タラレバはないが、逃げずにこういう選手と戦うことが日本ボクシングの発展に必要だったかもしれない。日本では誰も戦ったことはなくとも、恐ろしい王者であることは、みんな知っていた。
ナナ・コナドゥ(Nana Konadu、本名:ナナ・ヤウ・コナドゥ・イェボア 1964年2月15日 - )は、ガーナのプロボクサー。WBC世界スーパーフライ級王者。WBA世界バンタム級王者(2度獲得)。
ガーナのボクシングの聖地、ブコムを拠点とする他のファイターと違い、コナドゥは森林に覆われた北西部のスンヤニからやってきた。2階級で王者となり、6つの大陸で戦った。高度なスキルを持つ長身のハードパンチャーだった。
コナドゥは1985年5月5日にプロとしてデビュー。
15戦目で、セサール・ポロンコを破ってWBCインターナショナルのスーパーフライ級タイトルを獲得。1989年11月7日、WBC世界スーパーフライ級王者ヒルベルト・ローマン(メキシコ)に挑戦し、3-0の大差判定勝ちで王座を獲得。
1990年1月20日、初防衛戦で文成吉(韓国)と対戦し、9回負傷判定負けで王座から陥落。キャリア初黒星となった。バッティングによる負傷ストップだった。
https://www.youtube.com/watch?v=vJq2Lh7qpwU
1991年3月16日、文成吉とスペインで再戦し、4回TKO負けで王座返り咲きならず。
https://www.youtube.com/watch?v=4hy5iHWRa3o
1994年10月7日、元WBC世界バンタム級王者ビクトル・ラバナレス(メキシコ)と対戦し、3-0の判定勝ち。バンタム級に上げて15連勝、10連続KO勝利で世界挑戦の待機に入った。
1996年1月28日、WBA世界バンタム級王者ウィラポン・ナコンルアンプロモーション(タイ王国)に挑戦し、2回TKO勝ちで2階級制覇に成功。先にダウンを奪ったウィラポンがわずか2回で壮絶な逆転ノックアウトを喫した試合で、長谷川穂積がウィラポンを倒した衝撃に匹敵する強烈なシーンだった。
後にウィラポンが語った最も強かった相手がコナドゥだった。
「パンチも重く、体格差もあり…怖かった。」
わずか4戦目で世界タイトルを獲得したウィラポンは、その後、16戦ものキャリアを重ねて、日本で辰吉を破り偉大な王者に成長した。コナドゥに敗れてから、アフリカから選手を呼び寄せることも多かったウィラポンはこのコナドゥ戦で味わった「黒人コンプレックス」を改善する目的があったという。
1996年10月27日、初防衛戦でダオルン・チュワタナ(タイ王国)と対戦し、9回負傷判定負けで王座から陥落。
1997年6月21日、ダオルン・チュワタナと再戦し、7回TKO勝ちで王座に返り咲き。
辰吉 丈一郎(大阪帝拳)と互角以上の戦いで引き分けたアブラハム・トーレス(ベネズエラ)を2回で葬った。
1998年12月5日、2度目の防衛戦でジョニー・タピア(アメリカ合衆国)と対戦し、0-2の判定負けで王座から陥落。
1999年6月12日、元WBC世界スーパーバンタム級王者エクトール・サンチェス(ドミニカ共和国)と対戦し判定勝ち。
2001年5月12日、ダニエル・セダに敗れ引退した。
現在ガーナのスンヤニにあるニュードルマーに家族と住んでいる。
故郷のガーナでボクシング財団を立ち上げ、屋外リングを設営し、元WBAバンタム級王者の同胞、アルフレド・コティとエキシビジョンを行うなど積極的な普及活動支援をしている。
41勝32KO5敗1分
WBC世界スーパーフライ級王座(防衛0度)
WBA世界バンタム級王座(1度目-防衛0度、2度目-防衛1度)
アフリカをはじめ、途上国のボクサーに興味深いエピソードやストーリーがあるが、印象深いナナ・コナドゥについては探すことが出来なかった。WBAとWBC、47戦ものキャリアを築いたが、たった一度でさえ日本人との対戦はなかった。
それだけ、映像でみるコナドゥは軽量級のトーマス・ハーンズのごとき危険なハードパンチャーであり、畏怖された存在だったのだろう。代わりに、馬力、怪力を誇る、韓国の文成吉やタイのダオルンがコナドゥを引き受けたが、彼らもまた日本人が苦手なタイプのハードパンチャーといえた。
負傷判定に泣かされたり、強打の反面打たれ脆さも若干あったが、日本人が克服すべき存在のファイターだった。
ウィラポンが偉大な王者になれたのも、ムエタイ王者から敵なし、たった4戦目で世界王者となり、5戦目にコナドゥに痛い目にあわされた故だろう。ウィラポンにSDで負けたダオルンはウィラポンの仇をとり、すぐにリベンジされたが、彼も只者ではない強さだったことが想像できる。
日本人の天敵であったヒルベルト・ローマンやアブラハム・トーレスを破壊するあたり、記録以上にスケールのある王者といえ、完敗というのは少なかった。
”誰も戦ったことはなくとも、恐ろしい王者であることは、みんな知っていた。” Share on X