本名よりヨリボーイ・カンパスとして知られる彼は今のボクシング界にはいないタイプの猛烈タフなスラッガーだ。世界初挑戦まで56戦全勝50KO、王者は時のP4Pフェリックス・トリニダードだった。71戦目でようやく世界王者になった苦労人。というよりはリングの陽気なおっさん、怪物だった。
2019年現在、今なお引退しておらず、試合を予定している。いや、引退してるのだ、しかしまた試合が組まれるのだ。
ルイス・ラモン(ヨリボーイ)カンパスはプロで100勝以上しているほんの一握りのファイターだ。IBFスーパーウェルター級王者に輝いた強打者のメキシカンは主に1990年代後半に活躍した。
ソノラ州ナボホア、アメリカとの国境の南400マイルの場所で生まれた。兄のフランキーは州のボクシング王者だった。しかし父親は色白の(ヨリボーイの意味)息子にボクシングを禁じた。しかしボクシングはカンパスの血に通っていた。フランキーが練習していない時間にこっそりジムで練習し57のアマチュア全て勝利した。15歳でプロに転向した。
カンパスの入場は有名だ。頭飾りをつけ、枝角を身に着けた男が悪霊払いをし幸運の「ディアダンス」をしてリングに上がった。
ウェルター級でメキシコタイトル、NABF王座を獲得、56戦全勝50KOという驚異的な記録を築いた。各団体で高く評価されていたが、初めての世界挑戦は1994年9月、全階級屈指の名王者フェリックス・トリニダードが相手だった。
1994年9月17日、MGMグランド・ガーデン・アリーナ
2回に左フックでダウンを奪い先制するも4回にコンビネーションをまとめられて腰砕けになってレフェリーストップ。4回2分41秒TKO負けで王座獲得に失敗。その後2年間、カンパスは勝ち続け、WBO世界ウェルター級王者ホセ・ルイス・ロペスと対戦するも2回にコンビネーションからの左アッパーでキャリア初のダウンを奪われ5回終了時棄権した為再び世界王座獲得に失敗。
ホセ・ルイス・ロペスは当時、無名の過小評価された怪物だった。
迷うことなくスーパーウェルター級に階級を上げたカンパスは無敗の1992年米国五輪代表でIBF世界スーパーウェルター級王者ラウル・マルケスと対戦。開始早々から激しい打撃戦になり、判定では1-1の3者3様だったがショートフックを多用してマルケスの右目を塞ぎレフェリーがストップ。8回2分29秒TKO勝ちを収め王座獲得に成功。
デビューから10年目71戦目でようやく世界王座を獲得した。
これがカンパスのボクサー人生で最も誇り高き瞬間となった。アンソニースティーブンス、ペドロ・オルテガ、ラリーバーンズを相手に3度の防衛に成功するも、1998年12月12日、フェルナンド・バルガスと対戦。試合はバルガスのコンビネーションに支配され、セコンドが7回終了時棄権した為、4度目の防衛に失敗し王座から陥落。
https://www.youtube.com/watch?v=CJOcmW_WUnI
その後、4年半にわたって戦い続け、8勝2敗、オバ・カーとダニエル・サントスに敗れた。中にはクルーザー級契約で勝利したため、カンパスは重量級に興味を示したが、サントス戦はスーパーウェルター級アンダーで、無理やりの減量がみてとれた。
https://www.youtube.com/watch?v=m8rOofH5lRo
2003年5月3日、マンダレイ・ベイ・イベント・センターでWBA・WBC世界スーパーウェルター級スーパー王者オスカー・デ・ラ・ホーヤと対戦。デ・ラ・ホーヤのアウトボクシングとパワフルなコンビネーションに支配され、カンパスの顔面の腫れのひどさを見たセコンド(トレーナーのロミオ・カラッティー・シニアとジュニア)がレフェリーにストップを要請。7回2分54秒TKO負けを喫しIBFに続く王座獲得に失敗。
カンパスはこの試合がキャリア最後の世界タイトル挑戦となった。
その後も戦い続け、アクティブなまま、現在47歳のカンパスの戦績は107勝82KO17敗3分となっているが、マネージャーのジョー・ディアスによると正確には111勝17敗3分だそうだ。
12年間、カンパスと共に過ごしたディアスはカンパスの事を熟知している。
ディアス
「私が行くところはどこでも、町全体がカンパスを支持しています。旧スペイン人が暮らすナボホアでは皆が家族でそれぞれをよく知っています。そしてみんなこう言います。ジョー、あなたは正しい男を選んだ。カンパスは正直な青年です。私は12年間彼と共に過ごしました。まるで養子のようです。」カンパスはディアスの自宅でもあるモンタナ州のスリーフォークでも3年間生活し、トレーニングしてきた。かつてのコンテンダー、アンソニー・ボンサンテとの試合を最後に、およそ30年に渡るプロキャリアの幕を閉じるだろう。
ディアス
「私はカンパスにしっかり稼いで引退してもらいたい。カンパスを助けたいという投資家をたくさん知っています。みんな彼を支援したいと言っています。」現在47歳のカンパスには子供の頃からの恋人マーベルとの間に3人の子供がいる。
過去の対戦相手の数々について聞いた。
ベストジャブ ホセ・ルイス・ロペス
ジャブで私に強いプレッシャーをかけてきた。多彩な動きを持っていた。彼の勝ちだ。素晴らしいアグレッシブなカウンターパンチャーだった。私が持ってないスキルをたくさん持っていた。彼のパンチの強さが今でも忘れられないよ。
ベストディフェンス オスカー・デラホーヤ
自由奔放に動き、パンチをブロックするのが上手かった。ロペスにはそんなディフェンス技術はなかったけど彼を痛めつけることはできないんだ。強靭すぎるんだ。
ベストチン ラウル・マルケス
たくさん強いパンチを当てたけど倒すことが出来なかった。
ハンドスピード デラホーヤ
誰よりもパンチが速かった。
フットワーク ダニエル・サントス
彼がしたのは走ることだけ。あっちにいったりそっちにいったり、まるでウサギさ。
スマート フェリックス・トリニダード
インテリジェントなボクサーだ。2回にダウンを奪ったけど、戦術を変えてきた。
屈強 ホセ・ルイス・ロペス
パンチを打たれてもプレッシャーをかけ続けてくる。ロペスのパンチは誰よりも強かった。
ベストパンチャー ホセ・ルイス・ロペス
彼は経験豊富で私を全てで上回っていた。デラホーヤにはパンチ力はないよ。
ベストスキル ホセ・ルイス・ロペス
完璧なコンプリートファイターだ。パワーだけでなくスキルもすさまじかった。トリニダードの父親は息子を彼に近づけなかった。デラホーヤはアメリカのアイドルだから残酷な姿を見せるわけにはいかなかった。ロペスという狼は取り残されたんだ。
ロペスは減量とドラッグで自分のキャリアを壊したんだ。
総合 ホセ・ルイス・ロペス
圧倒的にベストは彼だ。誰も彼を倒せない。ロペスが圧倒的に強かった。
どうしてデラホーヤはロペスと戦わなかったんだい?
ロペスが最強だからだよ。
フリオ・セサール・チャベスの再来かとおもわれた脅威の戦績を積み上げたカンパスはお茶目で明るいメキシカンで結果的に第二のチャベスにはなれなかったが、不倒の男としてどんなに打たれ、顔面をボコボコに腫らしても倒れることを拒んだ。ダウンは唯一、自ら最強と評するホセ・ルイス・ロペスだけだった。ダウンはしないけど、マウスピースをよく吐き出した。トップレベルではサイズとディフェンスに難があったが圧倒的にコンパクトで強いコンビネーションを持っていた。
身長171センチ、リーチ173センチしかないのにウェルターからクルーザー級を駆け抜け、クルーザーから出戻りのスーパーウェルター級ではいつもアンダーウェイトという減量が滅茶苦茶で強烈なキャラクターだった。
こんな猛者はアマチュアエリート主体の現代、未来にはもう出て来ないだろう。タフすぎるボクシングキャリアを築いたカンパスの原点は、父がボクシングをさせないほどのヨリボーイ(色白)だった。
そんなカンパスが認める男、ホセ・ルイス・ロペスこそ、裏番付最強の真の怪物だった。パッとせず消えた第5代WBO世界ウェルター級王者だが、当時化物的な強さだったアイク・クオーティーの勢いをピタリと止めた。引き分けだがロペスの試合だった。
恐ろしいほどの風格と底知れぬ強さを備えた男だったが日の目をみることなく静かに消えた。
ホセ・ルイス・ロペス
彼こそ、フリオ・セサール・チャベスと双璧をなすメキシコの巨人たりえたかもしれない。
https://www.youtube.com/watch?v=280GoVIEuvg
10分10秒 6ラウンドの猛攻 46分45秒
恐ろしや~
おまけ・・・
引退試合・ボンサンテ戦
2016年1月23日、モンタナ州ビュートのシビック・センターで1990年7月21日に地元のプロモーターがイベントを開催して以来約26年ぶりとなる同会場での試合で「バトル・オブ・ザ・エイジス(中年ファイト)」のイベントでメインイベンターとしてプロ生活29年の引退試合。アンソニー・ボンサンテとスーパーミドル級契約10回戦で対戦。幾多の選手に引導を渡している相手だった。ここ2試合でKO勝ちを収めているため、全盛期には驚異と言われたショートフックの打力が完全復活。その効果が5回にダウンを奪う形で成果が出るも4回以降からボンサンテの執拗なホールディングとプッシングを繰り返され、最終的にカンパスが投げられる形になり7回失格勝ちを収め29年の現役生活に別れを告げた。なおカンパスは負傷しながらも試合後に即席で会見を開き、今後は故郷ナボホアでジムを開いてトレーナーをやりたいと語り、試合後ボンサンテが「引退試合で悪いことをしてしまって申し訳ない」と直接謝罪を受けたと明かした。今まで戦った相手で強い選手との問いで「1番強かったのはホセ・ルイス・ロペス。プレッシャーをかけられてなすすべがなかった。ロペスのコンビネーションはどうにも出来なかったね」と話した。試合後の27日にマネージャーとトレーナーを兼任するディアスが会見を開いた。まず反則行為を繰り返したボンサンテに無期限の出場停止処分と罰金を支払う処分が言い渡された事を口にした。その後カンパスの怪我について言及した。カンパスは度重なる反則を受けた代償で右膝と右足の靱帯の一部(膝も含む)を切った他、首が曲がらないなど全治6ヶ月の重傷を負い手術はせず薬品投与で治療を受けていることを明かした。
2016年6月8日、プロデビューから2002年まで15年間カンパスのトレーナーを務めたホセ・モラレスが死去。
2年ぶりの復帰引退試合・ファレス戦
2018年3月16日、故郷ナボホアのチャンチャ・ムニシパルで2年ぶりの復帰戦が母国での正式引退試合として元WBAアメリカ大陸ウェルター級王者ジョー・ファレスと対戦、4回TKO勝ちを収め32年の現役生活を正式に別れを告げた。
でもまだ引退していない。