ダイヤモンドの囚人/(Petch=宝石)アムナット・ルエンロン

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訳あって、32歳という普通のボクサーならば引退もちらつく年齢になってプロになったアムナット。あっという間に駆け抜けたキャリアだったが、世界王者となりベルトを5度防衛、井岡やゾウ・シミンよりも極上だった。

感動的なストーリーの多くは「罪の償い」に関するものだ。
チャンスがなく、希望がみえない時の遠い夢の実現、タイの元IBFフライ級王者でかつて犯罪者だったアムナット・ルエンロン。彼の物語は、ボクシングが彼を救いへの道へ導き、栄光をもたらすまで、悲しみの運命に閉ざされていた。

生後まもなく、病院で実母に捨てられたルエンロンは、エキゾチックな「アフリカ人のような」外見からタイの市民権を得ることができず、学校に通うこともできなかった。

15歳の時に捨てられてから初めて母親に出会い、母親がアムナットを息子であると証明したことで、ようやくタイのIDが発行された。無教養だったアムナットはムエタイで生計を立てるようになりフライ級王者まで成り上がる。ムエタイしか生きていく手段がなかったのだ。しかし麻薬常用者となったことでジムを追い出されてしまう。アムナットは強盗と窃盗の常習犯になり、常に警察からの厄介者として徹底マークされていた。

無一文となったアムナットは観光客の女性を強盗で襲い、警察に自首。裁判で15年の懲役刑に処され、人生で3度目の刑務所生活を送ることになるが、この時に収監先の刑務所の中で暇つぶしのために始めたのがボクシングだった。暗闇の中のかすかな希望だった。

アムナット
「刑務所は私にとっては路上より良い場所でした。規律、何が良いのか悪いのか学びました。スポーツプログラムがありました。ボクシング、サッカー、武術・・・私はボクシングが得意でした。刑務所のアマチュアボクシングの大会で優勝しました。全国大会で私は刑務所代表として戦いました。突然、タイのアマチュアチームは私の事を知りました。子供の頃は苦労しましたがボクシングは私に人生のチャンスを与えてくれたし未来も与えてくれました。もう私は過去について考えません。今は良い事だけを考え、行動します。」

ささやかな成功は、アムナットを若返らせ、大幅な恩赦を受け釈放された。

2007年、タイのキングスカップでは後の2度の五輪金メダリスト、ゾウ・シミンを撃破、彼らは未来にアジアのラスベガス、マカオで再会することになる。
2008年、バンコクで開催されたキングスカップにライトフライ級(48kg)で出場し、準決勝で井岡一翔に勝利し、優勝を果たした。
2008年、中華人民共和国の北京で開催された北京オリンピックにライトフライ級(48kg)で出場で出場するも準々決勝で敗退。
2009年、2010年とキングスカップにフライ級(51kg)で出場し連覇を果たした。
2010年、中国広州で開催されたアジア競技大会にライトフライ級(49kg)で出場、準決勝で鄒市明に敗れ、銅メダルを獲得。

その後プロに転向することを発表した。

刑務所を経由し遅れてやってきたアムナットは既に32歳だった。

2年以内でアムナットは世界王者に到達した。

2014年1月22日、IBF世界フライ級王者のモルティ・ムザラネに挑戦する予定だったが、ムザラネがファイトマネーが安いと試合を拒否し、さらにIBF世界フライ級王座を返上したため急遽王座決定戦を行うことが決定。IBF世界フライ級5位のロッキー・フエンテスとIBF世界フライ級王座決定戦を行い、12回3-0(2者が116-112、117-111)の判定勝ちを収め、タイのボクシング史上最高齢となる34歳での世界王座奪取と、ラタナポン・ソーウォラピン以来の17年振りとなるタイ人のIBF世界王座獲得に成功。

アムナット
「チャンピオンベルトは私と私の国にとって重要です。当時、タイで唯一の世界王者でした。ムエタイは身体全体を使うので私には両手だけ使うボクシングの方が簡単です。」

2014年5月7日、大阪府立体育会館でアマチュア時代に対戦経験のある元世界2階級制覇王者井岡一翔と対戦し、12回2-1(113-114、119-108、115-112)の判定勝ちを収め、初防衛に成功。


アムナット
「判定では勝てるかどうか緊張しましたが、試合は明確に勝ったとおもいました。井岡は日本のスーパースターです。素晴らしいボクサーです。」

2014年9月10日、ナコーンラーチャシーマー県のリプタパンロプ・ホールでIBF世界フライ級1位のマックウィリアムズ・アローヨと対戦し、12回2-1(115-114、114-113、113-114)の判定勝ちを収め2度目の防衛に成功。

2015年3月7日、ザ・ベネチアン・マカオ内コタイ・アリーナでIBF世界フライ級4位の鄒市明と対戦し、12回3-0(3者とも116-111)の判定勝ちを収め3度目の防衛に成功。

2015年6月27日、バンコクのフアマーク・インドアスタジアムで元IBF世界ライトフライ級王者でIBF世界フライ級1位のジョンリル・カシメロと対戦し、2回と7回にダウンを奪い、11回にはホールディングで減点されるが、12回3-0(116-110、115-110、113-112)の判定勝ちを収め4度目の防衛に成功。

2016年5月25日、IBFからの再戦指令に基づき北京の北京国家体育場内ダイヤモンド・スタジアムで北京で行われるIBF年次総会のメインイベントで元IBF世界ライトフライ級王者でIBF世界フライ級1位のジョンリル・カシメロと対戦し、プロ初黒星となる4回2分10秒KO負けを喫し6度目の防衛に失敗、王座から陥落した。

絶望の子供時代、刑務所で覚えたボクシングを頼りに、オリンピックの夢、プロの世界王者を駆け抜けたアムナットは、8年の歳月を経て2度目のオリンピックの夢を追いかけた。プロの体重を11キロ上回るライト級でリオ五輪予選にエントリーしアルゼンチンのイグナシオ・ペリンを破った。AIBAがオリンピックにプロの参戦を認可したが、プロのビッグネームはほとんどエントリーしなかった。アムナットを含む3名だけが五輪出場資格を得た。

アムナット
「ライト級では相手に体格のアドバンテージがあるので難しいです。相手は大きいけれど私には意志があります。」

アムナットにとってはリスクは重要ではなかった。人生に生きる意味をくれ、15年の刑から解放してくれたボクシングに大きな借りがあると言う。

アムナット
「だからこそ、自分自身を鍛え直すために2度、オリンピックの舞台に来ました。メダルを目指して頑張ります。」

アムナット・ルエンロンの人生の第2章は、全ての罪を償うためのものだった。

アムナット
「刑務所は、家族や友人がいかに大切かを教えてくれました。何をするにしても良心がなければいけないことを教えてくれました。何か行動する前、ファイトする前にいつもこの事を考えねばなりません。」

悲惨な生い立ちからやってきたアムナットのボクシングは風貌同様にタイ人のファイトとは一線を画すものでキレとディフェンスが冴えわたるテクニシャンだった。

調子がいい時は軽量級のフロイド・メイウェザーのような難解なファイターだったが、全てをディフェンスしきれず、最後は躍動感があってパワフルなフィリピンの名王者、カシメロの圧力、パンチをかわしきれなかった。

ボディで沈むところがベテランの哀愁だった。

今でも緩んだ身体で様々な格闘技イベントに出るのは100%お金のためだろう。
アムナット・ルエンロン、2014年5月7日、大阪府立体育会館で井岡一翔を完封した時の姿が本当の彼だ。

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2 COMMENTS

アバターメヒコ

私には何とも不思議なイメージのボクサーです。対戦者の攻勢を吸収してしまうような防御には驚きでした。それに、さしても破壊力の無い感じのパンチを正確にヒットさせ判定勝ち狙いの試合運びが、まるで老狐の狡猾さのようでした。

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アバター匿名

その気になれば倒せるパンチを持っていたな。だから井岡が何もできなかった。特にアッパーの恐怖で。

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