パッキャオにもドネアにもなれなかった男/(イーグル・アイ)マルコム・ツニャカオ

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人生の筋書きは映画のようにはいかない、あるいは映画よりも複雑だ。
サムライ(日本刀)はボーロ(大型ナイフ)よりもずっと鋭い。

マルコム・ツニャカオ(Malcolm Tuñacao、1977年12月8日 – )は、フィリピンのプロボクサー。セブ州マンダウエ出身。元WBC世界フライ級王者。第38代・第41代OPBF東洋太平洋バンタム級王者。スタイルはサウスポー。2010年より真正ボクシングジム所属。

実兄であるノエル・ツニャカオも元ボクサーで井岡弘樹が持つ世界王座挑戦やイヴァン・カルデロンと対戦した経歴を持つ。

マルコム・ツニャカオがフィリピン唯一の世界タイトルを獲得してから12年が経過したが、あの夜の記憶は少しも色あせていない。

2000年5月、セブ島マンダウエ市出身の彼がWBCフライ級のメッドグン・3Kバッテリーと対戦。ツニャカオはまだ23歳で、プロ10戦しか経験がなく、メッドグンの国タイは初めての海外での試合だった。

メッドグンはフィリピン人、正確にはマニー・パッキャオを倒してタイトルを獲得しており、この試合に向けて20勝0敗の無敗を誇っていた。しかし、ゴングが鳴ると、ツニャカオの優れたスピードとサウスポーからのストレートが何度もヒットし、第7ラウンドでメッドグンをノックアウトし。当時フィリピンで唯一の王者となった。

ツニャカオ
「自分でも予想外だったから勝った時は泣いたし、ハイな気分になった」

現在35歳のツニャカオは言った、現在の戦績は31勝19KO2敗3分

ボクシングの頂点に立ったツニャカオの栄光の瞬間は短いものだった。1年も経たないうちに、新進気鋭のポンサクレック・ウォンジョンカムに1回ノックアウトでベルトを譲った。ウォンジョンカムは殿堂入りを果たすまでその後10年間王座に君臨した。

ツニャカオにとって、この10年は終わりのないチューンナップと世界タイトル復帰への欲望に悩まされてきた。

ウォンジョンカム戦以来1度しか負けておらず、リング誌では同階級で6位と評価されているにもかかわらず、ツニャカオは世界タイトル再挑戦の機会を得ていない。しかし、土曜日に神戸のセントラルジムでメキシコのクリスティアン・エスキベルを破れば、WBCバンタム級王者、山中慎介(17勝12KO)の挑戦者となる。

日本の真正ジム、山下正人と契約した後、2009年に日本に移籍してきたツニャカオの本拠地である日本での試合となる。ツニャカオはトレーナーであり、幼馴染のエリベルト・ゲホンを連れてきた。

日本に住むということは、元王者の長谷川穂積や名城信男と一緒にトレーニングをすることを意味すると同時に彼の2人の息子デイブ(13歳)とマルコム・ジュニア(11歳)、そして16歳の娘シャラリンから離れることも意味する。

ツニャカオ
「家族から遠く離れているのはとても辛いことだけど、家族のためにやっているんだ。新年を祝うために家族を訪問する予定だ。子供たちがいなくて本当に寂しい。私は非常に長い間待っていました、これは再び世界チャンピオンになるチャンスです。この戦いに勝つために最善を尽くします。」

——————

2012年12月22日、神戸市立中央体育館、長谷川穂積の前座で山中慎介と対戦経験があるクリスチャン・エスキベル(メキシコ)とWBC世界バンタム級挑戦者決定戦を行った。山中が観戦する中、序盤から相手をコントロールし、7RTKOにて勝利。山中への挑戦権を獲得。

https://www.youtube.com/watch?v=iRUiAnxz4IA

2013年4月8日、両国国技館にてWBC世界バンタム級王者山中慎介と対戦し、3回に2度ダウンを喫し、6回には山中の左で右目尻をカットし、12回に3度目のダウンを喫し、立ちあがったが、12回1分57秒レフリーストップによるTKO負けを喫し2階級制覇に失敗。

2015年9月16日、フィリピンで同棲中の女にボーロ(大型ナイフor鉈)で切りつけられ意識不明の状態で集中治療室に担ぎ込まれた。ツニャカオが別の女と浮気をしていたことが発覚し喧嘩になった後、早朝にツニャカオの寝込みを襲ったして、女は殺人未遂容疑で逮捕された。

その後

(イーグル・アイ)マルコム・ツニャカオは浮気の嫉妬からセブ島で同棲していた女性に大型ナイフで何度も刺され、生命を彷徨っていたが奇跡的に回復し現在は日本人のガールフレンドと一緒に生活している。

38歳の元オリンピックメダリスト候補は、頭部に3つの傷跡が残り、背中や左手にも創傷が残っている。薬指は切断された。セブ島の病院のICUに2週間隔離され、手術、入院をした。傷が動脈に至らなかったことが不幸中の幸いだった。

ツニャカオは今でも怪我と後遺症のトラウマがある。

ツニャカオ
「日本でトレーナーとしてのキャリアを再開しようとおもいますが、1年間のリハビリが必要です。」

ツニャカオは、タランバンのナシピットにあるALAジムで育ったファイターだ。実兄のノエル・ツニャカオもボクサーだった。

マルコムは、2000年のシドニーオリンピック出場を目指して、当時最も期待されていたアマチュアボクサーだった。1997年から1998年までナショナルユースボクシングチームのメンバーであり、アジアユース選手権やキューバで開催されたワールドユース選手権にも出場し、フライ級で金メダルを獲得した。

シドニーまでの2年間は、当時18歳だったマルコムにとって長すぎ、ホームシックになり、マニラでのトレーニングに飽きてしまった彼はセブに戻ることを決意し、有名なALAジムに所属してプロのファイターになった。

1998年8月1日、マンダウエ市でマヌエル・ファレゴをノックアウトし、印象的なプロデビューを果たした。その後、10連勝を記録し、23歳の若さで世界王者に輝いたが、タイのピチットでポンサクレック・ウォンジョンカムに1ラウンドKO負け、屈辱的な敗戦を喫した。

挫折後、バンタム級で11連勝を記録し、再び勝利の道を歩み始めた。その後、2013年には山中慎介を相手にWBCバンタム級王座に挑戦。スコアカードではマルコムがリードしており、あと1ラウンドで世界王者になる可能性があった。しかし残念なことに、第12ラウンドで邪悪なパンチにノックアウトされ、彼のタイトルへの希望は破られた。

実は、マルコムはその間にすでにALAジムを辞め、日本の出稼ぎファイターになっていたのだ。その敗戦後、マルコムは復帰し3勝を挙げていたが、真正ボクシングジムのトレーナーになることを決意した。

マルコムには前妻ローダとの間に19歳のシャラリィ・マーリィ、16歳のデイヴ・マーリィ、14歳のマルコム・ジュニアの3人の子供がいる。また、娘には生後6ヶ月の孫がいる。ローダは現在海外で生活しており、別の家族を持っている。

マルコムはリハビリの後、ジムに戻って若い選手のトレーニングに専念したいという希望を持っている。今、日本はボクシングブームでフィリピンよりも子供たちの教育費を稼ぐチャンスがあるからだ。

マルコムは幸運にも無事で、怪我から回復している。

日本で襲われていたら最悪の事態になっていたかもしれない。
サムライ(日本刀)はボーロ(大型ナイフ)よりもずっと鋭いのだから。

減量苦でヘロヘロのマニー・パッキャオをぼろ雑巾のように破って王者になった当時無敗のメッドグン・3Kバッテリー。その男を圧倒し復讐を果たしたのが同胞のマルコム・ツニャカオだった。

当時リアルタイムでこの瞬間だけきりとれば

マルコム・ツニャカオという天才の出現、マニー・パッキャオよりずっと強く、才能豊かなヒーロー

のはずだった。
しかし、人生の筋書きは映画のようにはいかない、あるいは映画よりも複雑だ。

ここからは私の勝手な妄想。

記事を読むと、マルコム・ツニャカオは天才、エリートだ。当時のボクシングをみてもそう感じた。しかしこの男は我慢が足りなかったのではないだろうか。

シドニーオリンピック最有力候補だったが、待てずホームシックになりプロ転向。
セレス小林との防衛戦は前半、ライオンと猫ほどの能力差があったが、セレス執念の粘りのボディの前に大失速。(引き分け)
フィリピンの天然の天才は、タイの努力家に初回KOで敗れた。

その後は気の毒なほどチャンスに恵まれず、日本でチューンナップを繰り返してきたが、当時最強の山中には勝てず(記事では勝ちかけていたとあるが、そんなことはない。)

女性関係には触れないが、いつもそばにガールフレンドがいて、子供も孫もいる。
我慢が足りないから、その都度大きな代償を払わされてきたようにみえる。

マルコム・ツニャカオが出てきた時は、もっと偉大な世界王者になる男だと確信したものだ。
サーシャかツニャカオかというくらいチャンスに恵まれなかった。

フィリピンにはこういうストーリーもまた多い。

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3 COMMENTS

アバターマルコムX

ツニャカオがポンサクレックにとっては一番強敵だったとおもう。楽勝だったけど。

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アバター姫野崇史

日本でマルコムと対戦した経験のある元ボクサー姫野と申します。
当時世界ランキングを持っていたマルコムに挑戦しましたが、まともには当てさせてくれず高いスキルを見せつけられました。その試合後に日本でのスポンサードを受けていたマルコムが自分の所属ジムに出稽古に来ました。すぐさまスパーリングパートナーを買って出て、密かにリベンジマッチと位置付けていましたが、蓋を開けてみれば試合の時よりスパーの方が数段強かった…
ヘッドギアの有無なども影響があったのかなと記憶していますが、驚かされたのを覚えています。
山中選手との待ちに待った世界戦ではなんとしても獲得して欲しかった。
世界戦の前に激励しに、真正ジムまで行かせてもらいました。次のチャンスが来なかったことはとても口惜しいことだったと思います。

返信する
プクープクー

あまりにセカンドチャンスが遅すぎました。ポンサクレック戦やセレス戦などボクシングは本当に奥が深いですね。

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