運をつかみ損ねた男/(リトルハグラー)フレディ・ノーウッド

アメリカのバリバリの強者が日本にやってくる理由は、本場でビッグマッチを掴み損ねた選手というイメージがある。ファイトマネーはそこそこ、ビッグマッチまでのひと稼ぎ、半分旅行気分・・・それでもその技術と身体能力は次元が違った。

全盛期の(マーベラス)マービン・ハグラーのファイトほど心を打たれるものはない。誰に対しても勇敢でアグレッシブで情け容赦ないそのファイトは数々の傑作試合をもたらした。

マービン・ハグラーに似たファイターはスペシャルでなくてはならなかったが、フレディ・ノーウッドは様々な点でハグラーに似ていた。サウスポーのスキンヘッド、攻撃的なファイトスタイル、恐れることなく激しく相手に立ち向かう姿勢など・・・

ノーウッドはミズーリ州セントルイスで生まれた。ここはソニー・リストンやマイケルとレオンのスピンクス兄弟を生んだ地だ。1989年にプロに転向し最初の8年で29勝18KOという記録を築いた。その勝利には長期世界王者のブヤニ・ブングも含まれる。

https://www.youtube.com/watch?v=ug7TLv8LJ3A

ファンがノーウッドの才能に気づきはじめたのは1997年の事だった。CBCで全国デビューを果たしタフなジャーニーマン、ダリル・ピンクニーを下した。伝説のトレーナー兼解説者のジル・クランシーはノーウッドを高く評価した。

試合後のインタビューで過去に下し王者に君臨するブヤニ・ブングとの対戦をアピール、わずか1か月後には元世界王者のアガピト・サンチェスを下しジュニア・ジョーンズに対戦をアピールするもことごとく敬遠された。

https://www.youtube.com/watch?v=pPYwrbKW0Xc

1998年4月3日、元WBA世界ジュニアフェザー級(現:スーパーバンタム級)王者アントニオ・セルメニョ(ベネズエラ)と空位のWBA世界フェザー級王座を争い、12回判定勝ち。9年の歳月、31戦目にして初の世界王者となった。

防衛を続けながら時のスター、(プリンス)ナシーム・ハメドに対戦をアピールした。「プリンセスよ、戦おうじゃないか」しかしハメドもそれに応じることはなかった。

1998年9月22日、日本のリングに初登場。東京で松本好二と対戦し、10回TKO勝ち。(この試合は当初、3度目の防衛戦となる予定であったが、ノーウッドが試合前日の計量をパスできず失格、王座剥奪となった。そのため、王座空位の状態で試合を行い、松本が勝った場合に限り新王者誕生というルールが採用された)。

1999年5月28日、世界再挑戦。前年10月にノーウッドが剥奪されたWBA世界フェザー級王座を獲得したセルメニョと再戦し、12回判定勝ち。8か月ぶりの王座返り咲きを果たす。

その後、未来の殿堂入りファイター、ファン・マヌエル・マルケスとの試合でHBOデビュー。両者の実力からして熱戦が期待されたが、実際は両者が警戒してほとんど手を出さない凡戦に終始し、結果は物議を醸すノーウッドの判定勝利となった。

https://www.youtube.com/watch?v=xL7BUdTaXUU

2000年1月30日、日本のリングに再登場。福岡で越本隆志と対戦し、9回TKO勝ち。その後、3度の防衛に成功。

2000年9月9日、同国人のデリック・ゲイナーと対戦。激しいラフファイトの末、11回TKO負け。この試合は当初、4度目の防衛戦となる予定であったが、ノーウッドが試合前日の計量をパスできず失格、王座剥奪となった(前述の松本戦に続き2度目)。

https://www.youtube.com/watch?v=UjDiwHfdpk4

両者最初からラフファイトでレスリング行為を二、三回そのあとローブロー合戦でゲイナーがローブローをやり返した直後、レフリーがカウントをし始め18までカウントしTKOとなる奇妙な試合となった。結果ゲイナーが勝利し、新王者誕生となった。

その後ノーウッドは誘拐と暴行の容疑で逮捕、起訴され6年間ボクシングから遠ざかった。2006年から2011年の間にカムバックするも、ミドル級まで膨れ上がり、成績は5勝3敗で終わった。

通算成績43勝23KO4敗1分。

もし、6年のブランクがなければ何が起こりえただろう。再起し世界王座を奪還し、バレラやモラレス、パッキャオのような選手と戦うことが出来ただろうか、その代わりに残されているのは、フレディ・ノーウッドという強烈な才能がが十分に開花しなかったという想い出だけである。

松本好二、越本隆志と2度も日本で試合をしたノーウッドは扱いにくい天才、野生児といえた。とても小柄だが全身筋肉のような躍動感とフルパワーに日本人は成す術がなかった。越本は対戦まで23戦全勝2分だったが初黒星となった。

本気を出せばどこまでも強い、やばい奴として海外大物も手を出しにくい王者だった。

越本戦の次の次でこの野生の天才のキャリアは突然終わる。デリック・ゲイナーはノーウッドの天敵といえる長身強打のサウスポーの名選手だったが、相性含め、反則のオンパレード、突然の敗北という結末は自業自得ともいえた。

本場には、得体の知れない才能を秘めたファイターが多くいる。次回、そのとっておきの選手を記事にしてみたいとおもうが、プライベートの無軌道、逸脱ぶりは半端なく、彼らがなぜボクシング、殴り合いだけはこんなに強いのか、理解に苦しむところがある。アマチュアの経験も豊富なのだろうが、人生がすなわち殴り合い、強烈なサバイバルだからだろうか、薬物と無縁でないからか・・・

才能はすさまじかったが、末路は決まっていたようなキャリアだった。
いつの時代も似たような選手が台頭してくる。ノーウッドのような裏街道の苦労人ではないが、ゲルボンタ・デービスも似たような危うさを秘めた才能だ。彼のキャリアが師匠のフロイド・メイウェザー(FM)のように輝くのか、フレディ・ノーウッド(FN)のように凋落するかは誰にもわからない。

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