堕ちた韓国、翻す日本ボクシング、しかしこの巨人達を超えることが過去の清算、新たな道となる。
柳明佑は韓国でベストボクサーの一人です。6年間に渡る17度の防衛記録は未だこの階級のレコードです。
韓国のソウルで生まれた柳は6人兄弟で裕福ではなく平凡な少年だった。
柳
「父はバスの運転手で裕福ではありませんでした。しかし何か野心があるわけでもありませんでした。」14歳でボクシングに出会うまで、あらゆるスポーツを経験しました。ボクシングはヘビー級の黄金時代に魅了されました。
柳
「アリやフレージャー、ケン・ノートンなどの試合に魅了されました。」1勝3敗という短いアマチュアを経て1982年にプロボクサーになりました。
柳
「アマチュア時代は友人と遊んだり、あまりボクシングに熱心ではありませんでした。プロになってから真面目に取り組みました。」最初の13戦全て判定で勝ち(KOなし)、エドウィン・イノセンシオ(フィリピン)を3回KOに降し最初のタイトルを獲得しました。(東洋太平洋)無敗のまま19戦目に母国でWBA世界ライトフライ級王者ジョーイ・オリボ(米国)に挑み、15回スプリット判定勝ち。世界王座奪取に成功しました。
驚くことではないがこの試合が、柳にとって最も誇らしい瞬間であったと言います。
柳
「世界の全てを手に入れたような気持ちになりました。オリボにパワーはあまりありませんでしたが、クロスレンジで何でもできる技巧派でした。この試合に全力を注ぎました。地元での試合でしたが、判定に期待していませんでした。私の勝利がコールされ、驚きました。」80年代”ソナギ”(降りだしたら止まらない雨のような連打)と言われた彼は韓国で元、先の王者5人を含む17度の防衛をしました。
(マリオ・アルバラート・デマルコ、ロドルフォ・ブランコ、レオ・ガメス)1991年、全キャリアで初の海外となる試合で日本の井岡弘樹にスプリットで敗れた。
柳
「敗北を受け入れるしかなかった。その夜は勝利の意欲に欠けていました。」翌年に井岡との再戦を制し、偉大さを示した。
柳
「とても重要な事でした。再戦にあたり、スタミナを強化し地獄のトレーニングを消化しました。自信がありました。試合の序盤から井岡をコーナーに追い詰めることができ、作戦は成功しました。」1993年、細野雄一に勝って29歳で引退しました。生涯戦績は38勝14KO1敗
様々な問題や一部ファンの反対もあって、母国のもう一人の巨人、張正九との統一戦はついに実現しませんでした。
柳
「彼と戦いたかったけど韓国の様々な状況のために実現できませんでした。」多くのファンは試合を望んだが、両者のTV局が違っていたため、プロモーションがうまくいきませんでした。現在2人は良い友人で、2人の戦いが韓国の歴史において最大の戦いであったと信じています。
柳は2013年に国際ボクシングの殿堂入りを果たしました。
柳
「やりきったとおもいます。自分の業績を誇りにおもいます。」現在54歳の柳は結婚し2人の子供に恵まれています。レストランを経営し、選手を指導したり、映画や様々なスポーツイベントを楽しんでいます。
10個の質問をしてみました。
ベストジャブ ジョーイ・オリボ
パワーも正確性もイマイチでしたが、距離感が上手くててこずりました。
ベストディフェンス ジョーイ・オリボ
アゴが弱そうでしたが、ボクシングセンスがすごくてガードも固かったです。
ハンドスピード ホセ・デヘスス
パンチが速いだけじゃなくパワフルでした。今まで経験したことのないパンチでした。
フットワーク ジョーイ・オリボ
手足が長くて攻防センスがあってとてもスキルフルでした。
タフネス マリオ・アルバラート・デマルコ
太い首と強靭な肉体でした。どんなに連打しても吸収してしまいました。
スマート レオ・ガメス
危機管理能力が高く、どんな状況にも対応してきました。
強靭さ マリオ・アルバラート・デマルコ
彼とは2回戦いましたが、フィジカルパワーがすごくて打っても打っても立ち向かってきました。
ベストパンチャー ホセ・デヘスス
このクラスのボクサーのパンチではなかったです。彼の左パンチは相手の鼓膜を破るパワーでした。
スキル ジョーイ・オリボ
派手さはないのですが、攻防よどみなく、シンプルでクレバーでした。ジャブも正確でした。
総合 ジョーイ・オリボ
強い相手はたくさんいましたが、総合的には私にとって最高のボクサーは彼でした。
17度防衛という金字塔を誇る韓国の柳の記録は未だ日本人の高い壁に君臨していますが、敵地防衛が一度もないことを「アンバン(奥の間)チャンピオン」「アンバンの虎」と非難され続けた経緯もあります。韓国ボクシングが元気だった最初のレジェンドにして最後のボクサーといえるかもしれません。
生涯唯一負けた井岡の名前がジャブの名手にも出てこないのはプライドでしょうか。
もう一人の巨人、張正九も具志堅を超える偉大な記録の持ち主ですが、晩年にはウンベルト・ゴンザレスやチタラダ、ムアンチャイに負けました。私のボクシング観戦の原点にあるような2人のキャリアですが、おもえば彼ら以後の軽量級がもう一段レベルを上げた歴史の転換期であったとおもいます。
マイケル・カルバハル
ウンベルト・ゴンザレス
リカルド・ロペス
ユーリ・アルバチャコフ
その後のボクサーといえる彼らにより魅力を感じていました。
しかし、柳のキャリアは見習うべきものが多いことも事実です。アマキャリアはないに等しく、タイトル獲得までKOはひとつもなく、どうみても非力で不器用な小柄なファイターにしかみえませんが、努力と根性で殿堂入りの名王者にまでなりました。欠けた部分をスタミナと連打、精神力で補って、世界戦レベルでKOを増やす奇跡をやってのけました。
どんなボクサーにも可能性がある事を体現してくれました。
そして、柳と張の引退と共に韓国ボクシングは衰退の一途をたどることになります。もうこれ以上の王者が出てくることもないだろう。
それは、昨今の日本のアマチュアボクシングの腐敗に重ねてみることもできます。韓国も同様に腐敗構造は明確に存在していますし、享楽の時代に正しくボクシング文化や魅力を若い世代に継承しないと、こんな過酷なスポーツの未来、舵取りは難しいという教訓のようでもあります。
柳明佑と張正九
日本に対するライバル心と執念が生み出した時代の寵児のような2人の巨人・・・
いつかこれを超えるレジェンドを日本も輩出していかねばなりません。
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