坂本博之とも戦ったセサール・バサンはどういう経緯かわからないが、それ以前に日本で4試合している。(帝拳プロモート)輸入ボクサーだったのだろうか、その他フランスでも4試合。和製デュラン、坂本博之が強打者なのかわからなくなるほど、不思議に巧く頑丈で、やはり世界は遠かった。
メキシコ人にとってフリオ・セサール・チャベスは特別な存在だが、英雄の90年代の衰退時期に多くのファイターがその隙間を埋めようと台頭してきた。その中の一人が元世界ライト級王者のセサール(エルパソ)バサンだ。
バサンは典型的なメキシカンとは違いライト級で身長が183センチもあった。それにも関わらず彼はインファイトを好んだ。
バサンはメキシコシティで生まれ育ち、1992年、17歳でプロになった。6年間で31勝23KO2敗1分というキャリアを築いた。主に地元のメキシコシティで戦ったが、日本とフランスで9試合行ったため、ある程度世界的に認知されることに成功した。対戦相手の名前は無名がほとんどだったが、遂に世界王者、スティーブ・ジョンストンへの挑戦権を手に入れた。
1998年、6月、テキサス州エルパソのサンボウルで46000人のファンの前で戦った。メインはオスカー・デラホーヤVSパトリック・シャルパンティエ、HBOの世界戦ダブルヘッダーの一部だった。ジョンストンはここまで24戦全勝、これが4度目の防衛戦だった。バサンはアンダードッグでジョンストンの防衛が手堅いとされていた。
https://www.youtube.com/watch?v=8jSfh8iPlcI
しかしバサンはオッズが間違いであることを証明する。リング中央でのラフでタフな戦いに終始。バサンは身長とリーチで大きく上回っているにも関わらず、接近戦を選んだ。ジョンストンはバサンのリズムに戸惑い手の届くところに相手がいるにも関わらずうまく対処できなかった。試合はスプリットの判定でバサンがアップセットをものにした。
バサンはその後日本の坂本博之やマウロ・ルセロを破り防衛していく。
https://www.youtube.com/watch?v=7V-3zKbvF_8
時の対立王者、当時最強の呼び声高いシェーン・モズリーとの統一戦を避けジョンストンとの再戦を選択した。
https://www.youtube.com/watch?v=C8ukBoNSzqc
1999年、フロリダ州マイアミで再会した両者だが、今度はジョンストンが宿題をこなしてきた。初戦のミスを修正しバサンに対抗、バサンも激しく抵抗し熱いハートを示したが、結果は初戦と逆のスプリットでジョンストンを支持した。
戦いに敗れてもバサンは落ち込むことなくその後4連勝を記録、同国のホセ・ルイス・カスティージョ相手に再び世界挑戦権を得る。カスティージョもまたジョンストンと2戦連続24ラウンドを経験した男だった。(2試合ともMD)フロイド・メイウェザーVSディエゴ・コラレスとのHBOのダブルヘッダーの一部だった。
バサンは2回までカスティージョを上手くアウトボックスしてコントロールしたが、徐々に得意の接近戦を選択、5回まで拮抗した激しい打ち合いを演じ、解説者のラリー・マーチャントは両者のタフな死闘を讃えた。5回カスティージョの左フックでバサンがダウンするも立ち上がり熾烈に打ち合い、大きなハートを示した。6回終盤にカスティージョの強烈な左アッパーを受け再びダウンするも、また立ち上がって途方もない精神力で向かっていった。しかしダメージが深刻なバサンを残り6秒でレフリーが止めた。
https://www.youtube.com/watch?v=A2h3bo2HSSs
バサンにとっては大きな敗北となったが、とてもエキサイティングな熱戦として大きな精神力、勇気をみせた。その後、世界王座をかけたチャンスには2度と戻ることなくトップランカーとしての道は閉ざされたが2003には未来のレジェンドとなるミゲル・コットのテストマッチの相手を受けた。(11回TKO負け)2001年から2008年の間に9勝5KO7敗とし、2008年引退、2012年に21か月のブランクを経て1試合のみ復帰し勝利で最後を飾った。
最終戦績49勝31KO12敗1分。メキシカンファイター離れした長身にも関わらず、アウトボクシングやフットワークを使わず、正面からの接近戦の打ち合いを好んだエキサイティングなファイターだった。
バサンが長身を生かしたボクシングを選択していたら彼のキャリアはもっと成功しただろうか?2度、3度と世界王者に返り咲くことはできただろうか、結局バサンがそれをやるにはタフすぎて向いていなかったのだ。
一流の実績を残した名王者とは言えないが、日本に足跡を残した忘れがたき男として記録。
ニックネームのエルパソは地名じゃないかい!とおもったが、峠という意味があるらしい。デカいから峠なのだろうか・・・
ジョンストンもバサンも世界の一流を倒すことは日本人には無理だった。日本なら、アジアならコロコロ倒すハードパンチも彼らには受け止められ、吸収されてしまう。
そんな巧さとやりにくさ、世界の偉大さを感じさせた屈強なバサンも、世界の一流には苦戦の連続、KO負けも味わった。あの頃がライト級で日本人が世界に迫った最後かもしれず、いまでもその王座は遠いまま。
身長もだがリーチも191センチもあった。そんな長所を武器にせずメキシカンらしいファイトをし続けたバサンのことを忘れない。
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