今日の苦痛は明日の栄光/金容江と金相賢

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金容江は努力家だった。WBCフライ級王者を陥落し、スーパーフライ級でも負けた。もう終わった選手だとおもわれていた。しかし1年半の歳月を経て、エルビス・アルバレスに勝ってWBAフライ級王座に再び輝いた。

https://www.youtube.com/watch?v=sLhdzP2Qpng

WBC世界スーパーライト級チャンピオン、金相賢は1955年、釜山に生まれ、1978年12月30日、29戦目でWBC世界スーパーライト級王者センサク・ムアンスリンに挑戦し、13回KO勝ちで世界王座を獲得した。

1980年2月23日、3度目の防衛戦でソウル・マンビーと対戦し、14回KO負けで王座から陥落。
1983年4月2日、WBA世界スーパーライト級王座アーロン・プライヤーに挑戦し、3回KO負けで王座獲得ならず。この試合を最後に引退した。

通残41勝24KO4敗3分。

時は変わり、1990年9月29日、韓国の金容江は2階級制覇を目指し、WBA世界スーパーフライ級王者カオサイ・ギャラクシー(タイ)に挑むが、6回KO負け。これが金の生涯全戦績中唯一のKO負けだ。

当時44勝39KO1敗のカオサイに対し、本来一階級下の元王者金容江では勝算が低いとおもわれていた。実際、金容江は全力で戦わなかったように記憶している。チームもどこか戦う前から諦めムードが漂っていた。

金容江は過去の選手であり、もう期待できない。それから新しいトレーナーとして組んだのが金相賢だった。

金容江は金相賢と呼吸を合わせ、1991年6月1日、フライ級に戻しての世界再挑戦。WBA世界フライ級王者エルビス・アルバレス(コロンビア)に挑み、12回判定勝ち。2年ぶりに世界王座返り咲きを果たした。

金相賢のきめ細かな指導をスポンジのように吸収した金容江は劇的なキャリアの逆転に成功した。柳明佑の宿敵だったレオ・ガメスに圧勝し、フィリピンのジョン・ペニャロサも6回でKO。長期政権も期待される躍動をみせた。金容江は文成吉のような猪突猛進型のファイターではなく洗練された技巧派だ。

3度目の防衛戦、12勝5KO4敗1分のアキレス・グスマンは158センチのやや緩い相手とおもわれたので甘く見ていた。その試合の裏で、ある問題が起きていた。金相賢が当時の88プロモーションとギャラの問題で衝突しトレーナーを解雇されていたのだ。

トレーナーを失った金容江はメンタルが崩壊しタイトルを喪失、引退を早める最悪の状況となった。グスマン戦を控えた金容江はナイトクラブで遊び三昧、トレーニングを怠っていた。それとともに、88プロモーションも韓国ボクシング界も没落していった。

もし88プロモーションが金相賢に冷遇していなければ、サムプム百貨店が崩壊するような没落は防げていたかもしれない。信頼の厚い金相賢はその後、知人の協力を得て、ボクシングとは関係のない個人事業で成功した。

金容江の今

ソウル広津区紫陽洞851-1、元WBC世界フライ級、元WBA世界フライ級王者は「金容江ダイエットボクシングジム」を経営しているが表情は重苦しい。

金容江
「60坪くらいですが決して広い方ではありません。リングやサンドバッグが大きいからって強くなれるわけではありません。ジムのオープンには少なからず躊躇しました。選手志望の若者がほとんどいないからです。ダイエットや趣味目的の会員ばかりです。」

彼の年齢もいつのまにか48歳(今は55歳)2人の娘も24歳と20歳に育った。

金容江
「もう少し若いうちに夢を叶えたかった。たった一人でもいいから選手を育てたかったんだ。その夢を実現するには、私自身が努力しなければならないでしょう。」

ジムの壁には大きな筆文字でこう書かれている。

「今日の苦痛は明日の栄光」

金容江は努力家だった。WBCフライ級王者を陥落し、スーパーフライ級でも負けた。もう終わった選手だとおもわれていた。しかし1年半の歳月を経て、エルビス・アルバレスに勝ってWBAフライ級王座に再び輝いた。

韓国人ボクサーが同じ階級で2団体のベルトを獲得したのは初めての快挙だった。

金容江
「何か特別なプログラムを用意してジムを運営してみるつもりです。」

ダイエットや趣味でなく、選手志望のプログラム、特別な方法を講じなくてはプロボクサーの夢を与え続けることができないという元世界王者の判断だ。現在ジムの会員は100名余り、女性が5割を占める。もちろんダイエットが目的だ。残り50%の男性でプロ志望は一人もいない。

金容江
「必ず、ボクシングブームが戻ってくるだろうと信じています。」

元世界王者は明日の世界王者を待っている。

レパード玉熊を書いたついでに。
韓国の方が日本よりアーカイブが残っている。
日本は残念な状況だ。

そして、当時、1980年代~90年代にかけては、日本より韓国の方がボクシングも常にリードしていた。センサクやプライヤーとやった金相賢はほとんど知らなかったが、金容江に勝った日本人は一人もいない。玉熊よりも、他の日本人よりもやはり少しだけ上だったな。

カオサイとやってフライ級で2度目の王朝を確立するとはおもわなかった。

そして韓国ボクシング界の凋落。
それでも、元世界王者は明日の世界王者を待っている。

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プクー

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「ボクシング動画配信局」https://box-p4p.comの管理人です。 ボクシングで人生を学びました。

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