誰にでも思い入れのファイターがいる。私はグズマニアと自称していたほどのホアン・グズマン好きだった(事も忘れていた)WOWOWではじめて観たグズマンはまさに「The little Tyson(小さなタイソン) 」だったが、タイソンよりも色々な事ができるテクニシャンだった。
WBOでよかったな、こんな怪物話にならん・・・しかしグズマンはやっぱりスーパーバンタム級などすぐ飛び出していってしまった。フェザー級、スーパーフェザー級くらいにとどめていればいいものを・・・
(Sycuan Warrior / Little Tyson)ホアン・グズマンの名前を憶えているだろうか?ほとんどのボクシングファンは肩をすくめ、複雑な気持ちになるに違いない。一部の人はアリ・フネカとの試合を想い出すだろう。フネカはメジャーな存在ではなかったが、南アフリカの危険な長身ファイターで初戦では物議を醸すジャッジで引き分けた相手だ。
以下の試合だが心が躍るような内容とはいえない。
https://www.youtube.com/watch?v=KYoJ-b_sJ3g
再戦では、前日計量で9ポンドの体重超過の144ポンドを計測しグズマンが計量失格となった為、グズマンに当日計量で150ポンドを超えることを禁止した上でフネカが試合に勝てばフネカが新王者になるという条件で試合は行われ、6回にダウンを奪うなどしてグズマンが2-1(116-111、114-113、113-114) の判定勝ちを収めた為、王座は空位のまま。しかし、試合後にNSACによるドーピング検査でフネカからヒドロクロロチアジドと利尿剤が検出され、NSACはフネカに9ヵ月の出場停止と罰金3万5千ドルを科し、体重超過を犯したグズマンが支払った罰金もグズマンに返上されるというひどい内容だった。
https://www.youtube.com/watch?v=ubOqaDtkKG8
しかしかつてのグズマンは、体重超過やドラッグテストで失敗したり際どい判定勝負をする太ったライト級のファイターではなかった。遠い昔、グズマンはP4Pのトップリストを継承するに違いない天才とみなされていた。P4Pのリストに入るファイターとは相手を圧倒したり、スキルの違いをみせつけたり、特別な運動神経を誇る突き抜けた才能だけを示す。
マニー・パッキャオが今ほどのスーパースターではなかった時代、グズマンこそがパッキャオを倒す、パッキャオVSグズマンが議論、待望されていた時期すらあった。その後、パッキャオはデビッド・ディアスを倒すことでスーパーライト級に移動しスターからスーパースターへの階段を駆け上がっていった。2011年当時でさえ、パッキャオがグズマンを避けたと主張するファンがいた。(アンチパッキャオと言わざるをえないが)
才能の浪費、無駄にされている素質について議論する時、あてはまる選手と典型的なタイプがある。オリンピック金メダリストであるオードリー・ハリソンは、パンチを打たれる恐怖を克服できないことが明らかになるまで、全てのツールがヘビー級で通用するようにおもわれた。ロッキー・ファレスやアンドリュー・ゴロタも精神的にベストを発揮することができなかった。キューバの傑出したアマチュア、ホルヘ・ルイス・ゴンザレスもプロに適応できずリディック・ボウに残忍に壊された。
[st-card-ex url="https://en.wikipedia.org/wiki/Jorge_Luis_Gonz%C3%A1lez" target="_blank" rel="nofollow" label="" name="" bgcolor="" color="" readmore="続きを見る"]伝説のテオフィロ・ステベンソンの台頭によってオリンピックの夢が踏みにじれらたホワイトホープ、デュアン・ホビックはその幻影に怯え、ケン・ノートンによって初回で粉砕された。
[st-card-ex url="https://en.wikipedia.org/wiki/Duane_Bobick" target="_blank" rel="nofollow" label="" name="" bgcolor="" color="" readmore="続きを見る"]グズマンが彼らと同じとはおもわない。グズマンは少なくとも、ザブ・ジュダーやフェルナンド・バルガス、モンスター、エドウィン・バレロと同類に属すとおもう。リディック・ボウやジェームズ・トニーと同じくらい多くの賞賛を与えられていい才能だった。
彼らはほぼ全て成功を収めた。世界王座、リングマガジン王者、殿堂入り。しかし彼ら全員、何らかの理由で実際に持っていた才能、可能性に完全に応えることが出来たとは言い難い。彼らの肩にあまりに多くの期待がかけられていたからではない。あまりにも素晴らしい才能を示したので、もっと活躍しないと想像する方が困難だった。
グズマンもその一人だ。
ホアン・グズマンは1976年5月1日、ドミニカ共和国のサントドミンゴで生まれた。ドミニカでグズマンといえば、ボクシングよりも野球で有名かもしれないが、何人かの注目すべきファイターを生み出してきている。
グズマンは9歳でボクシングをはじめ、310勝10敗というアマチュア記録を残した。アマチュア記録は正確性を証明するのが難しく、グズマンがオリンピックで将来の世界王者、オマル・ナルバエスに敗れたという事実があるにしてもパンナムのやカリブの金メダルなどたしかなるアマチュアの実力者であったことは間違いのない事実だ。
しかし、グズマンはプロでこそ輝きを放った。彼は速く、爆発的でテクニックは折り紙付き、そしてなによりパワフルだった。「タイソン」というニックネームはボクシングではすぐに利用されるものだが、グズマンに与えられた「リトルタイソン」にはリアリティがあった。
グズマンは122ポンドのスーパーバンタム級でこそ最高にみえ、パワフルで圧倒的な試合を演じてきた。
2005年に王座返上とともに階級をフェザー級に上げた。WBO世界フェザー級挑戦者決定戦でターサク・ジャンデーンと対戦し、3-0(117-110、119-108、119-108)の判定勝ちを収め、WBO世界フェザー級王座への挑戦権を獲得。しかし、フェザー級でもまだ減量苦は変わらず、スーパーフェザー級へ転向。
2006年9月16日、WBO世界スーパーフェザー級王者ホルヘ・ロドリゴ・バリオスが前日計量をパス出来ずに体重超過で王座を剥奪された為、バリオスが勝てば王座は空位グズマンが勝てば新王者となる条件で試合が行われ、グズマンが2-1(114-113、113-114、115-112)の判定勝ちを収め2階級制覇。
2007年11月17日、アトランティックシティのボルガータ・ホテル・カジノ&スパでWBO同級2位のウンベルト・ソトと対戦し、判定勝ちで2度目の防衛に成功。2008年5月15日に王座を返上。
ソトは今となってはあまり有名ではないかもしれないが、当時は全階級屈指の強力なファイターだった。典型的なメキシコの成り上がりファイターで、ある時期の戦績は13勝4敗2分というものだったが、そこからビッグネームに勝ち続け(ケビン・ケリー、ホルヘ・ソリス、ロッキー・ファレスなど)その戦績を55勝5敗2分までにした猛者だった。
彼らの試合はパッキャオへのエリミネーターとして行われた。
ホアン・グズマンVSウンベルト・ソト
これは忘れられたマスターピースだ。両者全盛期、ハイレベルな攻防の末、勝者は明確にグズマンだった。30歳、ホアン・グズマン、この時期がピークであり、まさかそこからは全て下り坂だった。
ホアン・グズマンの凋落の理由を正確に知る者はいないが、ソト戦以来、めったに試合をしなくなった事実がある。年に1試合するかしないか現在36歳(記事当時)になったグズマンが再びピークに近づく事は非現実的だ。
スキルも低下した。彼はパワーが武器だったが、増量後のキャリアの大部分でそれに依存せず、テクニカルでアスレチックなスタイルを駆使していた。ソト戦でみせたパワフルなファイトがグズマンの最後の雄姿だった。
それでも彼はまだ勝ち続けていた。しかし凡庸な対戦相手に満足できる内容とはいえない試合が続いた。
さらに、体重も作れなくなっていった。フネカとの初戦のグズマンは太ってみえ、再戦では計量に失敗した。スピードがなく、反応が遅く、アクティブではなくなった。生涯、1度しか負けずに引退したが、唯一の敗北、カビブ・アーラフベルディエフ戦は左足の怪我と出血による負傷判定で、年齢的にもう多くを期待することはできなくなっていた。
2007年から2010年まで、グズマンはボクシング界の大物だった。
パッキャオとの対決は起きなかったかもしれないが、それはグズマンが130ポンドを支配すべきではなかったという意味ではない。ライト級以降のグズマンのキャリアは才能の浪費であり、潜在能力の無駄であり、価値の無駄遣いだった。グズマンはロイ・ジョーンズJrに匹敵するナチュラルな天才だった。もっと偉大な記録を残せたであろう残念なファイターで終わった。
私にとってのホアン・グズマンはボクシングで目撃した最大の才能の浪費だった。
グズマンの海外記事を探しても、
減量に失敗とかドラッグテストに失敗・・・という記事ばかり・・・
ロベルト・ガルシアが最大級に評価しているように、ホアン・グズマンに関してはコンディション管理以外教えることがなかったのではないか。ジョー小泉氏がWOWOWの解説中に、パンチをかわす技術は、フロイド・メイウェザー・ジュニア並と評価していたそうだが、元々、グズマンの魅力はタイソンみたいなスピードとパワフルな攻撃だった。増量の果てに頼りにしていたのがディフェンステクに過ぎない。
自業自得、自滅といえるキャリアだが、生涯戦績は
34勝21KO1敗1分
どうにもこうにも、最後に負傷TKOで敗れるまで負けたことはなかった。
もっと気の利いたタイトルにしたかったが「才能の浪費」これしかずばり当てはまるものがなかった。
別の記事では、優等生なインタビューがあり、最後に
[st-card-ex url="http://philboxing.com/news/story-18917.html " target="_blank" rel="nofollow" label="" name="" bgcolor="" color="" readmore="続きを見る"]「良き友人のノニト・ドネア、同胞に敬意を表す」
とあった。
ロベルト・ガルシアのところでチームメイトだったのだろう。ノニト・ドネアはホアン・グズマンの強さも肌で知っているのだな。昨日、ボブ・アラムがロマチェンコVS井上尚弥がしたいなんて言っていたが、今現在の心境としてはスーパーバンタム級のホアン・グズマン・・・パワーもテクニックもスピードも、あいつこそ「The little Tyson(小さなタイソン) 」なヤバい奴だった。
Warning: Array to string conversion in /home/sevenseconds/forgotten-legend.com/public_html/wp-content/plugins/wpreactions-pro/includes/Helpers/Utils.class.php on line 216