セルゲイ・コバレフのまだ誰にも話していない物語。それは、奇跡であり、偶然であり、必然なのかもしれない。少し出来の悪い映画のようなストーリーなのだった。
2017年4月に34歳になったコバレフは失意に襲われモスクワに帰国すると友人達とビールやワインを楽しんだ。2週間後、故郷のチェリャビンスク州コペイースクに戻り、さらに多くの幼なじみとビールを飲み交わした。日中はスポーツにおける身体能力についての修士課程を学んでいたが、実際は学んだ事とは逆の事ばかりしていた。
コバレフ
「私は敗北でヤケクソになり落ち込んでいました。」時々、気晴らしに運転をした。1996年製のメルセデスのSクラスを自分用に10万ドルかけて改造した愛車に「クラッシャー」のステッカーを貼って走った。ある日の午後、故郷から約100キロ離れた田舎に行くために2車線の高速道路を走っていると、反対車線から前方の車を追い越そうとする車がコバレフのメルセデスに激突しそうになった。あわててハンドルを右に切ると、車は道路脇の白樺林に突っ込んだ。その時の速度は約140キロ。急ブレーキを踏んでから100メートル滑って車は停止した。
奇跡的に車は一本の木にも激突することなく林を通り抜け、停車直前、速度が落ちた時に木にぶつかった。ステアリングホイールに激突したコバレフの鼻は血まみれだったが、骨折も、靭帯の損傷も、大きな怪我は何もしていなかった。全壊の車、壊れたフロントガラス、どんなパンチよりも潰れた鼻、それをコバレフは「クラッシャーテスト」と呼んだが、彼は生き残った。
白樺の林を突き抜けている時、家族の事が走馬灯のごとくよぎった。彼が家族にしてやれた事、ボクシングに捧げた人生・・・
全壊した車からステッカーを外したので、それがコバレフの車だと気づく者はいなかった。友人に助けを借りて後の処理をした。
コバレフ
「友人は私の命の恩人です。」もちろん、友人とは人間ではなくメルセデスの事だ。
エギス・クリマスはコバレフから連絡をもらうことはめったになかった。次の試合についての相談の電話はたまにあるが、コバレフの事故については聞いていなかった。クリマスもコバレフも、次にマジソンスクエアガーデンでビャチェスラフ・シャブランスキーと戦うことになるとはこの時まだ知らされていなかった。
コバレフはこの事故を、人生を変える必要があることを示した4回目の「鐘」だと言う。最初の鐘は、2016年7月のイサック・チレンバ戦だった。試合には勝ったが酷い凡戦をしてしまった。2つ目と3つ目の鐘はアンドレ・ウォードに対する惨めな敗北だ。
そしてコバレフはある決断をした。
コバレフ
「私はギリシャに行きました。」コバレフはギリシャに観光しに行ったわけではなかった。彼の目的地はアテネ、サントリーニ島、ミコノス島ではない。この旅は美しいエーゲ海やシャンパンクルーズではなかった。
ギリシャ北東部のハルキディキ半島のメタモルフォシス。
そこはギリシャ共和国の領内ではあるが「聖山の修道院による自治国家」として大幅な自治が認められており、いわば「独立宗教国」ともいえる場所で、アトス山周辺には現在20もの修道院が所在し、東方正教の一大中心地となっている。およそ2000人もの修道士がそこで暮らしている。コバレフ
「私は心を全部入れ替えたかった。人生を全て変えたかった。何を食べ、何を飲み、何を行い、何を読めばいいのか、その瞬間から全てをやり直したかったのです。」コバレフは山頂の修道院までハイキングし、修道士に特別ビザを提示し、一晩過ごす許可を得た。コバレフが敬意をこめて「クローゼット」と呼んだ質素な部屋で鶏肉の夕食を食べて教会に行った。そこでコバレフは長老と言われる修道士に説教を受けた。彼は神に感謝し、祈り、ここを訪ねた理由を話した。
具体的に何を話したのかは秘密だが、人生の次のステップについてのヒントを得たことは明らかだ。
コバレフ
「健やかに、集中し、祈り続けました。」コバレフは午前5時まで祈り続け、1時間だけ眠り、その後さらに3時間祈った。スープとパンの朝食を食べ、生まれ変わった心で山を下りた。
コバレフ
「心が洗われた想いがしました。わたしはもうアルコールもタバコもやらない。身体を、心をケアし全てをケアします。私は今100%クリアです。」少しためらい、第二外国語の英語でふさわしい言葉を探した。
コバレフ
「I want to write a new story=新しい物語を書きたい。ベルトを取り戻したい。私はそれに値することを証明しなければなりません。」何年もの間、エギス・クリマスはコバレフとの関係が悪かった。進化も成長もなく、彼の持論の水分摂取について愚かな議論を重ねてきた。
クリマス
「いくら話し合っても無駄でした。何をいっても迷惑がられて、彼は怒って出ていくだけでした。」しかしクリマスはそれでもコバレフの26KOは紛れもない26KOであり、たとえコバレフが修道士のような生き方をしなくても(いいかげんなコンディションであっても)十分に練習し十分な結果を残したとおもっている。
ギリシャから帰国したコバレフは、デトックスセンターに行き、より健康的な食事、咀嚼(そしゃく)、正しい水分摂取を学んだ。砂糖の入った飲み物や揚げ物、アルコールを捨て、かつての敵であった野菜を受け入れた。今では毎朝オーガニックオートミールを好み、少ない食事を咀嚼(そしゃく)している。
クリマスは、コバレフが不摂生だったにも関わらず、そんなものは関係ないかのように強かったと不思議におもっているが、5年前にこのライフスタイルにしていたらどれほど強かっただろうと想像せずにはいられない。クリマスもまた、ウォードとの初戦はコバレフが勝っていたと主張するが、コバレフが以前の彼ではなかったことは認めている。
クリマス
「彼はあの時既に完全に変わっていた。そしてその理由も知っています。」アンドレ・ウォードは、9月に33歳で引退し、コバレフから奪ったタイトルを空けた。「私のベルト」コバレフが言うそのベルトの奪還の時が来た。
コバレフはカムバックのためにトレーナーを変えた。オリンピックウズベキスタン代表元監督のアブロル・トゥルサンプラトブ。彼は東ヨーロッパで多くのトップアマチュアを生み出した。3年前にホプキンスを倒したコバレフと今のコバレフを比較してクリマスはこう言った。
クリマス
「コバレフはベストの頃よりさらに良くなるでしょう。」コバレフのインタビューはこれでほぼ終わりだ。
今年の夏にタイトルと愛車を失ったが、家族もキャリアも失うことなく、健康を取り戻した。クリマス
「私とキャシーも10年前に修道院に行けばよかった。」コバレフのプロモーター、メインイベンツ社のキャシー・デュバと冗談を交わした。
コバレフ
「私はもはやクラッシャーではありません。別の男になりました。」キャシー・デュバ
「リングの中ではクラッシャーになることを忘れないでください。」コバレフが訪れた修道院にはテレビがない。彼らは決してコバレフの試合を観ることはないが、祈っている。
Krusher(破壊者)セルゲイ・コバレフがキャリアを取り戻すための戦いが近づいている。彼の心は平穏だ。少なくとも今そう思えるだけでも彼にとっては十分だ。
感動、共感という物語ではなかったが、なるほどー、だからコバレフのボクシングスタイルが変わったのだなと納得しつつ、どんなに根性や性格が悪くても、それでもコバレフは十分強かった、ずるいほどに強かった。ボクシングとはそういうものかもしれないという現実・・・
なかなか美談風な話だが、その後コバレフはビャチェスラフ・シャブランスキーとWBO世界ライトヘビー級王座決定戦を行い、圧勝で王座に返り咲くものの、エレイダー・アルバレスに痛恨の逆転ノックアウト負けを喫し引退の危機へ・・・さらに這いつくばってリベンジし、ホープのアンソニー・ヤーデを下して今に至る。
https://www.youtube.com/watch?v=caleb8vEJYg
トレーナーもさらに変え、今ではバディ・マクガートが最高だ、10年かかってやっと巡り合えたと言っている。さらには、本人は否定しているが、女性に対する暴言や暴行、セクハラ疑惑で何度も問題を起こしている。
人間、そう簡単には変わらない。
強いものは強い。敗北を味わって這い上がったものはさらに強い。
問題児が悔い改めて大人しくなったくらいに受け止めて11月2日の吉報を待つ。
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