この記事は2009年時点のもので、まだトニーが現役時のものなので、彼のプロフィール的なものは書かれていませんでした。プロフィール的なものはWIKIを引用します。
こちらと対比して読むととても印象的です。
ミドル級最強はマービン・ハグラーで決まりという風潮へのアンチテーゼで裏ミドル級を紹介してきましたが、日陰に咲いたボクシングマスターよ永遠なれ。
ジェームズ・トニーはアンドレ・ウォードVSシェブリー・プッドウェルのアンダーカードでマシュー・グリアと対戦する試合でプロ20年目を迎える。既にファンはトニーが全盛期から遠く離れて未だ試合を続けていることを熟知している。彼には既に振り返るべき数多くの栄光がある。彼の栄光の時代に基づいたインタビューを掲載する。
ベストボクサー マイク・マッカラム
もちろんマッカラムです。マイケル・ナンも素晴らしかったけどやはりマッカラムです。マッカラムはボクシングマスターであり、誰も恐れていなかった。ナンの方が速かったし9回まで俺はナンにアウトボックスされていた事を認める。しかしナンは消耗し俺のボディに捕まり倒れた。ずっとお前を捕まえて倒してやると言っていた通りに。
https://www.youtube.com/watch?v=ECOCPCj7HF8
ベストパンチャー メルキー・ソーサ
サミュエル・ピーターもすごいハードパンチャーだったけどベストはソーサだ。なぜなら俺を一番痛めつけたからだ。彼との試合を忘れることはできない。他の多くのファイターと同様に俺は彼に襲い掛かったけど、チクショウ!3回にすごいパンチを打たれた。その後の3ラウンドはモノが3重にみえた。彼は効果的なパンチの打ち方をよくわかっていた。俺は時間もわからなくなってしまった。すごいパンチだった。
ハンドスピード ロイ・ジョーンズ
彼は速かった。この名誉は彼に与えなければならない。6週間で44ポンドも減量しなきゃならなくて脱水症状でコンディションが最悪だった。調子が良ければ俺は彼をノックアウトしていただろう。
フットワーク マイケル・ナン
彼は逃げる達人だ。あの試合で9回か10回まではエスケープアーティストだった。でも捕まえた。
ベストディフェンス マイク・マッカラム
彼はちゃんと俺の前に正対しているんだ。それなのにクリーンヒットを奪うのが本当に困難だった。まさに正面から一歩も引かずに打ち合ったんだ。走り回ることなくリングを上手く使って打たれないコツをマッカラムから3回も(3試合)学んだ。
ベストチン トニー・ソーントン
フィラデルフィアの「パンチングポストマン」さ。俺は簡単に彼をノックアウトできるとおもっていた。ありとあらゆるベストパンチをアゴに当てたが倒れなかった。最高の左フックを当てても瞬きもしなかった。
ベストジャブ マイク・マッカラム
マイクのジャブはピストンのようだった。ナンやロイのようないいジャブの使い手もいたけどスピードだけだったりフリッカーだけだった。マッカラムのジャブは威厳のあるもので、彼は(old-school=古いけど魅力的な)オリジナルなファイターだった。
https://www.youtube.com/watch?v=x_bwUnv_Xfg
屈強 サミュエル・ピーター
デカくて狂暴で屈強なアフリカン、それだけだ。
スマート マイク・マッカラム
誰だとおもう?俺が心から尊敬するのはボディ・スナッチャー、唯一彼だけだ。ロイ・ジョーンズやマイケル・ナン、モンテル・グリフィン、レジー・ジョンソンなど時代を代表する男たちと俺は戦ってきた。でも彼らはみんな心の底ではファイトを恐れていたんだ。でも、マッカラムだけは本当のボックス、ファイト、ディフェンスができる達人で、決してリングを走って逃げ回るような事はしなかった。彼は全てができる男の中の男だった。だから彼が一番さ。
総合 マイク・マッカラム
これは簡単だ。ボディ・スナッチャーで決まりだ。彼がミドル級、スーパーミドル級、クルーザー級で戦った最高のファイターだ。今まで戦った全てのファイターの中で、彼を最も尊敬している。マッカラム以外の相手に対しては俺は自分のやりたいようにやっただけだが、マッカラムだけはありとあらゆる事を考えさせられた。マッカラムの前では何もかも上手くいかずスローダウンし色々考えさせられた。そんな経験は初めてだった。
IBF世界ミドル級王座(防衛6度)
IBF世界スーパーミドル級王座(防衛3度)
IBF世界クルーザー級王座(防衛0度)
IBO世界クルーザー級王座
77勝47KO10敗3分というすごい記録を持つ、元P4Pナンバーワン王者であるが、そこまでやらなくていいのにという現役生活や増量を繰り返し今に至る。ヘビー級でホリフィールドを倒したり、サミュエル・ピーター、ハシム・ラクマン等とも戦った。それでも壊れないのは、心の師匠、マイク・マッカラムから実戦で教わった巧妙なリングワーク、ボディワーク、ショルダーロールの達人だからか。
トニーの全盛期の栄光と挫折、その全てにロイ・ジョーンズがいたのかとおもったが、ジョーンズに対する評価はごく限られたもので、トニーの全ての崇拝の的は「ボディスナッチャー」だった。井上尚弥にとってのノニト・ドネアがそういう存在になりえるのかもしれないとおもうと少し怖いな。ドネアは「井上が出来ることは私にも全てできる」と言っていたな。
[st-card id=68610 ]ジェームズ・トニー(James Toney、1968年8月24日 - )は、アメリカ合衆国の男性プロボクサー。
ミシガン州グランドラピッズ出身。対戦相手の命を消し去るという意味でライツアウトの異名を持つ。
ミドル級、スーパーミドル級、クルーザー級を制覇した世界3階級王者であり、ヘビー級でも世界戦を行っている。1988年10月26日、プロデビュー。
1991年5月10日、世界王座に初挑戦し、IBF世界ミドル級王者マイケル・ナン(アメリカ)と対戦。11回TKO勝ちで王座獲得に成功した。以後、6度の王座防衛に成功。1993年2月13日、IBF世界スーパーミドル級王者アイラン・バークレー(アメリカ)と対戦し、9回TKO勝ちで王座獲得、2階級制覇に成功した。試合後、保持していたミドル級王座を返上した。スーパーミドル級は、3度の防衛に成功した。
1994年11月18日、4度目の防衛戦でロイ・ジョーンズ・ジュニアと対戦。3回にダウンを奪われるなどして、大差の0-3判定負けで王座から陥落、デビュー以来の無敗記録もストップした(46戦44勝2分)。
以後、マイナー王座の獲得・陥落を繰り返す。
2003年4月26日、IBF世界クルーザー級王者ワシリー・ジロフ(カザフスタン)に挑戦。12回にダウンを奪うなどして3-0の判定勝ちで王座獲得、3階級制覇に成功した。
2003年5月27日、別れた妻との間にもうけた娘に対する養育費の未納によりミシガン州デトロイト警察に逮捕され、養育費を支払い2日後に釈放された。
2003年8月9日にはバーナード・ホプキンスとのビッグマッチが交渉されていたが、ファイトマネーの問題によりキャンセルされた。IBF王座は防衛戦を行うことなく返上した。
2003年10月4日、ヘビー級に階級を上げ、イベンダー・ホリフィールド(アメリカ)と対戦し、9回TKO勝ちを収めた。
2005年4月30日、WBA世界ヘビー級王者ジョン・ルイス(アメリカ)に挑戦。一度は3-0の判定勝ちとなったものの、試合後に禁止薬物のナンドロロンの使用が発覚し90日間の出場停止処分と1万ドルの罰金が科せられ、試合結果もノーコンテストに裁定変更となり、4階級制覇は幻となった。
2006年3月18日、WBC世界ヘビー級王者ハシーム・ラクマンに挑戦し、0-1の判定ドローとなり、王座獲得ならず。
2006年9月2日、2007年1月6日には、WBC世界ヘビー級王座挑戦を賭けた試合でサミュエル・ピーター(ナイジェリア)に2連敗を喫した(ピーターは暫定王座に認定された)。
2007年5月24日、ダニー・バッチェルダーと対戦し、10回2-1の判定勝利を収めるが、試合後のドーピング検査で禁止薬物のスタノゾロールとボルデノンが検出され1年間の出場停止処分を科せられた。トニーの禁止薬物使用が発覚したのはこれで2度目となった。
2008年7月16日、ハシーム・ラクマンと再戦。3回序盤に偶然のバッティングでラクマンの左眉付近がカットし、ドクターストップによるTKO勝ちとなったが、その後ノーコンテストと裁定が変更された。
2008年12月13日、空位のIBAヘビー級王座とNABO北米ヘビー級王座を獲得。
2011年11月4日、デニス・レベデフとWBA世界クルーザー級暫定王座決定戦を行い、0-3(108-120、108-120、108-120)の完敗を喫し王座獲得に失敗した。
2013年4月28日、オーストラリアでルーカス・ブラウンと対戦し12回3-0の大差判定負けを喫する。
2013年11月14日、イギリスでワンナイトトーナメントのプライズファイターに出場。1回戦は3回TKOで勝ち抜くが、2回戦でジェイソン・ガバーンに3回1-2の判定で敗れた。
2015年8月8日、1年9ヶ月ぶりの試合でチャールズ・エルスと対戦し10回0-3の判定で敗れた。エルスは9勝3敗の戦績の格下の相手であったためトニーにとって非常に厳しい敗戦となった。
2017年5月13日、1年9ヶ月ぶりの試合でマイク・シェパードと対戦し6回KO勝利。引退がアナウンスされていた試合を勝利で飾った。
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