ある時期、メイウェザー自身がアレキサンダーを自身の後継者に指名した。メイウェザーは、デボンの世界が崩壊するまで対決の可能性すら示唆した。
ここにも、一寸先は闇のボクシング、人生のドラマがあった。
ケビン・カンニガム
「私はドラッグが人間にどう作用するのか見てきた。だから決して手を出さなかったんだ。」カンニガムの唯一の中毒はボクシングだ。52歳のトレーナーの楽しみは教え子を叱咤激励した後、口にマウスピースを押し込むことだ。しかしボクシングがドラッグの入り口になることもある。
2012年1月、カンニガムはマルコス・マイダナ戦に備えてデボン・アレクサンダーをトレーニングしていた。アレクサンダーはスパーリング中のバッティングで鼻を負傷した。鼻の腫れは試合を延期するほどのものではなく、アレクサンダーはマイダナをこれまでの誰よりも明確に大差判定で破った。しかし鼻の腫れは益々悪化した。医者はアレクサンダーの鼻に血栓を発見し、除去手術が行われた。
カンニガム
「これで治ったとおもったけど、デボンがジムに戻ると反射神経が落ちていた。ひどいものだった。何かがおかしいとおもったが、デボンは全然OKだ、問題ないと言い続けた。」納得のいかないカンニガムはアレクサンダーの顧問であるアル・ヘイモンに相談した。彼らはデボンをクリーブランド・クリニックに連れていき、その後メイヨークリニックで心臓の検査もしたが異常はみつからなかった。
アレクサンダーの異常(病気)はリングで現れた。2013年、彼はショーン・ポーターにベルトを奪われた。アミール・カーンにも負けた。そして50-1というオッズのアンダードッグ、アーロン・マルティネスに敗れた時カンニガムは悟った。
カンニガム
「何があったのか、俺に正直に話すまで2度と組まないとデボンに言ったんだ。」2か月後、アレクサンダーはカンニガムを自宅に招き正直に告白した。鼻の手術後に処方された鎮痛剤の中毒になっていたと。
カンニガム
「それを聞いてショックだった。デボンは薬物乱用がチームメイトに及ぼした現実をみていた。彼はビールも飲まない規律正しい男だった。」カンニガムの兄は薬物中毒者だったが、カンニガム自身はボクシングに夢中になることでその誘惑を回避していた。米軍に所属し世界各地を巡り、そこでも陸軍のボクシングチームに所属した。帰国してセントルイス警察に入隊、治安の悪い第8区で働きながら薬物と戦ってきた。
カンニガム
「私は9年間警官をしていました。1991年から92年にかけてコカインが大流行した。15歳の子供が銃弾で血まみれになって路上に横たわって死んでいる現場をみた。この地域社会を良くするために何ができるか考えさせられた。そして、トラブルに巻き込まれないようにしてくれたのがスポーツだったことを思い出したんだ。」カンニガムは市長と話し合って古い警察署の地下室の利用を許された。そこにボクシングジムを作り、セントルイス警察アスレチックリーグ(PAL)を始めた。
カンニガム
「ボクシングをきっかけにして子供達になにかポジティブな事をしてもらおうと路上から引っ張りこんできたんだ。プロボクサーになることが重要なんじゃない。道徳的価値観や労働倫理、規律と構造、集中力を身につけさせたかった。」学んだのは子供達だけではない。カンニガム自身もベン・スチュワートやケニー・アダムスなどのトレーナーに師事しコーチングのイロハ、現在のボクサーに欠けているものを教えてもらった。パンチをセットアップする方法とタイミング、ディフェンスからオフェンスの切り替え、またその逆を瞬時に行う方法を知ることは、失われた芸術であるとカンニガムは言う。
カンニガム
「現在、スローバックの技術を持っているのは、アンドレ・ウォード、ワシル・ロマチェンコ、テレンス・クロフォード、エイドリアン・ブローナーだけです。エイドリアンは全てを持っていたし自分を売り込む方法も知っている。メイウェザーの残した穴を彼が埋めると思っていたけど、リング外の規律を守らないとリングの中でも影響が出るんだ。フロイドは本当にラストモヒカン(英雄)だった。彼のトレーニングキャンプには栄養士、ストレッチの専門家、ビタミンの専門家、タエ・ボー(テコンドーとボクシング、またエアロビクスや踊りの要素を組み合わせた、ビリー・ブランクスが考案したエクササイズのひとつ)の専門家しか連れて行かなかった。これがボクシングだ。スキルとテクニックとストラテジー(戦略)に焦点を当てるべきなんだ。」
サウスポーのコーリー・スピンクスは、PALのカニンガムの愛弟子の一人だ。 アマチュアでの素晴らしいキャリアを経て、スピンクスはプロで王者となり、ウェルター級とジュニアミドル級タイトルを獲得した。
アレキサンダーもサウスポーで、7歳でPALに参加した。カニンガムの指導の下、アマチュアで300勝10敗の成績を残した。プロとして、スーパーライト級で2つ、ウェルター級で1つのベルトを獲得、マルコス・マイダナやルーカス・マティセなどを破った。
ある時期、メイウェザー自身がアレキサンダーを自身の後継者に指名した。彼は、デボンの世界が崩壊するまで対決の可能性すら示唆した。
中毒を明かしたアレクサンダーはリハビリ施設に入り8ヶ月間治療に専念、1年かけて中毒から抜け出した。トレーナーにも新しいスタートが必要だった。カニンガムは現在、フロリダの西パームビーチに住み キャンプ・カニンガムと呼ばれる ボクシング・ジムを開いた。
カンニガム
「フロリダで引退したいと思っていた。今のところ気に入っているよ。セントルイスは冬は寒すぎて、夏は暑すぎる。キャンプ・カニンガムは、世界クラスのファイターがビッグファイトのためにキャンプを行うのに最適な場所です。ビーチから3ブロック離れているが、ジムはプライベートでゲート付きだ。フロリダはフィットネスの本場だといって、みんながビーチボディを手に入れようとしている。フィットネスやコンディショニング、ストレングストレーナーがたくさんいるんだ。でも、キャンプ・カニンガムではボクシングが中心だよ。ボクシングの基本、スキルとテクニックに重点を置いている。
デボンもキャンプカニンガムの常連だよ。彼はこの秋に復帰する予定だ。二人ともこの再出発にエキサイトしている。デボンは現在のアメリカで一番の問題となっているドラッグ依存症を克服するために、多くのことを乗り越えてきた。彼は30歳とまだ若いが、ベテランのプロだ。だから、私たちはトラッシュトークや対戦相手を罵倒するために復帰するわけではない。デボンはいつどこで何をするかを教えてくれればいいだけで、私たちはパフォーマンスで話をするつもりだ。」
アマチュア300勝10敗、無敗でプロの世界王者になった時、デボン・アレクサンダーはボクシングの未来だった。
ゴリラのような体躯のファン・ウランゴを仕留めたアッパーは芸術だった。
ライバルのティモシー・ブラッドリーに僅差で敗れた試合は仕方がないにしても、マティセやマイダナにもスキルとテクニックで勝ってきたが、まさか病院で処方された薬物の依存症となってしまっていた。
その後も往年のスキルは残っているから、強豪にも接戦、勝ち負けを繰り返しビクター・オルティスやアンドレ・ベルトとは僅差の勝負になるくらいのレベルを維持していたが、昨年格下といえるイバン・ラドカッチに敗れ、厳しい状況に追い込まれている。しかし年齢的にはまだ33歳、今頂点に君臨しているテレンス・クロフォードやワシル・ロマチェンコとさほど変わらない年齢なのだ。
一度失われた輝きが再び光度を増すのは厳しい状況だが、確かに誰もが認めた、メイウェザー自身も認めた輝きがあった。
ここにも、一寸先は闇のボクシング、人生のドラマがあった。
WBCウェルター級ユース王座(防衛0=返上)
WBCアメリカ大陸スーパーライト級王座(防衛1=返上)
WBC世界スーパーライト級王座(防衛2)
IBF世界スーパーライト級王座(防衛1=返上)
IBF世界ウェルター級王座(防衛0)
アマチュア300勝10敗
プロ27勝14KO6敗1分
Warning: Array to string conversion in /home/sevenseconds/forgotten-legend.com/public_html/wp-content/plugins/wpreactions-pro/includes/Helpers/Utils.class.php on line 216