細身でハンサムな風貌ながらも芯が強くて頑固で意地っ張り、とっつきづらそうな印象もあったモラレスはやはり誇り高き曲者だった。ぎこちないけど強烈なパンチと脆そうでタフな面など魅力的なそのファイト、一度くらいは日本人と戦う姿を見てみたかった。池とやっているし認めているのだ。
3部作とはよく言われるが、なぜマルケスとの対決がなかったのだろう?
彼らにならって階級をあげていったが、ライト級以上は苦しかった。
全盛期を過ぎて、たとえ殿堂入りのキャリアに暗い影を落とすとしても、エリック・モラレスほど素晴らしいファイターはいなかった。20年間に渡るキャリアで同年代のライバル、マルコ・アントニオ・バレラやマニー・パッキャオとの伝説的な3部作を生み出したティファナのネイティブほど我々を熱狂させた者はいない。
2年半の引退を経て、モラレスはウェルター級で元ライト級世界王者のホセ・アルファロを破り復帰したが、バレラやジュニア・ジョーンズへの勝利を含む7つのタイトルホルダーのスピード、パワー、反射神経はもう見る影がなかった。
しかしプライド高きメキシコのスターは再びのカムバックを発表した。
(ダニー・ガルシアに敗れる前のものです。)モラレスは10のカテゴリに分かれた過去のベストボクサーの選出にためらった。
明らかに言えることは3部作でモラレスに黒星をつけたバレラやパッキャオが当てはまるはずだが、モラレスは両者にその名誉を与える事を拒否した。「El Terrible」(エル・テリブレ=恐怖)はライバルについて真剣に考える。
よってモラレスの心境は、モハメド・アリを認めないジョー・フレイジャーや、レナードには勝ったと主張するマービン・ハグラーと変わらない。
モラレス
「その質問に何の意味がありますか?誰が最高かって?スキルの事ですか?」その全てですと記者が答えると、記者会見に同席していたファンがスペイン語で声を荒げて叫んだ。
「バレラで決まりでしょ」
モラレス
「君がそういうならそうだね、彼だよ」もしモラレスとバレラで揺れているならよく考えてみるべきだ。
モラレス
「他の質問をしてくれ、よしどうぞ」アマチュアボクシング:114戦108勝6敗
プロボクシング:61戦52勝(36KO)9敗ベストボクサー ジュニア・ジョーンズ
難しい質問です。たくさんのファイターと戦ってきたからね。ジョーンズかな、いいテクニックを持っていた。正確で強いストレート、私はダメージを受けたよ。
ベストパンチャー ジュニア・ジョーンズ
2ラウンドにジョーンズの右を食って数秒間固まったよ。効いたね。
ハンドスピード マニー・パッキャオ
外からの単発のスピードはジョーンズだけどパッキャオは4発5発と連打が速いんだ。ショート連打で瞬きもできない。2人共にタイプは違うけどすさまじいスピードを持っていた。
フットワーク ヘクター・アセロ・サンチェス
試合を通じてずっと走り回っていた。彼がどこにいて何をしようとしているのかわからなかったくらいだ。俺はファイトがしたいだけなのに。フラストレーションのたまる試合だった。
ベストディフェンス ヘクター・アセロ・サンチェス
さっきの理由で彼だね。
ベストチン 池 仁珍
タフガイだった。ノックアウトできるだけのパンチを彼のアゴに見舞った。でも前に出るのをやめなかった。彼は強くてコンディションがよかったんだろう。
https://www.youtube.com/watch?v=dV7wyj0T5YE
ベストジャブ ザヒール・ラヒーム
ほとんどジャブだった。それが彼のキーパンチだった。ジャブだけ。ジャブで私をトラブルに陥れた。
屈強 マニー・パッキャオ
ムキムキの筋肉マッチョな奴というのはリングでは実はそんなに強くないんだ。でも彼は強かった。恐ろしく強かった。池 仁珍もフィジカルは強かった。ずっと私をプレスし続けた。でもパッキャオはもっと爆発的だった。リングの中で怪物だった。
スマート ザヒール・ラヒーム
彼の戦い方は嫌いだよ。でもあのスタイルは難しいんだ。あの試合は練習不足だった。でももし練習をしっかりやっていてもフラストレーションがたまっただろうね。そのくらい彼は厄介なスタイルだった。
総合
総合を聞く段になるとモラレスは明らかに答えづらそうだった。
正直に言えばもっとも過酷な相手の名前はエリック・モラレスだ。物事を正しく行い、最高のトレーニングを積んでいれば、ボクシングは簡単だったけど、私はよく怠けた。だからみんなご存知のように接戦や苦戦をたくさんした。
一人の男を選びきれないほど多くの相手と戦ってきた。ファンは私にバレラかパッキャオだと言って欲しいことはわかっている。でも私はそういう考え方はしない。ボクサーのものの見方はそうじゃないんだ。私にとっては過酷な試合、相手でもファンは忘れてしまうような、あるいは決してわからないタフな試合というものがあるんだ。
エンリケ・ジュピターは私が次のステップに進む段階では最もタフな相手だったしメキシコでは有望なプロスペクトだった。彼に勝って俺が何者なのか証明する必要があった。
21歳で私がアメリカでスターになることを証明すべき時に戦った大ベテランのダニエル・サラゴサは過去最強だった。いままで対戦したどんな相手より熟練のファイターだった。彼を倒したからこそ、私はどんなスタイルにも対抗できる本物のチャンピオンになれたんだ。
ジュニア・ジョーンズ戦も過酷だった。次なるレベルを証明すべき最大の戦いだった。
バレラやパッキャオとの闘いもこれら厳しい戦いの中の一つだけど、ウェイン・マッカラーやグティ・エスパダス、ヘスス・チャベス、池 仁珍、デビッド・ディアス、カルロス・エルナンデスらとの厳しい試合ほど特別なものではありません。もう、どれが一番だったかなど忘れてしまうほど多くの戦いをしました。
あなたや他の誰かが決めた方がいいよ。
それが、モラレスがレジェンドたる理由だろう。
やはりなとおもうくらいプライドの高い男でした。
バレラもパッキャオも一番とは認めない。
いつも最良のコンディションであれば自分こそ一番。
あるいは一人に決められるものではない。
これこそがボクサーの本音であり、どの試合にも人知れず過酷な面があるということだ。井上尚弥だって試合中の怪我も含めればカルモナ戦やタイ人との試合の方が大変そうにみえた。
エリック・モラレスはダニエル・サラゴサに勝ってヒーローへの階段を駆け上がっていったが、サラゴサには畑中や辰吉が苦渋をなめており、辰吉VSモラレスはニアミス、当時実現可能な組み合わせだった。ジュニア・ジョーンズやバレラも・・・あの時日本が閉鎖的でなければ・・・そんなサラゴサは伝説のカルロス・サラテを破って王者になった男だ。
歴史や伝説はすぐそこにあった。
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