刹那の花火/(hot pepper=唐辛子)李烈雨(イ・ヨルウ)

李烈雨は今、過去の記憶から解放された。栄光であると同時に呪いでもあった「世界チャンピオン」という呪縛から抜け出し、沃川に普通の男として帰ってきた。派手なパレードはないが、故郷に抱かれ安らかに眠れ。

https://www.youtube.com/watch?v=IzuqDX9zqxI

李烈雨(イ・ヨルウ)は、大韓民国の元プロボクサー。元WBC世界ライトフライ級、WBA世界フライ級王者。

2階級で世界王者になった李はスピード、体力、パンチ力、3拍子揃った天性の才能を持ったファイターだったが、左目の焦点がぼやけ、斜視のため、タイトルをあっけなく明け渡した悲運の王者だった。

張正九選手が韓国のボクサーとして初めて国際ボクシング殿堂入り(IBHOF)を果たしたというニュースの裏で、ささやかな悲報があった。

元世界王者の李烈雨が亡くなった。

2009年12月10日、大田市中区梧柳洞の鶏竜病院で癌のため死去。中学三年生の息子がいた。

1967年、忠清北道沃川で農業を営む両親の9人兄弟の末っ子として生まれた。子供の頃からビニール袋を手につっこんで近所で拳闘ごっこをしていた李は中学生になるとマラソン選手として活躍した。ボクシングを始めたのは沃川高校に入ってからで沃川高校は全国大会で優勝するまでになり、原動力として大活躍した。

その頃から「世界チャンピオン」が夢だった。高校を卒業後すぐにプロになりソウルの極東ジムに所属した。

1985年7月13日、プロデビュー。

1987年12月13日、元WBC世界ライトフライ級王者アマド・ウルスア(メキシコ)を5回KOに降す。

1989年3月19日、世界初挑戦。母国でWBC世界ライトフライ級王者ヘルマン・トーレス(メキシコ)に挑み、9回TKO勝ち。張正九選手が返上したタイトルを韓国に取り戻し、18戦目で初の世界王者となった。

しかし、6月25日の初防衛戦でウンベルト・ゴンザレス(メキシコ)に12回判定負けで王座から陥落した。

同年11月25日、同国人の元WBC世界フライ級王者金容江とノンタイトル戦を戦い、10回判定勝ち。

一階級上げ、1990年3月10日、フライ級で世界挑戦。WBA世界同級王者ヘスス・ロハス(ベネズエラ)に挑み判定勝ち。洪秀煥以来韓国では2人目の2階級制覇を達成した。

しかし、この栄光の瞬間も長続きしなかった。

李烈雨
「金容江に負けたような奴に、どうしたら俺が負けるっていうんだい?序盤にKOで俺が勝つ!」

初防衛戦(初の韓国国外での試合)。茨城県水戸市でレパード玉熊と対戦し、10回TKO負け(自身初のKO負け)を喫し、王座から陥落。この試合を最後に22戦19勝3敗(10KO)という通算成績を残して引退した。23歳という若さだった。

バクマンスン館長(師匠)
「とても頑固で激しいトレーニングに耐える男だった。彼のニックネームは「hot pepper=唐辛子」なんだけど、小さいけど熱く、根性のある奴だった。」

鶏竜病院総務部長
「気さくで謙虚でユーモラスな人でした。」

引退後は途方に暮れた。沃川でジムを経営したり、バーをやってみたり人生を彷徨っていた。放浪の果てに「李烈雨ボクシング教室」を立ち上げ、後進の指導に没頭した。徐々に枯れていく韓国ボクシングを蘇らせるため不断の努力を続けていたという。

李烈雨
「たくさん彷徨った。世界王者になった以外、故郷の人々に借りを返せていない。よく食べて酒も飲んだ。昼間は建設現場で働き、夕方には地元の人々にボクシングを教えた。地元のスポーツ発展のために尽くしたい。」

いつも、早すぎる引退を嘆き、ボクシングが国民の関心を失っていくことを悲しがった。それがストレスとなったのか、若くして癌を患い、5年余りの闘病の果て、永遠に帰らぬ人となった。

李烈雨の炎はあまりにも早く燃え盛り、彼の花はあまりにも早く開花した。地元沃川の人々は彼を誇りにおもい、後援会を作ったが、炎が霞むとその関心と愛情は残雪のように溶けた。

李烈雨は今、過去の記憶から解放された。栄光であると同時に呪いでもあった「世界チャンピオン」という呪縛から抜け出し、沃川に普通の男として帰ってきた。派手なパレードはないが、故郷に抱かれ安らかに眠れ。

李烈雨は玉熊に王座を明け渡した選手としてしか知らないが、玉熊の相手を調べるために、ウンベルト・ゴンザレスとの死闘や、その他のキャリアも知っていた。玉熊の戴冠はアップセットだった。

張正九や柳明佑に連なる、韓国伝統の突貫ファイターで、フィジカルも気持ちも強い選手だった。玉熊が手数少なく引いた戦いをしては勝てなかっただろう。ファイターだから接近戦で応戦したのが功を奏した。

キャリア浅くして数々の強豪に勝ち抜いてきた李烈雨は才能だけなら彼らに引けを取らなかっただろう。玉熊が栄光の後、短命にして網膜剥離で現役を引退したのと同じく、李烈雨も23歳という若さで既に目が限界だったようだ。

もう10年前にわずか42歳の若さで亡くなっていた事を知らなかった。安らかにお眠りください。

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