そして最後にユーバンク、私の自己満足もこれにて終了。ナイジェル・ベンのような狂犬を倒し出てきたのはユニークな顔をした得体のしれないファイターだった。当時は意味がわからなかったが、ベンにない個性と特徴を備えた名王者だった。ボクシングというのは本当に奥が深い。
クリス・ユーバンクはリング内外で一風変わったアクションで有名な元2階級の世界王者だ。1990年代にイギリスでその名を確立した。
1966年8月8日、サウスロンドンのダリジで3人兄弟の一人として生まれたユーバンクは2歳でジャマイカに移住し8歳でロンドンに戻ってきた。若い頃はトラブル続きで中学校で18回停学処分を受けた後に退学になった。
ユーバンク
「いじめられっ子を守っていただけです。何も悪いことはしていません。いじめの真実を知っていた唯一の人間でした。」退学処分になった子供たちを受け入れる施設で過ごし、16歳の時にアメリカ合衆国へ渡り、ニューヨーク市サウス・ブロンクス地区で母親と暮らすようになった。
2人の兄を追いかけるようにボクシングに熱中しスペインのゴールデングローブで勝ち本場のゴールデングローブの準決勝までいった。彼のアマチュアキャリアは19勝7敗しかなかった。
1985年にプロになったユーバンクはイギリスに戻るまでにアメリカで5連勝した。
1990年、ユーバンクは勝負に出た。WBOミドル級王者で国内ライバルであったナイジェル・ベンと対戦した時にキャリアハイを迎えた。逆転KOで9回に「ダークデストロイヤー」をストップした。
1991年、ユーバンクは有望なマイケル・ワトソンと対戦し判定勝利したが、試合は物議を醸すもので多くのファンがワトソンを支持した。
https://www.youtube.com/watch?v=q9ZO0FL2Vx8
ユーバンク
「私の勝利に人々が嫉妬した。偏見だ。試合をみれば私が負けていないのは明白です。王座は常に奪われるものだ。だから即座に再戦が組まれた。」3カ月後に再戦が組まれたが、このWBOスーパーミドル級タイトルマッチは悲劇の結末となった。
ワトソンが終始試合をコントロールし、チャンピオンシップラウンドとなった11ラウンドまで優勢に進めていたが、逆襲を図るユーバンクが起死回生の右アッパーでワトソンを倒した時が運命だった。ワトソンは最下部のロープに首を打ち付け、深いダメージとともに崩れた。
ワトソンはその一撃で再起不能の脳障害に陥った。
[st-card id=77156 ]ユーバンク
「エモーショナルな瞬間だった。ワトソンが被った被害、私はそれを忘れることは決してない。」ユーバンクはその後も多くの猛者を相手にタフに防衛を重ねていった。
やがて一階級上げて因縁のナイジェル・ベンとの再会を果たした。試合は議論を呼ぶ引き分けに終わった。今となってはナイジェル・ベンを認めているユーバンクだが、勝利は自分のものだったと確信している。
30歳間際の1995年3月にアイルランドのスティーブ・コリンズに敗れるまで、14度の防衛に成功した。
ユーバンク
「コリンズの地元コークで私は勝てないと言われていた。セントパトリックデーの週だった。賞賛されるべきはそんな場所、そんな時期にライオンの檻に入った(コリンズの地元)私の勇気です。アイリッシュの記念日に戦わされたのです。それが真実です。」コリンズとは再戦もしたが、12回スプリット判定で敗れた。
その後ユーバンクはしばらく引退状態だったが、コリンズが勝者のまま引退したのを受けて1997年、空位のWBOスーパーミドル級をかけて若いプロスペクトと対戦、それがジョー・カルザゲだった。
ユーバンク
「初回から12回まで過酷な試合でした。カルザゲはホンモノだった。もしそうでないなら12回まで試合は長引かなかったでしょう。いつカルザゲと戦ったのかと聞かれましたが彼に関してはまだ未知数だったので、私が彼に授業を与えたのかもしれない。あれは彼の最初の世界挑戦だったし当時はまだ何者でもなく証明されていなかった。開始直後にいきなりダウンを食らったけど倒れた感覚はなかった。肩がキャンバスにぶつかったような気がしたけど、それがカルザゲとのファーストコンタクトだ。誰かが言っていた。「死ぬまで平手打ちをくらわされたような」気分だった。」
カルザゲに敗れた半年後、ユーバンクはさらに階級を上げWBO世界クルーザー級王者のカール・トンプソンに挑戦し健闘したものの判定で敗れた。ダイレクトリマッチでカール・トンプソンに再び挑戦するが、9回終了時にドクターストップがかかり試合を棄権して敗北、3連敗となり、鉄のアゴと讃えられたユーバンクは現役を引退した。
通算戦績45勝23KO5敗2分
現在ロンドンに住み5人の子供を持つユーバンクは次男のクリスジュニアのトレーナーとして重要な役割を果たしている。
ライバルについて
ベストジャブ ディーン・フランシス
彼は惜しみなきスパーリングパートナーです。彼と試合で戦ったことはない。見えないジャブを持っていた。見えない、速すぎる。痛みでさえ、彼のジャブを経験するのは美しいことだった。誰のどんなジャブも彼以上ではなかった。
ベストディフェンス ダン・ショマー
私は彼に完全にボクシングのレッスンを施された。歯が一本折れた。私は判定勝ちと言われた。彼は今カナダで実業家として成功していると聞いたが、彼を探し出して謝らなければならない。ジャッジが彼の勝利を奪ったのだと。1995年の南アフリカのサンシティでの事だった。私は彼を打つ事ができなかった。彼は常に射程外にいた。あの試合は彼のものだ。
ハンドスピード ジョー・カルザゲ
初回いきなり倒されて、この試合は長引かないとおもった。ベルがなる5秒前に私は彼を捉えた。でも彼は試合を続け私はひどく殴られた。私が一発打つのに対し彼は4発殴った。完全なスピード負けだ。
ベストフットワーク ダン・シェリー
1991年にブライトンで初防衛戦で戦った。シュガー・レイ・レナードのような仲間から訓練されていて素晴らしいフットワークの持ち主だった。
ベストチン エドゥワルド・ドミンゴ・コントラレス
アルゼンチン人だった。途方もなく打たれ強い男だった。試合をみればそれがわかる。彼は今健康、大丈夫なんだろうか?私は全てを殴り尽くしたよ。
スマート ダン・ショマー
彼の振る舞い、佇まい、彼はファイターらしくなかった。穏やかな男だった。試合をみればわかるが私は完全にアウトボックスされた。判定勝利と言われそれを受け入れたが、私は勝者ではない。ミスばかりで効果的なパンチを当てることが全くできなかった。
屈強 ナイジェル・ベン
誰が屈強かなんて問題ではありません。パワーで私を倒すことはできない。スキルや戦術でしか私を破れない。私もスキルフルだから私には勝てない。ナイジェル・ベンは初戦の2ラウンドに私を持ち上げて投げた。この男は自分が何をしているのかわかっていない。力を無駄使いしているとおもった。自分より屈強な者と対峙する時はパワーに頼らず、リラックスした方がいい。強がりは愚かな行為だ。テクニックを使うんだ。あの時の私はナイジェル・ベンより弱かったけど賢かったんだ。
ベストパンチャー ナイジェル・ベン
私はノックアウトされた事は一度もないが、何度かそれに近い状態になった事はある。ジョニー・メルファに殴られた3ラウンドに私には白い光を感じた。ベンに殴られた時は少なくとも2秒半は殴られ続けた。普通は殴られても一瞬で終わるがベンの場合はそれが2秒半も続くんだ。強打を束のようにまとめてくるからだ。一発耐えても2発、3発、4発と、ベンは途方もなく激しいパンチャーだった。
ベストスキル ダン・ショマー
私は彼にパンチを当てることができなかった。常にわずかに射程外だった。それはただのテクニックではなく知性だった。何も特別なファイターではないとあらかじめ武装解除してみせたすごい男だった。完全に私は読み違った。そんな男は彼だけだった?いやもう一人、ジョー・カルザゲがいた。彼のボクシングスキルは極めて模範的なものだったがミスを誘うのが巧みだった。マイケル・ワトソンとの再戦も素晴らしかった。ワトソンはマイク・マッカラムのアドバイスを忠実に守っていた。
「ユーバンクを破る唯一の方法は毎ラウンド奴をただ3分間そこに立たせておくことだ」そんな事は不可能だがワトソンはそれをやった。
総合 ナイジェル・ベン/マイケル・ワトソン
それはフェアな質問ではない。私が答えられる質問ではない。ナイジェル・ベンと言いたいが、マイケル・ワトソンはナイジェルよりもはるかに多く私を痛めつけた。でもナイジェルは倒されず。ワトソンは倒された。マイケル・ワトソンは私に10回半のマスタークラスのレッスンを与えてくれた。だからこの質問はフェアとはいえない。1991年9月21日、一人の男は人生のピークに達し、マイケル・ワトソンは人生の最高潮だった。
これで、当時恐怖の本物ミドル級、ビッグ4(デュラン、ハーンズ、ハグラー、レナード)の裏舞台で活躍するヤバい奴らの紹介の区切りとなる。ジェラルド・マクラレンこそ本命だが、彼のインタビューは残念ながら存在しない。
ライバルたちのコメントから、クリス・ユーバンクという男の特徴がよくわかった。そして本人の記事を読んで納得。実に奇妙な存在だ。アマチュア19勝7敗の選手が築く実績、功績ではない。一度もノックアウトされることなく途方もないキャリアを築き上げた。
ボクシングというのはナイジェル・ベンのような殺傷本能、野生の魅力こそ一番かとおもいきや、それを凌駕する独特の味わいを秘めた選手が出てくる。クリス・ユーバンクは誰の評価でもベストパンチャーではないが、ベストチン、途方もなく打たれ強く次に何をしてくるかわからない存在だった。キャリアを通じてノックアウト負けは一度もない。キャリア終盤に大きな選手やカルザゲのような超速のハンドスピードを持つ新種に敗れたが、そこまで完全無欠の無敗といえるような記録を重ねた。
それらを考慮すると息子のジュニアも相当筋がいい、打たれ強いのかもしれない。ミドルとスーパーミドルの中間あたりにみえるジュニアは敗北も経験しエリートとして認められていない存在だが、個人的にはカネロも凌駕する才能だとおもっている。だからこそ誰からも相手にされないような気がする。
この記事を通じて知ったダン・ショマーという男は30勝19KO1敗というキャリアで引退していた。その1敗が最後のクリス・ユーバンク戦となっていた。ショマーに謝りたいというユーバンクの言葉通りだったとすれば、彼は無冠の帝王だ。勝利を盗まれ絶望の果てにボクシングを捨てたのだろうか・・・
裏街道のミドル級のライバルたちのストーリーは面白いが、ライバルとはいえ、未知の選手の想い出も多くだからこそボクシングは奥が深い。
そしてなぜかベストチン、屈強さだけだとアルゼンチン人も大活躍
本当に深い話だ。
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