これから何度も書くことになるとおもうが、40歳でキース・サーマンに勝利した偉大な功績を称えて、かなりザックリですがマニー・パッキャオの足跡を辿る海外記事を紹介します。
現在40歳のマニー・パッキャオは、無一文から大金持ちになったサクセスストーリーのシンボルとして世界のスポーツ界で称賛を獲得した。
若い頃、パッキャオはフィリピンのジャングルの小さな小屋で育った。とても貧しく満足に食べることも困難だった。プロボクサーになると誓い15歳でマニラ行きの船にのったパッキャオは、ジムで練習する以外は野宿していた。
現在パッキャオはフィリピンの上院議員で大邸宅に住み、2022年までに大統領になることを期待されている。
貧困
2億ポンド以上を稼ぐ前のパッキャオは両親、姉妹、2人の弟と共にジェネラルサントスシティから30マイルほどの場所にあるココナッツ畑と密集したジャングルに囲まれた一部屋しかない小屋で暮らしていた。
父のロザリオは1日に70本の木に登ってのココナッツを採取して売り、家族を養っていたが稼ぎは十分ではなく、マニーと兄弟は食べずに何日も過ごした。茶碗一杯の米さえ手が届かなかった。
ロザリオ
「マニーが子供の頃は私たちの生活は大変でした。ほとんどバナナか根菜しか食べれませんでした。時々、稼ぎがあった時だけお米を食べることができました。今は食べたいものを何でも食べれるようになりました。」運命の閃き
そのような逆境からマニーは形成された。
9歳の時は貧乏をからかわれ周囲にいじめられた。弟のボビーが、「貧乏で汚らしい」といじめられているのを見たパッキャオはいじめっ子を左パンチで倒した。ボクシングは明らかにパッキャオの血に通っていた。1990年、東京でマイク・タイソンがジェームズ”バスター”ダグラスに衝撃的なノックアウト負けをした瞬間が突然訪れた運命の閃きだった。
パッキャオ
「あれが私の人生を永遠に変えました。私はボクサーになる、アンダードッグでも勝者になれる唯一の手段だと。」新たな情熱
新たな情熱に夢中になったマニーは学校を中退し、12歳の時にボクシングを始めた。マニーは埃にまみれた南フィリピンの都市ジェネラルサントスに住む叔父サルド・メジアの平屋に引っ越した。
メジア、このボクシング狂にしてボクシング未経験で口先だけの(armchair experience)叔父こそがマニーの最初のトレーナーとなった。
パッキャオ
「サルドは私が自分の大好きな趣味を共有したことをとてもうれしくおもったようで、私たちはきちんとしたトレーニング理論など知らなかったけど、いつかチャンピオンになるんだと真剣に考えていました。」しかしメジアの本心は違っていた。
メジア
「マニーがボクシングをはじめた時は筋肉もなくガリガリだったので、ボクサーになれるとはおもわなかった。半年間トレーニングしてやっとこの子は世界チャンピオンになれると自分に言い聞かせたのです。マニーは自分を律することが出来、何事も素早く吸収した。いつも練習して毎朝4時に起きて走っていた。マイク・タイソンのビデオを借りてきて、熱心に研究してはそのテクニックを素早く取り入れていた。マニーの母親は息子がボクサーになるのは反対で聖職者になって欲しかった。けれどマニーが母親を説得したんだ。貧しくて進学できないからボクサーになるんだって。」
密航者
15歳になるとパッキャオは南フィリピンで最高のジュニアボクサーとしての自己を確立した。ジェネラルサントスシティの野外公園で行われる大会に参加し目の前の敵をみな倒した。時にダバオに行き、そこでも経験豊富な相手と実戦を重ねた。
しかし、大志を抱く青年にはそれだけでは物足りなかった。マニーの潜在能力を引き上げるにはもっといい環境やトレーナーが必要だった。
パッキャオは5人の子供を育てる母親の負担を軽くするため、マニラ行きのボートにこっそり忍び込んだ。厳しいトレーニングの傍ら、パッキャオは食うために働きながら16歳でプロになり、その偉大なキャリアを開始した。
記録破り
「パックマン」は8階級で世界王者になり、メジャー団体で12個のベルトを獲得した唯一のファイターだ。5階級で決定戦ではなく時の王者を破り新王者に輝いた唯一のファイターでもある。
HBOのような巨大ネットワークに欠かせぬスターになり、年間約1960万人がパッキャオのPPVを購入した。PPVで放映された23試合からの収入は約10億ポンドに達する。
キャリアの晩年を迎えた今も引退する気配すら示さない。
パッキャオ
「私はボクシングが大好きなのです。情熱がなくなるまで、神、家族、ファン、国家のために戦い続けます。」信じられないほどの富
ボクシングを通じ、パッキャオは莫大な財産を築いた。故郷にある大邸宅以外にも、LA(ビバリーヒルズとハンコックパーク)、ラグーナにアメリカの住居がある。
パッキャオの本拠地はマカティ市のフォーブス公園にある3階建てのホテル風で王家のような佇まいの家だ。
脳へのダメージの懸念
キース・サーマンに対する試合はパッキャオにとって久しぶりにオッズで不利と言われる戦いだ。(実際にはパッキャオ有利に変わった)元プロモーターのボブ・アラムはもうパッキャオはリングに足を踏み入れるべきではないと考えている。脳へのダメージを恐れているのだ。
ボブ・アラム
「パッキャオの勝利を願ってやまないが、他のボクサー同様、ある年齢に達したらもう戦って欲しくない。年をとるにつれて、頭蓋骨は薄くなっていきます。若い時は厚い頭蓋が打撃を吸収するが、歳をとると傷つきやすくなるのです。マニーにそんな事が起きてはならない。世界の損失、最悪の事態です。」マニーの妻、ジンキーも、何度も引退を勧めたが今ではもう諦めている。
政治とともに
パッキャオは2007年に最初に選挙に出たが落選、その後当選し2期連続で議員を務め、2016年には上院議員に選出された。フィリピンの舵を握る24上院議員のうちの1人となっている。
しかしパッキャオの政治家としてのイメージは必ずしもクリーンなものではない。
パッキャオは現大統領のロドリゴ・ドゥテルテの支持者であり、ドゥテルテは麻薬戦争を巡り4000人以上を殺害した首謀者として世界中から非難されている。
同性愛を嫌悪し同性愛者を「動物にも劣る存在」という発言をしている。パッキャオはこの発言の謝罪を余儀なくされたが同性愛者の結婚には反対の信念を貫いている。
それでも2022年の大統領選挙で、この伝説のスターが大統領に就任するという予測がある。
パッキャオが人生で成しえてきたことを考慮すれば、彼ががキース・サーマンに勝利すると賭けるように、いつの日かフィリピンという国を統治する男になると賭けてもよさそうだ。
プロでの足跡を大きく端折った内容でしたが、貴重で豊富な写真と共に、壮大なパッキャオの一部に触れる記事として紹介しました。
マイク・タイソンVSジェームズ・ダグラスを見て決めた、アンダードッグでも勝者になれる・・・という事はパッキャオはダグラスに感化されたのか・・・
いや、タイソンだろうな。
これはレドワバを破った時の写真だとおもうけど、トランクスのパッキャオの文字は手書きやん。
Warning: Array to string conversion in /home/sevenseconds/forgotten-legend.com/public_html/wp-content/plugins/wpreactions-pro/includes/Helpers/Utils.class.php on line 216