飴と鞭(ラティゴ)/ファン・マルチン・コッジ

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世界王者が遥かに遠い存在だった頃、日本人との対戦、来日も厭わず戦ってくれた王者の一人がファン・マルチン・コッジだった。しかし日本屈指のハードパンチャーとは異質な強打、鞭のようにしなるその豪打はホンモノの世界を感じさせた。やはり世界は遠いままだった。

ファン・マルチン・コッジはジュニアウェルター級のWBA王者として三年間、世界中で戦い続けた。同時期の対抗王者フリオ・セサール・チャベスの陰に隠れて地味な存在であるが、WBA王座を3度獲得、通算10度の防衛を成し遂げた。

1982年にデビューしアルゼンチン国内で5年間戦い続け、初の海外での試合(イタリア)で当時48戦無敗のモスクワ五輪金メダリスト、パトリツィオ・オリバをアップセットで3回KOで下し王者になった。

アルゼンチンのボクシングではカルロス・モンソン同様、イタリアでの活動は自然な流れであり、コッジも祖母の祖国であるイタリアで3度防衛戦をした。韓国のパンチャーSang-Ho Leeやハロルド・ブレイジャー、平仲明信らを退けた。

https://www.youtube.com/watch?v=h5VaKEy7hFQ

https://www.youtube.com/watch?v=4qBeX4urNn0

「El Látigo(鞭)」のニックネームで知られるコッジは1990年4月の4度目の防衛戦を自身のベストにあげている。

コッジ
「フランスのコルシカ島で戦ったホセ・ルイス・ラミレス戦です。リングを動き回らなければならなかった。そのためにたくさんパンチを打ったしフットワークを絶やさなかった。12回にわたりやりきりました。」

https://www.youtube.com/watch?v=G7WuWPOMrcY

5か月後、ロレト・ガルサに僅差のMDで敗れタイトルを失うが、即時再戦は叶わず、世界戦線から離れて戦い続けた。2年半後、ガルサは既に王者ではなかったが、王座の変遷を経て、モーリス・イーストをアルゼンチンに呼んで8回TKO。再び同王座を取り戻した。

https://www.youtube.com/watch?v=LZs3dUthGX0

その後18カ月にわたりコッジは6度の防衛に成功、その中には日本の吉野弘幸に対する勝利も含まれた。(5回TKO)。母国でも3度の防衛をほとんどノックアウトで記録した。

1993年、5度目の防衛戦でエデル・ゴンザレス(コロンビア)と対戦したが、2回にゴンザレスに痛烈なダウンを奪われてKO負け寸前まで追い込まれたが、地元贔屓のレフェリーにも救われて何とか態勢を立て直して逆転7回TKO勝ちで王座を防衛。あまりにも王者を優遇する露骨なレフェリーの態度にWBAもすぐさま再戦を指示し、このレフェリーはWBAの世界戦から永久に追放されることとなる。

コッジ
「私のせいではないが、公正ではなかった。なので再戦を承諾した。」

1994年3月18日、アメリカでゴンザレスと再戦。前回の試合とはうって変わってコッジが終始ゴンザレスを圧倒し、3回TKO勝ちで王座を防衛。

https://www.youtube.com/watch?v=BwqDM6PMao8

1994年9月17日、フリオ・セサール・チャベスに初黒星を付けた強豪フランキー・ランドールと対戦し、激しい打撃戦の末に12回判定負けで2度目の王座陥落。

1995年5月6日、2度目の日本の試合で、坂本博之に10回判定勝ち。

1996年1月13日、フランキー・ランドールと再戦し、4回負傷判定勝ちという幸運な形で執念の王座返り咲きを果たした。

1996年8月16日、フランキー・ランドールと3度目の対戦で、初戦以上の差をつけられて3度目の王座陥落。それ以降はマイナー王座に矛先を移し、1999年5月29日にWBU世界ウェルター級王者ミケーレ・ピッチリーロ(後にIBF世界ウェルター級王者となる)に挑んだが、ピッチリーロの動きについていけず大差の判定負け。この試合を最後に引退。

通算戦績75勝44KO5敗2分、16度の世界タイトルマッチをこなした。

この時代の他の多くのファイター同様、コッジはフリオ・セサール・チャベスと対戦したかったと語る。

コッジ
「契約真近でしたが2カ月前になって金銭問題で成立できなかった。チャベスと戦ってみたかったね。」

コッジは現在ルーカス・マティセとその仲間たちのヘッドトレーナーをしている。(当時)結婚し息子と娘が一人づついる。息子のファン・マルチン・アントニオはジュニアウェルター級のボクサーで32勝16KO6敗3分だ。

ライバルについて

ベストスキル 自分

人々が選べばいいとおもうよ、でも私はリングでスピードとパワーを証明したとおもう。

ベストジャブ フランキー・ランドール

速かった。驚くべき男だった。ジャブが見えなかった。パトリツィオ・オリバもいいジャバーだった。

ベストディフェンス フランキー・ランドール

彼にパンチを当てるのはとても難しかった。

ベストチン ホセ・ルイス・ラミレス、ハロルド・ブレイジャー、平仲明信

みんなタフで強いアゴをしていた。

ベストパンチャー フランキー・ランドール

ランドールだとおもうけど世界戦レベルのファイターは皆ハードパンチャーだ。Sang-Ho Leeとハロルド・ブレイジャーもすごいパンチャーだったけどランドールがベストだ。(コッジは笑いながら指を2本下に示した。それはランドールに2度ダウンを奪われたことを意味する)

ハンドスピード ハロルド・ブレイジャー

ハロルド・ブレイジャーとフランキー・ランドールだね。

フットワーク ハロルド・ブレイジャー

ハロルド・ブレイジャーは速くていいフットワーカーだった。

スマート ハロルド・ブレイジャー

彼とは最後まで戦い抜いた。12回フルに戦った。パンチも強くディフェンスも固かった。

屈強 全員

王者として戦った相手はみんな屈強だった。

総合

ホセ・ルイス・ラミレス、ハロルド・ブレイジャー、平仲明信、Sang-Ho Lee、フランキー・ランドール。みんなタフだった。それが世界王者たるゆえだ。

他の誰かにしようとしたが、ふと目にとまり、平仲の名前が出ていたので決めた。
あの試合の詳細は書かれていないが、WIKIによるとこうだ。

1989年4月29日、3度目の防衛戦で日本の平仲明信と対戦したが、3回に2度のダウンを奪われてKO負け寸前に陥るも何とか耐え抜き、その後も平仲優勢の展開で試合が続いたが、レフェリーとジャッジの露骨な地元贔屓にも救われて12回判定勝ち。

https://www.youtube.com/watch?v=4qBeX4urNn0

実質、平仲明信の勝ちだった。平仲はその後、メキシコでレジェンドのエドウィン・ロサリオを初回KOで破り世界王者になるも、オーバーワークが原因とかで、王者レベルではないモーリス・イーストに敗れ一度も防衛ができなかった。結局イーストを破り再度王者になったのはコッジだった。コッジ戦といいロサリオ戦といい、初回、パワー勝負の一か八か、豪快な沖縄ファイターだった。

コッジが王座を失って、ステップとして挑んだ当時ピークの坂本博之だったが、和製デュランと呼ばれ、破壊的だった坂本でさえコッジの「El Látigo(鞭)」に比べたら静かなもので、キャリアの差をみせつけられた。(坂本のプロ初黒星ではなかったかな)

弾丸のような左フックを持つ吉野弘幸も通用しなかった。
世界は遠い、果てしないを痛感させられる想いだった。

坂本でも吉野でもなく平仲なのが世界なのだろう。

スピードもスキルも驚くほどではないのだが、なんだろう、日本人にはない身体能力とまさに鞭のような強打を誇り、敵わんなを強く印象付けた。どうしても当時のスーパースターはチャベスだったが、対戦したらどうなっていたかわからない、独自の強みを持っていた。

タイトルを奪った、パトリツィオ・オリバは当時48勝無敗(モスクワ五輪金メダリストにして57勝2敗で引退している)
Sang-Ho Leeという韓国人は当時47勝39KO1敗(コッジに負けて引退)
ハロルド・ブレイジャーに至っては通算戦績105勝65KO18敗
ホセ・ルイス・ラミレス通算戦績102勝82KO8敗(コッジに負けて引退)

ランキー・ランドールはご存知チャベスの無敗記録を止めた男

やはりホンモノ中のホンモノの世界王者であったのだ。
チャベスは無理でもそんな男が日本人と戦い、日本にもやって来たこと事態が奇跡だったのかもしれない。

ラティゴはやっぱり、かつてみたことないような強烈な鞭、世界王者のメッセージだった。

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5 COMMENTS

アバター匿名

こう言うので選ばれてる日本人って大体ベストチンとかですよね。
身体能力だと日本人は外国人には敵わないみたいな話よく聞くけど、むしろ勝ってる例の方が多いような。

むしろ技術とか戦術とか、生まれ持った資質ではない部分で大幅に負けているような。

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アバター匿名

逆に言えば、技術とか戦術で勝てないから、フィジカルに秀でた選手が残るんでしょうね・・・

返信する
アバターよっちろー

坂本との後楽園観に行ってました。実物みてコッジ上半身でかいな、骨太いなって思った。
風格あったなあ。今考えるとあんな大物を後楽園で観れてラッキーでした。

返信する
アバターマイティ

>こう言うので選ばれてる日本人って大体ベストチンとかですよね。
>身体能力だと日本人は外国人には敵わないみたいな話よく聞くけど、むしろ勝ってる例の方が多いような

頑丈な顎も然る事ながら、芯に貰わないベストディフェンス的な要素も有ると思うんですよね。

平仲は初防衛の次はチャベスとの統一戦が控えていたとか言う噂は本当でしょうか?

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