もう一人のオスカー/Chololo(チョロロ)オスカー・ラリオス

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マニー・パッキャオはキャリアを通じて2人のオスカーと戦いそれぞれに勝利を収めた。1人はスーパースター、生きる伝説とみなされ、もう一人は過小評価されたファイターだった。しかしパッキャオに厳しい試合を強いたのは後者だった。

オスカー(チョロロ)ラリオス・モヤは1976年11月1日、メキシコ、ハリスコ州グアダラハラで生まれた。14歳の時イグナシオ・シルバトレーナーの元でボクシングを始めた。

スーパーバンタム級とフェザー級ーで世界王座を獲得し通算9度の防衛に成功、長いリーチから繰り出す強打、打たれ強さと豊富なスタミナを生かした粘りのあるボクシングを展開し、日本のリングにも6度登場した。

アマチュアでは1992年、16歳で、グアダラハラでストロー級のゴールデングローブトーナメントのチャンピオンになった。1994年1月14日、スーパーバンタム級でデビッド・ガルシアを初回KOしてプロとしてデビューした。その後、19勝(14KO)

1997年4月12日、地元メキシコにて同国人で後のIBF世界スーパーバンタム級王者イスラエル・バスケス(メキシコ)と対戦するも、初回KO負けを喫し初黒星。

2001年1月19日、アメリカにて世界初挑戦としてWBC世界スーパーバンタム級王者ウィリー・ホーリン(アメリカ)に挑戦するも、0-3(3者とも113-115)の判定負けを喫して王座の獲得に失敗。

2002年5月17日、アメリカにて正規王者ウィリー・ホーリンの休養王座認定に伴って設置されたWBC世界スーパーバンタム級暫定王座決定戦に出場。初黒星を喫した同国人のイスラエル・バスケス(メキシコ)と対戦し、12回TKO勝ちを収めて暫定ながら2度目の世界挑戦で世界王座の獲得に成功し、同時にバスケスへの雪辱も果たした。

2002年8月24日、日本の両国国技館にて元日本スーパーバンタム級王者福島学(日本)を迎えて初防衛戦を行い、8回TKO勝ちを収めて初防衛に成功した。尚、この試合が日本のリング初登場となった。

2002年11月1日、アメリカにて正規王者ウィリー・ホーリンと2度目の防衛戦(王座統一戦)を行い、初回TKO勝ちを収めて2度目の防衛と王座統一に成功し、正規王者へと昇格した。

2003年4月26日、日本の両国国技館にて元OPBF東洋太平洋スーパーバンタム級王者仲里繁(日本)を迎えて3度目の防衛戦を行い、8回2分45秒に挑戦者の左フックをカウンター気味に受け顎を骨折するも12回を戦い切り、3-0(116-110が2者、114-111)の判定勝ちを収めて3度目の防衛に成功した。尚、この試合はWBCとJBCより2003年度の年間最高試合と認定された。

2003年9月7日、日本の名古屋レインボーホールにて元OPBF東洋太平洋スーパーバンタム級王者石井広三(日本)を迎えて4度目の防衛戦を行い、2回TKO勝ちを収めて4度目の防衛に成功。

2005年2月10日、アメリカにて元WBC世界バンタム級王者ウェイン・マッカラー(アメリカ)を迎えて8度目の防衛戦を行い、3-0(118-110が2者、116-112)の判定勝ちを収めて8度目の防衛に成功。

2005年12月3日、アメリカのマンダレイ・ベイ・イベント・センターにて過去1勝1敗となっている同国人のIBF世界スーパーバンタム級王者イスラエル・バスケスを迎えて10度目の防衛戦を行うも、初回にダウンを奪われた末に3回TKO負けを喫して10度目の防衛に失敗し王座から陥落した。

2006年7月2日、フィリピンにて階級をスーパーフェザー級に上げての再起戦として後の6階級制覇王者マニー・パッキャオ(フィリピン)の持つWBCインターナショナルスーパーフェザー級王座に挑戦するも、12回にダウンを奪われた末に0-3(106-120、108-118、110-117)の大差判定負けを喫して2連敗。その後、階級をフェザー級に落とす。

2008年5月31日、地元メキシコにて池仁珍の王座剥奪により、正規王者へと昇格していたホルヘ・リナレスの防衛戦中止を受けて設置されたWBC世界フェザー級暫定王座決定戦に出場。当初リナレスと対戦する予定であったフェイデル・ビロリア(コロンビア)と対戦し、5回TKO勝ちを収めて王座の獲得に成功し、2階級制覇を達成した。

グローブを外した時の彼はとても穏やかで優しい紳士で、相手の国のファンでさえも魅了する人柄だ。

ラリオスに対する称賛は、パッキャオとの試合が白熱するにつれ大きくなった。結果的にはダウンを奪ったパッキャオの勝利に終わったが、普通のファイターが諦めるようなパンチを浴びてもラリオスは脅威の粘りをみせ、パッキャオに激しく抵抗していった。

ラリオスは殿堂入りするようなファイターではない。しかし多くのボクシングファンにとってパッキャオ戦でみせた勇姿は決して色あせる事無く輝き続けている。

パッキャオ戦後もラリオスはファイトを続けた。
しかし最終的に彼がグローブを吊るすことになったのは、リング上のファイトではなく医学上の問題だった。2007年7月、ホルヘ・リナレスとの試合後、脳に軽度の硬膜下血腫が診られ、アメリカでの試合を禁止された。

それでもラリオスはボクシングを諦めず、米国外で戦った。
最後は日本で粟生隆寛との再戦に敗れ引退となった。

両者は初戦ではラリオスが勝利していた。

通算戦績63勝39KO7敗1分。

日本人と特に縁の深い王者だったラリオス。
しかしなんとか勝てたのは粟生(2度目)だけだった。
これが70戦に及ぶラリオスのラストファイトとなった。

長身強打で懐が深いメキシカンだったが、数値的には170センチで驚くような長身ではなかった。
福島学、仲里繁、石井広三・・・やはり日本人とは異質の強打の持ち主だった。

正々堂々、逃げずに打ち合ってくれる難攻不落のメキシカンだった。

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プクー

Author: プクー

「ボクシング動画配信局」https://box-p4p.comの管理人です。 ボクシングで人生を学びました。

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