勝者の痛み/(アイス)モンテル・グリフィン

当時浅はかなボクシングファンであった自分にとってのモンテル・グリフィンは、ロイ・ジョーンズ・ジュニアに初黒星をもたらした男ではあっても、ラッキー以外なにものでもなく、再戦であっさり負けた弱い男という認識だったが、ロイ・ジョーンズ・ジュニアに挑戦すること自体がトップクラスでなければ叶うものではなく、その他のキャリアをあっさり見逃していました。懺悔です。

当時、もう一人のヒーローだった、ジェームズ・トニーには2勝無敗、確かなる実力をもった偉大なファイターだった。

長年にわたり多くのファイターが全力を尽くし、偉業を成し遂げながらも、人々に忘れ去られたり、軽視されることがある。ジェームズ・トニーとロイ・ジョーンズ・ジュニアは誰もがしっている人気者だが、彼らと誰よりも密接に関わってきたにも関わらず、その実力に値する輝きを得られなかったファイターがいる。

20年に及ぶキャリアの中でモンテル・グリフィンは絶え間なく同世代のライトヘビー級のベストと対戦することを考えてきた。グリフィンはわずか170センチのライトヘビー級だったが、90年代後半から2000年代にかけてライトヘビー級の中心人物としてほぼ全部のベストファイターと戦った。

グリフィンは幼少時代からボクシングに親しみ、少年時代のヒーローと友達になる時間をみつけた。

グリフィン
「私の父は1910年代の世界バンタム級王者ジョニー・クローンからウィンディボクシングジムを買った。当時、シカゴのハイドパークに住んでいたモハメド・アリが近所に住んでおり、父と仲良くなりました。アリは私たち家族を家に招待してくれました。私はジムで好きなだけ練習し、モハメド・アリと話せる素晴らしい環境にいました。」

しかしグリフィンが12歳の時父親が亡くなり、母はグリフィンにボクシングを禁止した。ボクシングと縁のないティーンエイジャーになったグリフィンだが、20歳の時にボクシングを再開した。

グリフィン
「アマチュアでアメリカのベストといわれるライトヘビー級の選手をみんな倒しました。ジェレミー・ウィリアムズ、テリー・マクグルーム、ジョン・ルイス(後のヘビー級王者)らを倒し、1992年のバルセロナオリンピック代表になりました。

22歳で出場したオリンピックが人生最高の思い出です。ボクシングを超えたドリームチームと一緒にいました。カール・ルイス、マジック・ジョンソン、スコッティ・ピピン、パット・ユーイング、チャールズ・バークリーなどのトップスターと会う機会もありました。

トルステン・マイ(金メダリスト)に勝ったけど勝利を奪われました。俺は彼の目を切り裂いた。試合はストップされるべきだった。」

オリンピックでベスト8止まりだったグリフィンはさほど注目を集めることなく1993年静かにプロに転向した。

数戦勝ち続けるとマネージャーがグリフィンをワシントンDCに連れていき、伝説のトレーナーエディ・ファッチにみてもらった。3階級王者、マイク・マッカラムとのスパーリングをみたファッチはグリフィンをチームに加えた。

グリフィン
「素晴らしい経験でした。彼はジョー・ルイス(伝説のヘビー級王者)と共に過ごし、ジョー・フレイジャー、ケン・ノートン、ラリー・ホームズ、マイケル・スピンクス、リディック・ボウ、マイク・マッカラム、マーロン・スターリングのトレーナーとしても有名でした。私がトレーニングするに値すると言ってくれた以上の誉め言葉はありません。」

グリフィンはモハメド・アリと過ごした時期があり、ファッチはフレイジャーやノートン(アリのライバル)をトレーニングした。そんな彼らの会話は興味深いものになった。

グリフィン
「私たちは常に誰がベストだったか話しあいました。ファッチはアリには2勝したけど5敗した、2勝5敗ではダメだねと笑いあったものです。」

ファッチのトレーニングにより進化したグルフィンはベテランのデビッド・ベッダー、レイ・ラソンの無敗記録を破り、ジェームズ・トニーとの対戦にたどり着いた。

グリフィン
「3か月前、トニーがロイ・ジョーンズに負けるまで彼は無敗のパウンドフォーパウンドのファイターでした。私は大きなアンダードッグでしたが自信がありました。スタイルが試合を作る。私がオリンピアンであった1992年にトニーとスパーリングした事があります。私はアマチュアで彼は2階級の世界王者でした。マネージャーがトニーと戦うかと聞いた時私は答えました。今は1995年だ。今なら彼を凌いでいると。」

1995年2月18日、15戦目のIBFインターコンチネンタルライトヘビー級王座決定戦でジェームズ・トニーと対戦し、12回判定勝ちで王座を獲得。

ジェームズ・トニーに勝ってもモンテル・グリフィンの名前はブレイクしなかった。

グリフィン
「あの試合が過ぎてもまだトニーはビッグスターでした。彼はTVの常連で、私がTVで中継されたのは1回だけでした。」

小柄で無名のグリフィンは時間をかけて評判を確立していった。リディック・ボウVSアンドリュー・ゴロタの前座でマシュー・チャールストンを破り名を売ったりした。

グリフィン
「地道に頑張っていきました。マイク・マッカラムとWBCの試合の話がありましたが、エリミネーター戦でした。ジェームズ・トニーから再戦のオファーがあって私はこの話に飛びつきました。」

96年秋、「アイス」は再びトニーを破った。

グリフィン
「トニーと再戦するまで共に10戦以上キャリアを積み重ねてきましたが、私の経験の方がよかったのでしょう、初戦より楽に勝つことができました。トニー戦の秘訣は彼がファイトしたくない時に攻撃を仕掛けることでした。フォー、ファイブまでコンビネーションを打ちますが、いつもトニーを捉えるのは最後のパンチ、フォーかファイブのパンチでした。彼との試合は完遂できました。」

グリフィンは遂にWBCベルトをかけて、最強の呼び声高いプライムタイムのロイ・ジョーンズ・ジュニアに挑む権利を掴んだ。

1997年3月21日、ニュージャージー州アトランティックシティのトランプ・タージ・マハル。27戦目でWBC世界ライトヘビー級王者ロイ・ジョーンズ・ジュニアに挑戦。ロイ・ジョーンズとモハメド・アリの新しい友情に試合の焦点は当てられていたが、ファッチとグリフィンは偉大な先輩ケン・ノートン(アリの顎を砕いた男)に倣うことでジョーンズの中の「アリ」を探していた。

グリフィン
「私とファッチはジョーンズの弱点を調べ、いいゲームプランをたてました。試合展開も計画通りでした。8ラウンドが特によかったとおもいます。9ラウンドに私がミスした。ジョーンズの右をブロックする代わりにキャッチしようとおもった。その時ジョーンズのパンチが後頭部に当たりました。私はフラフラになりました。そして膝をついて休もうとしたのです。ノックアウトを諦めて残りの3ラウンドをとって判定で勝とうとおもっていました。

膝を折って上を見上げるとジョーンズがさらに殴ってきました。レフリーに抗議しようとしたらさらに左フックを打たれて朦朧としてしまいました。予期しないパンチだったからです。しかし私は意識を失ってはいません。神に感謝します。ダーティーパンチでした。私は失格勝ちになりましたが、そのような結末は望んでいませんでした。まだロイを倒せる、フェアに戦えるとおもっていました。」

週末のコンベンションでは、他団体王者のネート・ミラーとマイケル・ナンが言った。
「気にするな、お前の勝ちだ。ロイがイライラして反則したんだ。自分を恥じるな、お前がチャンピオンだ。」

ファッチは次にスーパーミドル級王者、スティーブ・コリンズとの試合を用意したが、グリフィンはロイ・ジョーンズとの再戦を選んだ。再戦にエディ・ファッチはいなかった。

1997年8月7日、ロイ・ジョーンズ・ジュニアと再戦。右を使わずほとんど左で試合をコントロールされて開始早々18秒左フックでダウンを奪われると、最後は左アッパーでダウンを奪われレフェリーがカウントアウト。初回2分31秒KO負けで王座から陥落。

グリフィン
「5分のウォームアップができなかった。控室がなかったんだ。時間をかけて準備するかわりに、私は初回KOでロイ・ジョーンズに負けたという事実を受け止めて残りの人生を生きねばなりません。」

その後グリフィンは2年間で11勝し、1999年8月28日、WBO世界ライトヘビー級王者ダリユシュ・ミハルチェフスキに挑戦、4回2分59秒TKO負けを喫しWBO王座の獲得に失敗。

グリフィン
「私は試合を支配していました。数発打たれただけでジョー・コルテスがいきなり試合を止めてしまいました。私は倒れず、傷つけられてもいませんでした。」

グロフィンはその後も勝ち続け、2003年、ロイ・ジョーンズ・ジュニアの王座返上に伴い空位となったWBC世界ライトヘビー級王座とロイ・ジョーンズ・ジュニアの王座剥奪に伴い空位となったIBF世界王座を懸けた一戦でアントニオ・ターバーと対戦し、0-3(106-120、106-120、106-120)の判定負けを喫した。

その後もキャリアを継続するも勝ち負けを繰り返し、2008年にボクシングから離れた。しかし2011年に再起し自身の節目である50勝目を達成した。

通算戦績50勝30KO8敗1分

2005年にラスベガスからシカゴに戻り地元で保安官として働いた。結婚して4人の子供がいる。スポーツが大好きで、毎週火曜日のWAONRADIOでアイススポーツという番組を担当している。コメディアンとしても活動している。

ライバルについて

ベストジャブ アントニオ・ターバー

キャリアを通じて美しいジャブに会ったことはありません。相手のジャブを無効化するのが(小さい)私の仕事だからです。ロイ・ジョーンズ・ジュニアはジャブを打たなかったしトニーもジャブを有効に使うことはできなかった。アントニオ・ターバーのジャブが距離とリーチという点で厄介だったといえます。

ベストディフェンス ジェームズ・トニー

ジェームズ・トニーが一番です。ロイ・ジョーンズ・ジュニアはディフェンスが上手いファイターではなかった。速いファイターです。トニーはロイよりはるかに基本に忠実で優れたファイターでした。トニーは178センチでそんなに背が高いファイターではなく、クラウチングスタイルでアゴをよく締めてパンチを吸収するのが抜群に上手かった。

ベストチン トニー

彼は一度もノックアウトされたりストップされたことがありません。ダウン、フラッシュダウンがある程度です。ミドル級からヘビー級で戦って誰も彼を止めることができなかった。

ハンドスピード ロイ・ジョーンズ・ジュニア

他に比較できる者がいません。私はフロイド・メイウェザーともスパーリングしました。ロイより25ポンド軽くスピードが売りの選手です。確かに速かったけどパンチはみえてブロックできました。ロイのパンチが人生で一番速かったです。

フットワーク ロイ・ジョーンズ・ジュニア

たぶんロイでしょう。彼はそんなに動かなかった。足より手の方が速かった。それでも彼は必要に応じて動くことができた。私が戦った多くのファイターは一か所に立ってほとんど動かなかった。ターバー、トニー、フリオ・ゴンザレス、グレン・ジョンソン・・・その中ではロイがもっとも足が速かった。

スマート トニー

トニーは罠を仕掛けるのです。フォー、ファイブと軽いパンチで相手を安心、油断させるのです。傷つけるようなパンチはないとみせかけてハードショットをセットアップしてくるのです。賢いファイターでした。

屈強 レイ・ラソン

14戦目で戦った男です。生涯誰よりもフィジカルが強かった。別格でした。別に特別な事は他にないのですがトップシェイプでした。

ベストパンチャー レイ・ラソン

間違いなく彼です。私はヘビー級ともスパーリングしてきました。ハシム・ラクマン、ラモン・ブリュースター、サミュエル・ピーターなど。でもラソンほどのハードパンチャーは誰もいませんでした。

ベストスキル トニー

彼はビル・ミラーにトレーニングされていました。オールドスクールスタイルです。いろんなトリックを持っていた。ショルダーロール、アゴの防御は完璧で、ヘッドムーブも素晴らしい。とても慎重に対処しないとアイラン・バークレーがやられたようにすぐ引き離されてしまいます。私もトニーと同じスリックなファイターでより積極的で速かったからなんとか勝てたんだとおもいます。

総合 ロイ・ジョーンズ・ジュニア

神が彼にとてつもない運動能力を与えたという点でロイと言わねばならないでしょうが、ボクシングの本質的な部分においてはトニーと言うでしょう。

身長170センチのライトヘビー級は誰にとってもタフでやりにくい相手だっただろう。彼が12歳でボクシングを中断せずにいたら、もっとシェイプされた姿で軽いクラスで偉大な王者になったかもしれない。

他の試合の選択肢もあったのに、ロイ・ジョーンズ・ジュニアとの再戦を選んだのは本物の漢だ。再戦は完敗だが初戦はいい試合だった。

私は初回KOでロイ・ジョーンズに負けたという事実を受け止めて残りの人生を生きねばなりません。

あまりにあの試合だけで集約、総括されそうなキャリアは悲しい。
もっと見直し、評価すべき王者だった。

そして、こういう振り返りをやっていると出てくる知らない男たち

屈強とベストパンチャーで出てくる

レイ・ラソン(Ray Lathon)という男はグリフィンに負けるまでほぼパーフェクトレコードで、結局23勝21KO1敗というキャリアで終わっている。麻薬を巡る抗争で撃ち殺されたそうだ。優秀なアマチュアでサミュエル・ピーター以上の強打者・・・

活躍を見届けたかったな。

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