ボディといえば、日本の竹原慎二は強烈だった。
でもありとあらゆるパンチが強烈で星がちらついたという点で、ゴメスだろう。あの時奴はデカすぎて、私はデブで年寄りのろくでなしだった。
https://www.youtube.com/watch?v=iQ-HTxQlys8
ホルヘ・カストロについてはいくつかの印象が定義される。
彼は昔を思い出させるファイターだった。タフすぎる「鉄のアゴ」厄介な「ケンカ屋」「KOアーティスト」など・・・
カストロは母国のアルゼンチンでは、「泥」や「機関車」と呼ばれた。カストロ
「私は子供のころ、ブスカ・ロニャと呼ばれていました。直訳すればダートシーカーになりますが、本来の意味はトラブルメーカーやいじめっ子に近いです。」年が経つにつれて、そのニックネームは犯罪者としてでなく、ボクシングに役にたった。世界で最も多くのKO勝利を収めた現役ファイターという名誉に一役買った。
アルゼンチンの荒涼とした不毛の土地、パタゴニア地方のサンタクルスのカレタオリビアで生まれたカストロは初めてスパーリングをした3日後にはアマチュアの試合に出場した。
カストロ
「火曜日にジムに行ったら金曜日に予定されていた誰かの試合がキャンセルになったので私が代役で出場することを打診された。私は人生でたった1日しかボクシングのトレーニングをしたことがなかった。けれど私はストリートファイターだった。誰かがストリートで悪さをしていたら戦う。それが私だ。木曜日に試合の契約書のサインを母にしてもらおうとしたら、殴り合いなんかしないで学校に行けと言われたから、隣に住んでいる女性に代わりにサインをしてもらった。そして金曜日に試合をした。」
当時121ポンドだったカストロは靴磨きや新聞売りをして僅かなお金を稼ぐより、殴り合いで手っ取り早く稼ぐ事に夢中になり毎週戦った。3年もせずにアルゼンチン代表チーム入りを果たし、バス代だけをポケットに入れて首都のブエノスアイレスに移動した。
カストロ
「18歳でプロになりました。本当は20歳じゃないとプロになれないのですが、キューバのアマチュアチャンピオンを倒したので特別にライセンスが発行されました。」128試合のアマチュアキャリアがプロでの活躍の道を切り開いたが、その時点でキャリア全体を脅かしかねないバイク事故を起こしていたという噂が絶え間なくネット上に流れた。プロとして1987年から2007年の20年間で144戦という記録を残した。
アルゼンチンを中心に世界各地を巡り、連勝街道をひた走るカストロは1989年のミゲル・アンヘル・アロヨ(46勝5敗)との試合でブレイクした。街の中心、完売超満員のルナパークで、両者は黄色に輝くグローブを身に着けて戦った。
カストロ
「その時点まで”プーマ”アロヨに対する最も印象的なファイトでした。当時私たちがアルゼンチンでトップ2のプロスペクトだったのですが9回でノックアウトしブレイクしました。」しかしカストロにとって最大の勝利はまだ先のことだった。この試合から13年後、メキシコでキャリアを決定づける偉大なファイトを成し遂げた。元王者のジョン・デビッド・ジャクソン戦での大逆転勝利だ。
カストロ
「その夜、何が起きたかわかりませんでした。私らしいファイトが全然できなかった。いつもは殴り合いをするが、ジャクソンは一方的に私を殴り続けた。サウスポーはいつも厄介で苦手だ。ジャクソンのパンチは軽くてコットンのようだっかが、打たれすぎで眼が腫れ、カットし血まみれになった。」7回にカストロの左目が切れ、何も見えなくなった。コーナーは必死に止血した。
カストロ
「ドクターが8回のインターバルに来て試合を止めると言った。コーナーマンのルイス・スパダが、あと一回、カストロにチャンピオンシップラウンドを与えてくれと懇願した。それが本当にチャンピオンシップラウンドになったんだ。」ジャクソンは、テリー・ノリスやロイ・ジョーンズJrでさえ成し遂げることができなかった事、タフで有名なカストロをストップすることに躍起になっていた。カストロはジャクソンを射程内に引き寄せるため、ロープに後退し、その隙を伺った。
カストロ
「コンマ何ミリ/秒という決断が必要だった。ロープに下がって死んだふりをした。それをみたらみんなトドメを刺しに襲い掛かってくる。しかし私は心底傷ついてはいなかった。身体が自然に反応した。144回戦って90KOしてきたんだ。でもあの試合は私の人生で最もタフなものだった。」防御一辺倒だったカストロは連打を打ち返し右を空振り、返しの左フックがジャクソンのアゴに深く刺さり、キャンバスに強く叩きつけた。このセンセーショナルな大逆転勝利はその年のラウンドオブザイヤー、ファイトオブザイヤーに輝いた。
カストロは長い現役キャリアを通じて2回しかKO負けしていない。
(ひとつはクルーザー級、もうひとつはバイク事故からのカムバック戦)
ファンはそれらをほとんど覚えていない。カストロ
「生まれ変わってももう二度とあんな試合はしたくない。最後の逆転パンチを打つためにあんなにたくさん殴られたくはない。」カストロには現在15人の子供、妻や愛人がいる。彼らのためにパタゴニア地方に家を建てたりしたが、本人はブエノスアイレス郊外のテンパリーの町に住んでいる。
ボクシングを引退してからは地元で有名人になり、テレビ番組に多数出演している。バイクやレーシングが好きで2005年には木に激突し昏睡状態で21日間入院した。2000年には1995年の自動車事故で女性をひき殺したとして過失致死で3年の刑を受けた。(のちに減刑された)
地元でボクシングイベントなどのオーガナイザーもしている。
ライバルについて
ベストジャブ ファン・カルロス・ゴメス
ファン・カルロス・ゴメスで決まりだ。ロイ・ジョーンズも正確でハードなジャブを持っていた。
ベストディフェンス ロイ・ジョーンズJr
私は彼をリスペクトしていなかった。持てるパンチを全て投げたが、特に顔面のガードが堅かった。ボディは空いていたけど顔面には決してパンチが当たらなかった。彼はほとんどノックアウトで勝っている。私は彼が判定まで言った最初のファイターじゃないかな。彼の地元のペンサコーラで戦ったんだ。ストップしたかっただろうけど出来なかったね。彼のパンチはハードだったよ。
ハンドスピード ジョン・デビッド・ジャクソン
速くてどんなパンチも打てる男だった。ジャブも速かった。断続的で正確だった。手数も多かった。
フットワーク ジョン・デビッド・ジャクソン
捕まえるのがとても難しかった。サイドに動いてかわすんだ。正面で彼を捉えられない。リングを実に上手く動く奴だった。キャリア初期に戦ったパナマのホルヘ・ピノやロイ・ジョーンズもよく動くやつだった。ジョーンズとは再戦したかったけど実現しなかった。
スマート ロイ・ジョーンズJr
とても滑らかな奴だ。でも私と戦った時の彼は違っていた。私はたくさんパンチを打ち、ロイはほとんどカバー、ブロックした。他の相手ならロイはもっと攻撃的だったが私に対してはとても守備的だった。よく適応、順応していたよ。
屈強 ファン・カルロス・ゴメス
私が戦った最も大きな相手(クルーザー級)であり、私はただのデブの老人だった。18ポンドの差があり、私には大きすぎた。
ベストチン フランシスコ・ボバディージャ
殴りつかれるほど殴ったのに彼は1インチも動じなかった。4回戦だったが判定勝ちだった。その他にも打たれ強い奴はいた。
ベストパンチャー ファン・カルロス・ゴメス
彼とはオーストラリアで戦ったとおもう。(実際はドイツのエッセン)私はノックアウトで負けた。私がノックアウトで負けたのは自動車事故の復帰戦以来のことだった。でも全盛期だったら私が彼をノックアウトしていただろう。しかしゴメスにひどく打たれて私は膝をついた。
ボディといえば、日本の竹原慎二も強烈だった。
でもありとあらゆるパンチが強烈で星がちらついたという点で、ゴメスだろう。あの時奴はデカすぎて、私はデブで年寄りのろくでなしだった。
ベストスキル テリー・ノリス
彼の全盛期に戦った。とても速い奴だった。俺には速すぎた。ノリスはコンプリートファイターだった。誰も捕まえることができない。接戦の打ち合いなんかできやしない。距離をとりスマートに戦う奴だった。奴はレナードに勝ったんだ。私もレナードと戦いたかったが、あとになってロベルト・デュランと戦った。
総合 ロイ・ジョーンズJr
明白だ。全てを持っていた。パンチがあり、前に出ることも下がることもできる。コンプリートファイターだ。ジャクソンは速いけど万能ではなかった。ロイ・ジョーンズこそベストなパウンドフォーパウンドだ。でも試合では俺が奴を押してコントロールしていたんだ。誰も俺がそんなファイトができるなんておもってなかっただろう。でも俺はやったんだ。
He was much bigger than me and I was just a chubby little bastard.
奴はデカすぎて、私はデブで年寄りのろくでなしだった。
もっと違う訳ができるがこう表現した。
パウンドフォーパウンドオブチン
があればホルヘ・カストロが歴代ナンバーワン、本当のP4Pを決めるより明白だとおもう。あらゆるファイターのベストチンにリストアップされている。彼のような男を掘り下げるべきだった。また探そう。
まるでボクシング界のディエゴ・マラドーナのようなセカンドキャリアでもある。
竹原にも言及されていました。
昔、上山仁が挑んで初回で散った、フリオ・セサール・バスケスもそんなオーラがあった。
ホルヘ・カストロ
144戦130勝90KO11敗3分
20年間現役を続けても7試合/年以上のハイペース。
もうこんな泥だらけの機関車は出てこないだろう。
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