一時期、ドナルド・カリーはスーパースターの座を狙えるほど、必要なものすべてに恵まれた完璧なファイティングマシーンに見えた。シュガー・レイ・レナードの後継者であり、マーヴィン・ハグラーを視野に入れたカリ… 続きを読む
あまりにも眩しい才能だった。誰もが未来のスターを信じて疑わなかった。同時期にプロになったミゲル・コットよりも人気も期待値も高かった。その輝きはどこか今のテオフィモ・ロペスやライアン・ガルシアを連想させ… 続きを読む
アメリカのバリバリの強者が日本にやってくる理由は、本場でビッグマッチを掴み損ねた選手というイメージがある。ファイトマネーはそこそこ、ビッグマッチまでのひと稼ぎ、半分旅行気分・・・それでもその技術と身体… 続きを読む
一番書きたいのに書けないのは、彼自身の言葉がない、インタビューできない状態だからだろうか。個人的ボクシング観戦史上最も残酷な試合がマクラレンVSベンであり、最も強打者同士の対決がマクラレンVSジャクソ… 続きを読む
いつの時代にも、運に見放され、誰にも見向きもされずに静かにリングを去っていく者がいる。アマチュア戦績213勝4敗、同じ時代を生きたオリンピックのチームメイト、フロイド・メイウェザーJrより偉大な記録を… 続きを読む
アベル・サンチェスの記事を書いたのも、ヨリボーイ・カンパスやホセ・ルイス・ロペスに寄り道したのも、全てはこの男について書きたかったから。何も見つけることができなかったが、ささやかな記事をみつけたので記… 続きを読む
ヨリボーイ・カンパスを紹介した際に出てきた、最強の「無冠の帝王」ホセ・ルイス・ロペス。実際は無冠ではないが彼の記録は第5代WBO世界ウェルター級王者(防衛0)たったこれだけだ。自分のためにもそんな彼の… 続きを読む
アントニオ・マルガリートは2000年代、ウェルター級のブギーマンとして活躍し、その間に3つの世界タイトルを獲得した。アグレッシブでオールアクション、熱いスタイルと鉄のアゴで知られていた。 続きを読む
本名よりヨリボーイ・カンパスとして知られる彼は今のボクシング界にはいないタイプの猛烈タフなスラッガーだ。世界初挑戦まで56戦全勝50KO、王者は時のP4Pフェリックス・トリニダードだった。71戦目でよ… 続きを読む
ゴロフキンとアベル・サンチェスはカネロ戦を最後に決別した。トレーナーと選手の出会いと別れはいつの時代にもあるものだ。ここで手に入らない新しい何かを求めて選手は去っていく。3年ほど前、ケル・ブルックとの… 続きを読む
日本の石田順裕とも戦った、ポール・ウィリアムスはそれがまさかのラストファイトとなった。ドミトリー・ピログも石田が最後の相手となった。これは神のいたずらか・・・身長185センチ、リーチは208センチとい… 続きを読む
マイケル・ナンのSecond Toというニックネームはレナードやハーンズに続く、次世代のスーパースターという意味だとおもうが、残念な事に日本人的に直観的に感じる、2番目の男=1番になれなかった男という… 続きを読む
馴染み深く、懐かしい名前をみつけたので紹介します。もちろん、インタビューの中には日本人も出てきます。思えば彼のボクシング人生は数奇な運命に翻弄されたものだった。彼の言葉、総括には全く同意するばかりだ。 続きを読む
なかなか含蓄のある内容です。最近はアマチュアエリート、キッズの頃からボクシングをやっていないとなかなか頂点には立てませんが、こんな成功物語もある。マヤル・モンシプールの努力と献身を知っていれば、雑草に… 続きを読む
ウィテカーの急逝を受けて、多くの偉大なボクサーからの追悼メッセージをみかけましたが、ここではそのカウンターパートとして、ウィテカーも高く評価していたバディ・マクガートを紹介し彼とウィテカーの偉大さを再… 続きを読む
昨晩、”スイートピー”パーネル・ウィテカーが交通事故で亡くなったという訃報を聞いた。 55歳、速すぎる死・・・まさか、あのウィテカーが・・・きっと彼のボクシングのように車の往来をあの素早いフットワーク… 続きを読む
いつかは新しいスターが現れ、私を乗り越えていくだろうと意識していた。日本の怪物には驚かされたよ。誰もが承知のように、彼のポテンシャルは高く、打撃にパワーがあった。彼の爆発力、パンチの強さには驚かされま… 続きを読む
名前だけは知っている。モハメド・アリが世界王者に、ヒーローになった時の相手として。 しかしそこには暗く、虚しく悲しい秘話、真実があったのだ。 ニュアンス訳ですが是非読んでみてください。 ボクシングは国… 続きを読む