊的で速いヘビー級は未だかつて一人もいない。今のヘビー級より断然凄かった。強い。
しかし一人突出しておりライバルもいなかった。
そんな稀有な超人は階段を駆け上がるような平穏な成功など出来ないのだ。
2014年の記事です。
マイク・タイソンは史上最年少のヘビー級王者、若干20歳で最も恐れられていたファイターの一人だ。
「アイアンマイク」は1年以内で全てのタイトルを統一し、五輪金で無敗のマイケル・スピンクスをわずか91秒でノックアウトし歴史の幕をこじ開けた。
タイソン
「スピンクスとの試合は自分にとって最高のパフォーマンスでした。前進し続け、3つのコンビネーションを打ちました。ロープ際で彼を捕まえた時、右アッパーを打つためにサウスポースタイルになった事を覚えている。」しかし、タイソンの時代は長続きしなかった。1990年東京、バスター・ダグラスがアップセットでタイソンをノックアウトした時、彼はまだ23歳だった。
https://www.youtube.com/watch?v=rt8LZ8FjGN8
タイソンの人生は暴走し、キャリアをさらに悪化させた。1992年にはレイプ事件で有罪判決を受け、3年間刑務所暮らしを余儀なくされた。
1995年に復帰し、イベンダー・ホリフィールドに敗れるまで、2団体の王座を獲得した。ホリフィールドとの再戦での悪名高き「耳噛み事件」それはタイソンのリング外の素行や刑務所暮らしと重なり世界に悪名を植え付けた。2005年、ジャーニーマンのケビン・マクブライト戦を最後に現役を引退した。
「もうこれ以上、ボクシングを侮辱したくない」
しかし近年、タイソンはより親切で穏やかな人間に生まれ変わった。彼のワンマンステージショー「Undisputed Truth」は大成功を収め、Being:Mike Tysonという新番組では興行ビジネスにも参入した。
タイソン
「私はやり切りました。今はパートナーであるギャリー・ジョナスと才能ある若いファイターのために最善を尽くすことに専念しています。」ボクシングキャリアで後悔はありますか?
タイソン
「ジョージ・フォアマンと戦ってみたかったね。誰が最も破壊的なパンチャーなのかファンは知りたかっただろう。そういう議論を終わらせたかったね。」生涯キャリア50勝44KO6敗
タイソンに現役時代の拳友について語ってもらった。ベストジャブ トニー・タッカー
狙い撃たれないために常にヘッドスリップする必要がありました。
ベストディフェンス ラリー・ホームズ
距離を詰めてノックアウトしたけどラリー・ホームズだね。しっかりヒットさせるのがとても難しかった。
https://www.youtube.com/watch?v=Vp2ZeNEPNlA
ハンドスピード トニー・タッブス
コンビネーションの速さに驚いたよ。しかも彼は恐れずに打ち込んでくるんだ。
フットワーク ミッチ・グリーン
ミッチ・グリーンだったとおもう。足が速くて彼にビッグショットを当てるのが大変だった。
ベストチン ホセ・リバルタ
ありとあらゆるパンチを打ち込んで、彼は全部打たれたけど俺に向かってきた。
スマート ラリー・ホームズ
彼が一番スマートだ。だから7年間も王者だったのだろう。
ストロング ホセ・リバルタ
俺と真っ向から向かい合った。クリンチも強かった。
ベストパンチャー イベンダー・ホリフィールド
両手から意思のあるすごいパンチを打ってきた。
https://www.youtube.com/watch?v=fu0Htt0OenA
ベストボクサー トニー・タッカー
素晴らしいジャブの持ち主だった。動きもよくてクリーンヒットを奪うのが大変だった。
総合 イベンダー・ホリフィールド
偉大な王者だ。打たれ強いしハートも強い。覚悟も決まっていて、献身的で物腰も素晴らしい。人間として素晴らしいんだ。
https://www.youtube.com/watch?v=aV2slj8ciAE
タイソンにしては実にあっさり、短い記事でした。
もっと深い内容は他に色々ある。
レノックス・ルイスは出て来ない。晩年だったのだな。
タイソンを深く知るには主に貧しい少年時代を経て、ボクシング、カスダマトとの出会い、金満ビジネスのうねりに人生を狂わせていった壮絶なサイドストーリーがメインであり、ボクシングそのものの最盛期、ピークは短かったのだ。肉体のピーク時には刑務所にいた。
日本でわずか2回でノックアウトしたトニー・タッブス戦でさえ、タイソンはそのハンドスピードの速さに驚いていたんだな。
最盛期は本当に強くて何より怖い男だったが、そんなタイソン自身も相手に怯え、世界に怯えていたのだろう。取り巻きが彼を利用し尽くし使い捨てられた・・・
誰もが自分を怖がるが、本当に怯えていたのはタイソン自身だったのかもしれない。
通算9度の防衛に成功することになるが、1988年に行われたマイケル・スピンクス戦後、カス・ダマトがその生前「グリズリーには近づいても、ドン・キングには近付くな」と絶対に組んではいけないと言っていたドン・キングにプロモートを受ける。
離婚騒動、自殺未遂、訴訟沙汰、交通事故、放蕩、練習不足、レイプ事件の疑い、破産、アルコール依存症・・・
何も持たず何も知らない少年は、人に愛され裏ぎられ、最後はハトを拠り所にしていた。それは最初にして最後に残された友人でもあった。
そんな人生の悲哀、教訓すら教えてくれる壮大な王者でした。
少しでも同じ時代を生き、熱狂させてもらった世代として末永い健康と幸福を祈りたい。
2004年4月15日、K-1の試合出場契約を結ぶ。日本国内でのプロモート契約であるが、薬物犯罪者という理由で日本に入国できなかったため、実現は不可能であった。
2011年6月12日、ボクシングを志してからの目標でもあった国際ボクシング殿堂への殿堂入りを果たす。
2017年11月9日、アクション映画の授賞式に出席する予定だったチリで犯罪歴を理由に出入国管理法違反で入国を禁じられる。2012年にはニュージランドで入国ビザが下りず、2013年にはイギリスにも入国拒否をされている
https://www.youtube.com/watch?v=K19RsEoGFS0
https://www.youtube.com/watch?v=NXJph_L6vPU
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